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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

旅について 遊びについて 夢について 人生観について 本について 愛用品について ありったけの思いを語ります

 

カウンターはぼくのステージだ〜またはYUKIの武道館ライブの話

先日のオフの1日。

日本武道館にライブを観にいった。YUKIのステージだ。JUDY AND MARY解散後ソロになって今年で20年、それを記念したツアーだ。

前々から楽しみにしていて、チケットもかなり前からとっていて、ついにその当日になって、ワクワクウキウキしながら九段下の日本武道館に向かった‼︎

……というわけではない。

チケットを入手したのは当日の早朝5時、チケジャムというサイトから、いけなくなった人のチケットを譲っていただいたのた。

で、ライブにいこう、ってことになったわけだ。いつものぼくのパターン。衝動的な行動だ。

降りしきる雨の中、日本武道館についた。人生初の武道館だ。

席は2階席の中央左よりで、まあわるくなかった。左右の人もそれぞれ一人で観にきてるらしく、何このおっさん一人できてるよ、って思われる心配もなくなった。

それにしてもすごい人の入りだ。満席、いや超満員だ。これだけの人を呼ぶのだから、ミュージシャンってすごいよなあ。いや、YUKIがすごいというべきか。

18時半、会場が暗くなり、すぐにスポットライトが走って、その先にYUKIが現れた。彼女のパワフルな声が響き出すと、客席のボルテージは一気に上がった。

そこからはもう駆け抜けるような2時間半だった。

途中、少しだけYUKIのMCがあったものの、ほとんど歌いつづけていた。本物の、プロフェッショナルのミュージシャンのステージがそこにあった。

MCでYUKIはファンに向けて、ありったけの感謝を伝えていた。これだけすごい数のファンがきてくれた喜びを、そのまま言葉にしていた。本当にうれしそうだった。感無量という感じがこっちにも伝わってきた。

で、また歌いはじめる。

完璧なステージだった。個人的にはとくに大ファンというわけでもないから(おいおい、野球観戦のとき→参照あの日の少年とおんなじかよ)、知らない曲ばかりだったけど、そのすごさはじゅうぶんに伝わってきた。たぶん、というか間違いなくゾーンに入っていた。

すごい眺めなんだろうなあ……

こうしたステージを観るたび、ぼくは向こう側から見る風景に思いを馳せる。この超満員の客席が、かれらにはどう見えるのか。今日のYUKIは、この風景をどう見ているのか、感じているのか。

最高な気分だろう。簡単な言葉だが、それしかない。今日の彼女の動きが物語っている。これだけのファンが自分のステージを観にきて、それに呼応して最高のパフォーマンスが生まれているのだ。

少しだけその感じはわかる。本当に少しだけだけど、本当に本当にスケールがちがう話だけど、ぼくにも同じような感覚がある。

自分の店が満席になったとき、カウンターから見るその風景はやっぱり気分がいい。せいぜい14、5人でいっぱいの小さな「箱」だけど、それでも席がうまったときの感覚は格別だ。

ゾーンに入ることもある。

ミュージシャンとちがって、客の注文に対してバタバタと動きまわるだけだけど、それでも「ノッテキタ」という感覚はある。料理をつくり、酒を注ぎ、余裕があればお客さんに声をかけ、そうやってバタバタと動きまわることが、ぼくにとってのステージなのだ。客はぼくの料理に満足し、その空間に感動し、元気になって帰っていく。それがぼくにも伝わり、さらに動きがキレキレになって、店内のボルテージは上がっていく。その感覚は、やっぱり最高の一言に尽きる。

そう、カウンターはぼくのステージなのだ。毎日の営業は、ぼくのライブなのだ。

YUKIや他のミュージシャンのように何万人も客は呼べない。だけどぼくの店は、ぼくのライブは、月曜と火曜を除いて毎日やっている。年間250のステージをこなしている。たったひとりで。

そうか、俺も向こう側の人間なんだ。そう思うと、ちょっぴりうれしくなった。

まあ、拙いライブかもしれないげど、お客さんに対する気持ちは負けない。チケットもいらない。少し入りづらいドアを開ければ、誰でも観れる。

そんなぼくのライブを、観にきてほしい。


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日本代表に告ぐ

やっぱり今はサッカーの話をすべきかなと思う。

FIFAワールドカップカタール2022が開幕した。世界で最も熱い大会といわれるだけあって、メディアはサッカー一色だ。日本も出場していて、初戦のドイツ戦に勝利した。この劇的な勝利で、盛り上がりにさらに火がついた。

やったあ〜っ、とは、個人的にはならない。日本代表が勝って、世間は盛り上がっているけど、そうやって盛り上がれば盛り上がるほど、店は閑古鳥が鳴くのだ。そう死活問題なのだ。

まだ今回はいい。おでんが恋しいこの時期での開催だから、ダメージは少ない。前回のロシア大会のときは夏だったから、そりゃあもうヤバかった。日本代表の初戦の日は、オープン以来はじめての坊主(お客さんゼロ=売り上げゼロ)の危機を迎えたほどだ。結果的には遅い時間に2人(1人×2)きてくれたが、あのときの精神が崩壊しそうな感じは2度と味わいたくない。

で、今回のワールドカップだが、ドイツに勝ったその日は、雨で祝日だったということもあり、やっぱり静かな夜となった。試合がはじまる前に軽く1杯飲りにきたという方が2人(1人×2)、まったくをもってワールドカップに興味がない方々が2組(2人+3人)、それがすべてだ。最後のお客さんが帰ったのが9時50分頃で、その後は誰もこなかったので、洗い物をしながら、ぼくもiPadで試合を観戦した。

で、見事に、というか、まさかの逆転勝利。その快挙に日本中が歓喜したにちがいないが、やっぱりぼくは複雑な思いだった。

これでしばらくは店はやばくなるなあ……

寒いこの時期だからダメージは少ないといったが、逆にいえば今はかきいれどきなわけで、これでもかというくらいにお客さんがきてくれないと困るのだ。だから、やっぱり、やったあ、とはならない。

だけどその一方で、そんなちっぽけな自分を打ちのめしてくれ、という思いもある。おれの店の売り上げなんて些細な問題だ、と思えるくらいに、おれを感動させてくれ、熱くしてくれ、そんな矛盾した思いもどこかにあるのだ。

理屈じゃないのだ。スポーツには、そういう力が宿っていると思うのだ。

3年前のラクビーのワールドカップのときもそうだった。自国開催ということもあって、大会前からメディアの盛り上げ方はすごかった。あのときも、ああまた店が暇になるなあと思ったものだった。しかしどうだ。日本チームの戦いに胸を打たれたぼくは、いつしか誰よりも応援に熱を入れていた。店の売り上げなんてどうでもいいから、勝って勝って勝ちまくって、もっとおれを熱くしてくれ、と心から思った。

それがスポーツだ。スポーツが持つ力ってやつだ。

そこから力をもらい、自分もがんばろうって気持ちになる。かれらに負けずに、自分も戦ってやろうという気持ちになる。

もともとぼくはスポーツ少年で、前にも書いたが小学5年生から中学3年までサッカーに明け暮れていたのだ。高校からはべつのスポーツに熱を入れたが、社会人になってからふたたび友人らと草サッカーのチームをつくり、月1から月2で集まっては、似たようなレベルのチームと試合した。代表の試合にも足を運んだ。青いレプリカユニフォームを着て、スタンドから選手に声を送ったものだった。日本代表の戦いに何度も勇気をもらい、自分も戦ってやると力をみなぎらせた。ちなみに今回の代表監督の森保さんの応援歌もソラで歌える。

そんなふうだったのだが、店を持った今は自分のことで手一杯で、スポーツを観ることはほとんどなくなった。

だけど心のどこかで、熱くなりたいという思いはくすぶっている。

だから応援はしないが、期待はしている。

熱い試合を。胸を打たれるくらいの熱い戦いを。

これを書いている今の時点で、日本は1勝1敗でグループ2位につけている。ドイツ戦に勝利したものの、コスタリカに手痛い1敗を喫したのだ。監督の采配がどうとか、戦犯はあいつだとか、そんなことはどうだっていい。録画してた試合を観たが戦ってはいなかったように思う。少なくとも、ぼくは熱くなれなかった。

次戦のスペインは相当に強い。普通にやったら負ける。

崖っぷちだ。

そこから見事勝ち上がれるか。試合は12月1日28時(2日4時)。ちょうど店の片づけが終わる時間だから、もしかしら観るかもしれない。いや、観る。少なくとも前半は観てやる。

その試合で、ぼくを打ちのめしてほしい。熱くしてほしい。

ぼくも戦う。考えてみれば、たかがワールドカップくらいで閑古鳥が鳴くようじゃ駄目なのだ。もっともっと戦って、高みに上っていかなきゃ駄目だ。何があってもびくともしない店にする。それをするのは自分だ。自分が戦うのだ。

戦おう。

日本代表よ、ともに戦おう。

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それでも生きていく

なかなか思うようにいかない日がつづいている。

秋がきて、少しはお客さんも増えてはきたけど、それでもまだ理想の感じにはほど遠い。このままずっとこんな感じなのか。そこそこの客の入りのまま冬がきて、そのまま冬が去って、いまいちパッとしないまま春になって、そしてまたあの夏がやってきて、閑古鳥が鳴くのか。考えれば考えるほど不安になる。

きてくれている人たちには、もちろん感謝している。いつもかよってくれる人も、はじめての人も、おいしかった、元気になった、と満足してくれて、そんな声にいつも救われている。必ずまた昔の活気が戻ってくるさ、と希望が湧いてくる。

それでもまた静かな夜がつづいたりすると、不安に押しつぶされそうになる。みんなどこへいったんだろう。あんなにもこの店を気に入ってくれていたのに、いったいどうしちゃったんだろう。自分の何がいけなかったのか、この店の何が気に入らなくなったのか、自分にはもう人を呼ぶだけの価値がなくなってしまったのか、そんなふうに自分を責めて、ひどく傷ついている。

そんな日々がもうずっとつづいているのだ。寒くなってきて、今までのマイナスを取り戻さなきゃと期待が大きい分、その期待に裏切られると、がっくりと落ちこんでしまう。

やめようか……

そんなふうに思うこともある。オープン以来、はじめての感情だ。やめたいわけではない。好きではじめた仕事だ。これからもずっとつづけていきたいに決まっている。だけど人から求められていないなら、やめるしかないではないか。

どの道、このままの状況がつづけば、いずれはやめざる得ないときがくるだろう。店が立ち行かなくなるか、自分の精神がやられるか、どちらかの理由で。

昨日も今日も、静かな夜だった。明日もまた同じなら、自分はもう耐えられないかもしれない。この季節に閑古鳥が鳴くおでん屋なんて、つづけていても意味がないのではないか。傷が浅いうちに、店をたたんだ方がいいのではないか。

自分はまた夢から見放されるのか。何の価値もないあの頃の自分に、また戻ってしまうのか……

生きていくのはつらいなあ、と思う。人生はつらいことばかりだ……



先日、地元の友人から連絡があった。訃報だ。同じ中学のY子が亡くなったという。彼女とはクラスが一緒になったことはないが、学校の廊下で話すくらいの仲ではあったし、成人してからも何度か一緒に飲んだこともある、とても明るい女性だった。

だから、その訃報は、かなりショックだった。

15年ほど前、中学の友人何人かと酒を飲んだとき、そのメンバーにY子もいた。その頃ぼくは仕事をやめたばかりで、新しい仕事について、彼女に相談にのってもらった。そんな記憶が蘇る。

「なんかさ、未知なる世界っていうの、そんな仕事をしたいんだよね。絵描きとかさ」
「道どん(ぼくのあだ名)、絵なんて描けるの?」
「描けない。美術も2だったし」
「じゃあ駄目じゃん」
「今からやってみたら、もしかしたら才能があるかもしれないじゃん」
「ええっ、今から? 私たち何歳だと思ってんの?」
「そういう 固定観念がよくないと思うんだよ」

馬鹿みたい、と笑いながらも、Y子はいった。

「でも道どんなら、今からでも何か突拍子もないことしでかすかもしれないね。何かそんな雰囲気持ってるよ」

絵描きにはならなかったが、その後ぼくは40歳をすぎてから料理の道に入った。そして今、小さいながらも店を持った。これもY子がいっていた「突拍子もないこと」になるのだろうか。

そんなことをぼんやりと思い出すと、無性に悲しくなった。

同時に、どうしてぼくは生きているんだろう、生かされているんだろう、と不思議な気持ちになる。自分がまだ生きることを許されている意味は何だろう。

まだまだやることがあるのだろうか。

通夜は水曜日におこなわれた。店があるから、ぼくは欠席した。かわりに弔電を送った。ぼくの言葉は、Y子に届いただろうか。

翌日、友人から電話があり、無事通夜が終わったと告げられた。

「みんなきてたか?」
「ああ。けっこうきてたよ」

そういって友人は、出席した仲間たちの名を挙げた。

「それだけきてれば、Y子、寂しくなかったよな?」
「大丈夫だよ」
「おれもいきたかったな」
「しょうがねえよ。店があるんだ。店は休んじゃ駄目だよ」

じゃあまた、といって電話を切った。

店は休んじゃ駄目だよ。その言葉が、不思議とY子からの言葉に感じた。

Y子が、遠くからぼくを叱咤しているんだ、と思った。

簡単にいうなよ、とぼくは心の中でつぶやく。気楽に見える仕事かもしれないけど、なかなかきついんだよ。思うようにお客さんもこなくてさ、こっちがどんなに尽くしても、すぐにみんなこなくなっちゃうんだ。おれの料理がまずいのかな。それともおれ自身が人から嫌われる感じなのかな。がんばってるんだけどな。なんかもう疲れちゃったよ……

涙が出た。それが死んでしまったY子への涙なのか、情けない自分の現状に対してなのか、わからないけど、涙が出て、とまらなくなった。

天職なのかなと思ってたんだけどさ、そうじゃなかったのかもな。好きだけでうまくいくほど、人生は甘くないんだな……

でもまだ道どんの人生は終わってないでしょ!

Y子の声が聞こえる。いや、Y子ならそういうだろうと、ぼくが思っただけかもしれない。

生きてるんだから、つらいことがあるのはあたりまえでしょ! あんたの仕事はさ、そういうつらいことがあった人を元気にすることじゃないの! あんたが弱音吐いてどうすんのよ!

Y子の声が、もう聞こえないはずのY子の声が、心に刺さる。そうだよな。生きてるんだから、つらいことだってあるよな。それも含めて、生きてるってことだもんな。そうか、Y子はもう、つらいって感じることさえないんだもんな……

そうだよ、道どん。あんたまだ生きてるんだよ。まだ何だってできるんだよ!

そうだよな。おれはまだ生きてるんだもんな。やることはまだまだ山ほどあるよな。弱音を吐いてる場合じゃない。つらいけど、やるしかないんだ。なあY子、きみはしばらく空にいるのかな。そこから、おれのことが見えるかな。見えるならさ、おれがまた弱気になったらそこから叱ってくれよ。生きてるんでしょ、甘えないでよ、って、大きい声で叱ってくれよ……

Y子の声はもう聞こえなかった。ぼくは、ありがとう、と空に向けていった。

これから冬になる。おでんが恋しい季節になる。思うようにお客さんがきてくれるか、考えると不安になるけど、ぼくは負けない。がんばってがんばってがんばって、不安になってる暇がないほどがんばって、身体がぶっ壊れるくらいがんばって、神様が参った、っていうくらいがんばって、すっ転んだらすぐに起き上がって、下を向かずに前だけを見て、歯を食いしばって、どんなにつらくても客の前では笑って、がんばってがんばってがんばってがんばって、生きてやる。

生きてやる。

それだけやって駄目なら、そのときはそのときだ。

スパッとやめて、突拍子もないことしでかしてやるよ。

絵描きとか、な。

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あの日の少年

9月のあるオフの日、神宮球場に野球を観にいった。スワローズ対タイガースのナイトゲームだ。

とくにどちらのチームを贔屓にしているわけでもなく、またシーズンをとおしてプロ野球に興味を注いでいるわけでもないのだが、何の予定もないオフの1日、夜空の下でゲームを観戦しながらビールを飲むのもわるくないと思ったのだ。

夕方5時すぎに球場に到着し、ゲートを抜けると、スタジアム特有のまばゆい光景が一気に目に飛びこんだ。広大なグラウンドをぐるりと囲むスタンドは、すでに多くの観客で埋まっている。そのざわめきが耳に心地よかった。ぼくはこみ上げる笑いをかみ殺しながら指定の席についた。

空はまだだいぶ明るい。これから少しずつ夜が近づいてきて、ゲームがはじまる頃(夏だとゲームの途中)、グラウンドはいつしかカクテル光線の中の劇場になる。ドーム球場にはない、昔ながらの屋根なし球場だけが持つ感覚だ。

ゲームは初回、タイガースの先頭打者ホームランで口火が切られた。ぼくが座る席は3塁側(ビジター席)だから、タイガースファンが多い。わっと歓声が上がった。

ぼくはビールを飲みながら、ぼんやりとゲームを観ていた。どちらが勝ってもいいと思いながら観るスポーツの試合は正直いえば退屈だったが、それでも日常を離れたこの感覚は最高だ。ビールのほろ酔いも手助けしてくれていたのかもしれない。

いい感じだなあ、と心の中でつぶやきながら、ぼくは進んでいくゲームを眺めた。ときどきその目を、ほぼ満席に埋まったスタンドに向ける。かわらない風景がここにある。どんなに時代がかわっても、スタジアムのこの感じ、このでっかい風景はずっと同じだ。

神宮球場か……

ぼくはゲームを見つめながら、遠い昔を思い出していた。小学5年生の夏休み。江川卓が鳴り物入りでジャイアンツに入団した、あの年だ。その頃のぼくは野球少年だった。ぼくだけじゃない。あの頃は子どもたちのほとんどが野球少年だったのだ。放課後になれば空き地に集まって日が暮れるまで野球をしたし、家に帰ればジャイアンツ戦のナイター中継に熱中した。当時はぼくもやっぱりジャイアンツのファンで、いつかスタジアムで生の野球が観たいと、心の底から夢見ていた。

その夢がかなう日がきた。

夏休みのある日の夕方、同じクラスの友達がぼくの家を訪ねてきた。スーちゃんという、5年生にしては大柄な少年だった。4月のクラス替えではじめて同じクラスになり、席替えで同じ班になって、それで仲良くなった、そんな間柄だ。

スーちゃんは酒屋の息子で、店でヤクルトの飲み物を扱っているため、ときどき神宮球場のチケットをもらえるのだと以前から口にしていた。そのチケットはしかし、たいていお得意様にあげてしまうから、一度も生の野球観戦はしたことがないという。そのチケットが、どうやら手に入ったらしいのだった。で、急いでぼくの家を訪ねてきたのだそうだ。

「チケット、2枚あんの?」
「ある。父ちゃんが友達といってこいって。巨人戦だぜ」
「ホントかよ? すげえじゃんか!」
「明日のナイター、いくか?」
「いくよ、決まってんじゃん!」

父と母に許しを得て、ぼくたち2人は神宮球場をめざした。東武野田線鎌ヶ谷駅から総武線信濃町駅まで、歩きを入れて1時間半の旅、小学5年生のぼくたちにとって、それは大冒険だった。しかも行き先が神宮球場のジャイアンツ対スワローズのナイターなのだ。まさに宝島に向かう気分で、ぼくたちは興奮しっぱなしだった。

神宮球場につき、もぎりのお兄ちゃんにチケットを見せ、ぼくたちは駆け足でスタンドに向かった。階段を上っていき、ゲートを抜けると、ぼくたちはそこで足をとめた。

「うわあ、でっけえ……」

一気に広がった球場のでっかさが、ぼくたちを打ちのめした。生まれてこの方、こんなにもでっかい風景を見たことは一度もなかった。父方の田舎である石川県能登半島で見た日本海もでっかかったけど、それの何百倍も大きく感じた。これが本物のプロ野球なのかと、ぼくはこみ上げる喜びをどうすることもできなかった。

「おい、すげえな」
「うん、すげえ」
「席はあっちだぜ」
「うん。いこう」

ぼくたちの席は3塁側の内野席で、サードとレフトの中間、ジャイアンツの選手でいえば、高田と張本の間くらいの位置だった。ぼくたちはすっかり興奮して守備練習中の選手たちの名前を大声で叫び、試合がはじまる前から声をからす始末だった。

ジャイアンツの先発は西本で、スワローズはエースの松岡がマウンドに上がった。先頭打者の柴田がすかさずヒットで出塁すると、スタンドは盛り上がり、盗塁を期待する声援が鳴り響いた。2番打者の高田が粘る間に盗塁を決め、3番の張本、そして4番の王へと打線はつながった。

「打て〜、打て〜」
「王、かっ飛ばせ〜」

試合は終始ジャイアンツのペースで進んだ。派手なホームランは出なかったけど、ヒットの積み重ねでスワローズを引きはなしていった。とくに高田の活躍がすごくて、高田の大ファンであるスーちゃん大喜びだった。ぼくが好きなショートの河埜和正はヒットは打てなかったものの、守備で何度もピンチをすくった。ものすごいライナーをジャンプして捕ったときは、得点が入ったときと同じくらいスタンドがわいた。

終盤にちょっとしたピンチを迎えると、90番をつけた長嶋監督が出てきてマウンドに向かった。

「ピッチャー交代かな?」
「そうかも。新浦かな?」
「新浦だよ、たぶん」
「新浦〜! 新浦〜!」
「長嶋さ〜ん、新浦出して〜」

するとウグイス嬢の選手交代を知らせる声がスタンドに響いた。

ジャイアンツノセンシュノコウタイヲオシラセシマス。ピッチャー、ニシモトニカワリマシテ、ニウラ。ピッチャー、ニウラ。セバンゴウ、ニジュウハチ……

「やったあ、新浦だあっ!」
「おれたちの声が聞こえたんだあっ!」

当時サウスポーの新浦は先発にリリーフに大車輪のピッチャーで、ぼくたち2人の共通のヒーローだった。その新浦がマウンドに上がり、ぼくたちの興奮はもはやとどまることはなかった。

新浦の火消しもあって、ジャイアンツは見事に勝利した。試合が終わるとぼくたちはフェンスの近くまで走り、ダッグアウトに帰っていく選手たち一人ひとりに大声で呼びかけた。何人かの選手が手を振ってくれて、ぼくたちは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。

帰りの電車でも、ぼくたちはずっとしゃべっていた。新浦の球のスピードのこと、高田のヒットのこと、河埜のファインプレー、柴田の盗塁、シピンのライオンみたいな髪型、そしてホームランこそ打てなかったものの、やはりカッコよかった一本足打法の王選手。どれだけしゃべっても物足りなかったが、やがてぼくたちが住む町の最寄り駅につき、暗くなった道を歩いて、さよならした。

「じゃあな」
「うん。バイバイ」
「またな」
「うん。また」

最高の1日は終わったけど、夏休みはまだまだたっぷりと残っていた。ぼくとスーちゃんはその後も可能なかぎり遊んだ。キャッチボールをしたり、虫取りにいったり、ザリガニ釣りをしたり、その年はやりはじめたインベーダーゲームをさがして遠い街へと自転車を走らせたり。

振り返ってみれば、そんなふうに友達と2人きりですごす夏休みはそのときがはじめてだったように思う。子どもの頃の遊びは、たいてい仲のいい大勢で遊ぶもので、親たちからも、仲間はずれは駄目よ、などといわれたものだった。だから特定の子と2人だけで遊ぶなんて、ほとんどしたことがなかった。

そうだ、スーちゃんはぼくにとって生まれてはじめての親友だったのだ。

夏休みが終わっても、ぼくらはほとんど毎日一緒にいた。もちろん、他の友達も一緒のときもあったけど、その中にいても2人が特別な結びつきでいる感覚はなんとなくあった。これからもずっと友達だと思っていた。このまま冬になっても、6年生になっても、中学生になっても、ずっとずっと友達でいるのだと、そう信じていた。

だけど、その友情は長くはつづかなかった。11月の終わりに、父親の都合で、ぼくが千葉市の学校に転校することになったのだ。

「遊びにこいよ」
「うん。いくよ」
「手紙も書けよな」
「うん。書く」

じゃあな、と大きく手を振り、ぼくたちはさよならした。じゃぁな。またな。必ずまた会って、野球やろうな……

転校先の学校に野球チームはなく、かわりにサッカーのクラブがあった。サッカーなんてやったことがないし、興味もわかなかったが、運動ができそうだという理由で半ば強制的に入部させられた。練習はきつく、おまけに朝練、放課後練が休みなくあり、ぼくの生活は一気にサッカー一色となった。

流されるままにはじめたサッカーだったが、しだいにおもしろくなり、率先してうまくなろうと練習にも熱を入れるようになった。新しい仲間とも徐々に親しさが増していき、前の学校のことを思い出すことも減っていった。野球も観なくなった。すっかり興味がなくなってしまったのだ。

スーちゃんのことも、あまり思い出さなくなっていた。会いたいとは思ったけど、子どもの身分ではそうそう会いにいけるはずもなかった。電車賃もこづかいだけでは足りなかったし、そもそもサッカーの練習で忙しくて会いにいく時間がなかった。

やがて中学生になり、新たな仲間も増えた。さらに高校生になり、また新しい生活がはじまると、もはや小学生の頃のことなど思い出にすぎなくなった。スーちゃんことも、忘れはしないものの遠い存在になった。

そうやって月日は流れ、さらに信じられないくらいの年月が流れて、ぼくは50をすぎたおっさんになった。おっさんになり、休みの日にこうして野球を観ながら、ビールを飲んでいる。

スーちゃんはどうなったんだろう。

あれから何をして、どのような学生生活をすごし、どんなふうに成長していったのだろう。どんな友達と、どんな思い出をつくり、どんな経験を重ねていったのだろう。何を思い、何を大切にして、どのように生きていったのか。仕事は何をしているのだろう。家庭は持ったのか。どんな大人になっているのだろう。すっかりかわってしまったか。それともあの頃とかわらないスーちゃんのままだろうか。

そしてときどきは、昔のことを思い出すこともあるだろうか。

ぼくのことは……、ぼくのことを思い出すことはあるだろうか。

あの夏、カクテル光線に包まれた神宮球場で、ありったけの声で選手たちに声援を送ったあの日のことを、ほんのたまにでも思い出すことはあるだろうか。

今のぼくのように。

スーちゃん、おれはあの頃と何もかわっていないよ。もちろん、もう野球はやっていないし、サッカーだってやってない。観ることすらしない。そういうものとは無縁のおっさんだよ。

だけどおれは何もかわっちゃいない。あの頃と1ミリだってかわっていない。野球がサッカーにかわって、その後もいろんなことに夢中になって、そうやってずっと何かに熱中しながらここまできた。今は仕事だ。料理人という、おでん屋の親父という、たいして儲からないその仕事が好きなんだ。あの頃と同じだよ。野球少年だったあの頃と同じままだよ。

会いたいなあ、と思う。ぼくの店は市川市にあって、当時ぼくたちがすごした鎌ヶ谷からそう遠くない。何度か車や自転車でいったことはある。スーちゃんの家はまだそこにあったが、昔とちがって酒屋ではなくなっていた。だからたずねる口実もなく、いつもとおりすぎるだけだった。

だけどきっと、いつか会えると思っている。

神様のいたずらで、スーちゃんがなんの気なしに入る居酒屋が、ぼくの店であるとか…‥

じゅうぶんあり得ることだ。

ぼくたちの出会いだって、たまたまクラスが一緒になり、たまたま班が一緒になった。たったそれだけではじまったのだから。神様のいたずらから、ぼくたちの友情ははじまったんだ……

試合が終わった。4対1でタイガースが勝った。ぼくは立ち上がり、人の波にまぎれて球場をあとにした。信濃町駅から、自宅のある駅まで列車に揺られる。オフの1日が終わっていく。明日からまた仕事だ。憂鬱だなあ、とは思わない。あの頃と同じ、グローブとバットを持って空き地に向かったあの頃と同じ気持ちで、ぼくは店に入る。これからもずっと、ずっとかわらない、ぼくは永遠に野球少年のままだ。


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真面目が一番の武器になる

10年前の9月28日、市川市内にあるおでん屋で、ぼくは料理人としての第一歩を踏み出した。

その店は、東京の日本橋の老舗のおでん屋で長年店長を務めていた人が出した店で、その時点ではオープンして1年半とまだ新しかった。

働ける店をさがしているときにたまたまその店をみつけ、そしてその店がたまたま従業員を募集していた。こいつは神様のお導きだと興奮しながら、貼り紙に書いてあった電話番号をメモし、少し離れた場所からかけた。自分の年齢(すでに40を超えていた)とほとんど未経験(20歳前後の頃に2年ほど飲食業に従事したがだいぶ昔なのでふせておいた)だということを告げ、後日面接にこぎつけた。

当日、ぼくはスーツにネクタイという出立ちで面接に挑んだ。たかだか居酒屋のアルバイトの面接にはおおげさかなとも思ったが、こっちは修業のつもりだし、それにけじめは大切だ。

ガチガチに緊張しつつも、自分はこの歳で未経験だけれど、何だってやるし、どんなにきつくても大丈夫です、この仕事をおぼえて、将来こんな店をやりたいんです、と思いのたけをぶつけた。

1週間後に連絡する、といわれ、面接は終わった。ぼくはガチガチの緊張のまま、よろしくお願いします、この店で働きたいです、と二等兵みたいに勢いよく頭を下げ、店を辞した。ここで働きたいと本気で思った。ここしかないと強く思った。やってやるぜと採用される前からすでに心が燃えていた。大丈夫だ、必ず採用される。年齢や経験値を考えると不安なるが、おでん屋といえば○△(店名)といわれる店が通勤可能な場所にあり、そこがたまたまこのタイミングで従業員を募集していたのだ。これが神の導きでなくて何だというのか。

だが1週間がすぎても連絡はなかった。あきらめきれずに連絡を待ちつづけたが、その翌日も、そのまた翌日も電話はこなかった。

やっぱり年齢がいきすぎていたか……

店主が60歳を超えたくらいの人だったから大丈夫かなと思っていたが、やはり40すぎで未経験だと店としてはマイナスにしかならないと判断されたのだろう。

面接から2週間、あきらめて次の店をさがそうと思いはじめた頃、電話がきた。とりあえず10日間ほど試用期間として、次の金曜からこれるかというものだった。

その金曜日が2012年9月28日で、ぼくのキャリアのスタートとなった。

持ち場はおでん鍋の前。つまりカウンターがぼくのポジションだった。客を迎え、注文を訊き、ドリンクをつくり、おでんを皿に盛って出す。一品料理のオーダーを受けたら裏の厨房の店長にとおす。お会計とお見送りもぼくの仕事だ。

華々しいデビューではなかった。ほろ苦デビューともいえなかった。泣きたいくらいに散々なスタートだった。毎日毎日ドジばかりで、終始叱られっぱなし。だけどこっちとしても何をどう動けばいいのかわからないから対処のしようがないのだ。それでも客は容赦なくやってくる。注文も怒涛のように飛んでくる。やったことのないスポーツの試合にいきなり出場させられたような感じだった。

何日経ってもその状態はつづいた。その間ぼくは思うように動けないまま、ただただ、はい、はい、すみません、を繰り返すばかりだった。とにかくガチガチなのだ。客には笑顔を見せろと店長はいうが、とてもじゃないけどそんな余裕はなかった。

そしてある日の営業の終わり頃、改まった口調で店長に呼ばれた。その真剣な顔つきを見て、ぼくはクビを覚悟した。

「もっと自信を持て」
「はい……」
「おまえが新人だとか、そんなのはお客さんには関係ないんだからな」
「はい……」
「いいんだ、自信持って。大丈夫だから」
「……」
「大丈夫だって。入って数日でそこまでできてるんだから。上出来だから」
「……!」
「おれはな、おまえの真面目なところを買ってんだ。真面目ってのは、一番の武器なんだ」
「……」
「心配すんな。おれはおまえが根を上げないかぎりはやめさせたりしないから。そのかわりもっと自信を持て。堂々としてろ。今みたいにガチガチだとお客さんが不安になるからな」

その言葉が魔法となって、その後は思い切って仕事ができた。もちろん完璧にこなせるようになったわけではないけど、ひとつ、またひとつと仕事を覚えていくたびぼくは自由になった。まわりが見えるようになっていった。

そうだ、真面目は一番の武器なんだ……。

その言葉をお守りに、ぼくは一生懸命やった。とにかく全力で仕事した。それがぼくを捨てずにいてくれた店長に対する恩義だと思った。

だいぶ後に聞いた話だが、その頃、店の常連客や店長の家族(奥さんと娘さんがたまに手伝いにきていた)はみんな口をそろえてぼくをやめさせた方がいいといっていたらしい。居酒屋みたいな酒飲み相手の仕事は、ああいうクソ真面目なやつには務まるはずがない、と。

店長だけがちがったのだ。店長だけが、どんな仕事だろうが真面目なやつが最後には物になるんだといい、ぼくを雇いつづけると決めてくれたのだ。

あれから10年が経ち、自分の店を持った今でも、あのとき店長にもらった言葉、真面目が一番の武器だというあの言葉は、お守りとしてぼくの胸の中にある。

ぶっちゃけていえば、ぼくの店なんだから、サボろうと思えばいつだってサボれるのだ。お客さんがこない日は早じまいして、何なら常連さんと飲みに出かけたって文句はいわれないのだ。営業中、酒を飲みながら仕事したってかまわないのだ。現にそうした店は腐るほどある。だけどぼくはそうはしない。どんなに閑古鳥が鳴こうと1分たりとも早じまいはしないし、お客さんにすすめられても営業中は酒は飲まない。居酒屋なんだから、不真面目にやっていいなんてことは絶対にないのだ。居酒屋だからこそ、酒飲み相手の仕事だからこそ、むしろ真面目にやらなきゃ駄目なんだとぼくは思う。ちょっとした気のゆるみで、店は朽ちていくのだから。

真面目にやっていこう。コツコツと、愚直に。

ぼくにはそれしか武器がないのだから。

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