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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

旅について 遊びについて 夢について 人生観について 本について 愛用品について ありったけの思いを語ります

 

「そうだ、京都、行こう」の精神で生きる

JR東海のキャンペーンで、「そうだ 京都、行こう」ってのがある。首都圏などからの観光客を京都に誘致するためのもので、はじまりは1993年、「わたしのお気に入り」のBGMをバックにしたCMで有名なアレだ。

「そうだ、京都、行こう」

そう思い立ってすぐに新幹線のチケットを取り、次の休日には京都を旅行する。そのフットワークの軽い感じが、ぼくの心に響いた。30年前に流れたそのCMが、その後のぼくの生き方の指針になった。

たとえば、前回このブログで書いたスキーも、そんな感じにはじめた。

そうだ、スキー、やろう……

そう思い立ち、すぐにネットで新幹線のチケットをさがしたのだ。そこで「JRスキースキー」という、往復の新幹線の料金とスキー場のリフト券がセットになったツアーを見つけた。ゲレンデによって異なるが、日帰りスキーで7000円台からあった。

そんなに安いなら、こりゃもういくしかない。ただネックは出発時間だった。一番近いスキー場でも、自宅を朝6時には出ないとならないのだ。そうなると朝5時か、遅くても5時半起きだ。これは普段の生活でぼくの寝る時間だった。昼夜が(正確には夜昼が)逆転してしまう。

まあなんとかなるだろう。車でいくとなると厳しいが、列車なら寝ていればいい。ましてや新幹線なら快適に寝られるはずだ。

決めた。スキーにいく!

いろいろあるスキー場から、ガーラ湯沢という上越新幹線の駅に直結しているゲレンデを選んだ。往復の交通費とリフト券がセットで7800円、スキーのレンタル代を合わせても15000円でお釣りがくる。

で、新幹線に乗って、ガーラ湯沢スキー場に向かった。去年の1月の話だ。

ガーラ湯沢駅の改札を出ると、もうそこがスキー場の受付だった。そこでリフト券を受け取り、さらに進むと、スキーとスノーボードのレンタル施設があった。ぼくはスキー板とブーツ、ストック、それとスキーウェアを借りた。ロッカールームで着替えを済ませると、ゴンドラに乗ってゲレンデに向かった。もうずっと興奮しっぱなしだった。

ゲレンデにつき、そこでぼくは大事なことに気づいた。スキー板の履き方がわからないのだ。そう、前回書いたが、ぼくはスキーの経験がほとんどないのだ。

手持ちのiPhoneを開き、「スキー履き方」で検索して、それを手本にスキー板を履いた。おっかなびっくりで雪の上を進み、初心者コースに向かうリフトに乗った。

で、すべった。

意外といけた。怖くなかった。それどころか楽しいと感じた。楽しい! いや、楽しすぎる! ヤバい。最高だ!

ハマった。どハマりだ。泥沼ハマりだ!

夕方の4時までめいいっぱいすべり、充足感たっぷりで帰途についた。帰りの新幹線で、早くも次の日帰りスキーツアーの予約をした。そこからシーズンが終わる5月の連休明けまで、いけるかぎりスキーにいった。

春夏を挟んで、今シーズンもまたスキーにいきまくった。もう自分の生活にスキーは欠かせないものとなった。それもすべては、「そうだ、スキー、やろう」という思いつきからはじまったのだ。

スキーだけじゃない。思い立ったらすぐに行動するのは、日々あらゆることで実践している。

そもそもこの店だって、そんなふうに思い立ってはじめたのだ。流石に人生をかけた決断だから「そうだ、京都、行こう」や「スキー、やろう」ほど軽くはなかったが、悩みに悩んだ挙句の決断ではなかったことは確かだ。直感的に「おでん屋でもやるか」と思い立ち、すぐに修業先をさがしはじめた。

そして、今の自分がいる。おでん屋の店主。この先の人生をかけるのに、わるくない仕事だ。

「そうだ、京都、行こう」

すべてはそこからはじまった。

この言葉が人生の指針であり、座右の銘といってもいい。この先の人生も、そんなふうにやっていこうと思っている。自分の直感を信じて、そしてすぐに行動する。

次は何をやらかすのか、自分でも予想がつかない。

楽しい人生だ。

肝心の京都には、いまだ縁がないけどね。



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大切なものを見失わないために 〜パンデミックが教えてくれたこと

店をオープンしてから5年は、仕事に全身全霊をかけていた。

17時から24時までの営業と、仕入れとしこみ、店の掃除、食器洗い、鍋洗い、片づけなど、すべてをこなすと、労働時間は1日16時間、多い日は19時間におよんだ。

週に一度の定休日も、おでんの出汁に火を入れたり、厨房を掃除したり、遠出して仕入れ先をさがしたりと、店のために使っていた。夜になれば飲みに出かけたけど、それだって、気になっている店や名のある店に出向いて、視察あるいは勉強にあてていた。

昔から本を読むのが好きで、小説やら実用書やら、ジャンルを問わずに片っぱしから読んでいたが、その時間すら店を出してからはなくなった。たまにあっても手にするのは料理に関するもので、和洋中のレシピ本や、巨匠と呼ばれる料理人の伝記などを読んでは、自分の肥やしにしていた。

店を出す前は、波乗りや山登り、草サッカーなど、趣味も多かったが、それらもいっさいしなくなった。趣味とか遊びとか旅行にいくとか、そういうものはすべて捨てたのだ。自分の店を持つというのはそういうことだと思ったし、その覚悟がなければ店なんて出せないと思っていた。

立ちどまったら負けだと思っていた。店を大きくすること、地域で一番の繁盛店にすること、それだけを考えて生きていた。

実際、店は繁盛していたし、結果が伴うから長時間労働も苦じゃなかった。もっともっとがんばって、もっともっと店をでかくしよう、この先の人生、そうやって生きていこう、そう思っていた。

そんなふうに5年間をすごした頃、世界中でパンデミックがはじまった。新型コロナウイルスの感染拡大だ。

ぼくの店も、テイクアウト営業に切りかえたり、自治体の要請にしたがって営業時間の短縮を余儀なくされたり、通常どおりの仕事ができなくなった。築き上げてきたものが潰えてしまう不安を抱きながら、一方で長時間労働をまぬがれて、息をつく自分もいた。

不意に与えられた自由な時間で、ぼくは新しいメニューの試作をはじめた。多くは将来的にメニューとして出すための酒のつまみだったが、ときにはイタリアンや中華やエスニック料理など、ジャンルを越えたものもやってみた。ボルシチとかクリームシチューとか、何時間もかけて煮こむ本格的な料理にもチャレンジした。それはすごく楽しい時間だった。あらためて自分は料理が好きだと感じた。考えてみれば、こんなふうに創造的に料理するなんて長いことしていなかった。店を出してからずっと、つくってもつくっても消費されていくメニューを、ただただつくりつづけるだけの日々だったのだ。

また家族のために時間を使うこともできた。外出自粛など行動制限はあったけど、車で出かけたり、コーヒーを飲みながら話したり、近所を散歩したり、長い時間をともにできた。そうすることで相手も喜んだし、自分自身も気持ちが満たされた。とてもおだやかで、やさしい時間だった。

新しい趣味もはじめた。

ウイルスの感染が拡大したり落ちついたりがくり返される中、可能な範囲で何か楽しめることはないかと思いはじめたのが、去年の冬だった。ぼくはスキーをはじめた。屋外のスポーツだからウイルスの感染もしにくく、昔とった杵柄でふたたびスキーをはじめる中高年が増えた、というニュースを聞いて、ちょっとその気になったのだ。

ただぼくの場合は中高年ではあるものの「昔とった杵柄」ではなかった。小学生のときに一度、20歳のときに一度、無理やり連れていかれたことがあるだけで、まったくの初心者同様だった。50すぎの手習いにしてはハードルが高い気もしたが、とにかくやってみることにした。

……で、ハマった。泥沼だ。

そのシーズンは全部で9回スキーにいった。2シーズン目となる今シーズンは16回いった。何度いっても飽きない。それどころか益々ハマっていく。おそらく来シーズンもその次のシーズンも、体力がつづくかぎり同じペースでスキー場にかようだろう。

そんなわけで、今ぼくの店の定休日は、月曜火曜となっている。営業日の労働時間はあいかわらずだが、週に二日休むことで生活の質が向上した。もちろんその分、売り上げは減るけど、自分にとって何が大切かを考えたら、その時間は必要だ。

そう、自分にとって何が大切か……

店は大切だ。この仕事が好きだし、自分の店をもっとよくしたい気持ちはかわらない。だけどそれだけでいいのか。自分の店のために全力を注ぐだけの人生でいいのだろうか。

立ちどまったたら負けだ。

以前はそう思っていた。だから走りつづけた。この先もずっと走りつづけて、誰にも負けない自分になるんだと、そう思っていた。だけど……

誰かがいっていた。


I life moves pretty fast.
If you don’t stop and look around once in a while, you could miss it.

人生は早い。
時に立ち止まり、周りを見ないと、大切なものを見失う。



偶然に与えられた時間が、ぼくに立ちどまることを教えてくれた。コロナ禍で失ったものも多かったけど、一方で、たいせつなものに気づかせてもくれた。

定休日が二日もあるなんて、店を出した当初は考えられなかった。でも今は、休みが二日あることで、穏やかな気持ちになれる。やさしい心が持てる。仕事のうえでも同じだ。どこにも負けない店をめざすという勝負からおりたことで、お客さん一人一人に気持ちを注ぐことができるようになった。

5月の連休明けの定休日を最後に、今シーズンのスキーは終わった。ここから半年、ぼくはまた無趣味な人間になる。休みの日には、カフェで読書したり、まちを散歩したり、家族と出かけたり、友人と会って話したり、そうやって穏やかでやさしい時間をすごそうと思う。

大切なものを見失わないように。

人生は早いから。


 
 

石川県珠洲市の地震

父方の出身地である石川県珠洲市が震度6強の地震に見舞われた。去年の6月にも大きな地震があったが、今回のはそれよりも激しい揺れ方だったらしい。

珠洲市には従姉妹(といっても年齢は父と同じくらいで、その息子や娘すらぼくより年上だ)が二人いて、それぞれの家に電話した。一方は被害はなかったが、もう一方の家はかなりの被害があったという。その家は神社で、家屋だけでなく鳥居も倒壊したらしい。地震翌日の新聞の社会面にも名指しで載っていた。

幸い家族全員怪我などはなかったようだが、家の中はひっちゃかめっちゃかで、何から手をつければいいのかわからない状態だという。

何か力になれないものか。そうはいってもすぐにかけつけられる場所ではないし、仮にいけたとしても、余震がつづく今は、かえって迷惑なだけだろう。

見舞金を送ることにした。去年もそうした。そういうことを書くとちょっといやらしく思う人もいるかるしれないが、その感覚はたぶん日本人特有だろう。こまっている人がいたら助ける。当たり前のことだ。そのための道具なのだ、お金は。ましてや親戚なのだから、見舞金を送るのは当然のことだと思う。

父が生きていたら、きっと同じようにするだろう。今は父がいないのだから、息子のぼくがやらなくてはならない。

珠洲市は父の故郷であって、ぼくはそこで生まれたわけでも育ったわけでもない。だけど石川県は、父をふくめぼくの祖先が代々生きてきた地だ。そうぼくのルーツがそこにあるのだ。それに子どもの頃、夏休みのたびに遊びにいってた特別な場所でもある。子どもの頃のぼくや弟にとって、夏休みのその旅行は一番の楽しみだった。

大人になってから、つまり父がいなくなってからは足が遠かったが、それでも3度おとずれた。一度は母と二人で、一度は母と弟と三人で、もう一度は法事の際に一人でいった。

やっぱり懐かしかった。親戚たちも、家も、田んぼも、海も、山も、そのすべての匂いさえも、たまらなく懐かしかった。大好きな場所だと思った。

その大切な場所が被災した。

今なお余震がつづいているようだ。

心配だ。なのに何も力になれないのがもどかしい。

とりあえずお金を送ろう。あとは、これ以上、余震がつづかないよう祈るだけだ。



今回は私事の記事ですみません。読んでもあまりおもしろくなかったと思います。
代わりといってはなんですが、よろしければ、過去に、子どもの頃に石川県珠洲市を訪れたときの話を書いたので、ご一読ください。
   ↓
車の話〜スーパーカーへの思い
父の田舎〜スーパーカーへの思い②
父の田舎〜スーパーカーへの思い③

 
 

『BLUE GIANT』を観て

映画『BLUE GIANT』を観た。

『BLUE GIANT』(ブルージャイアント)は、石塚真一によりビックコミックで連載された漫画で、主人公の宮本大が世界一のサックスプレイヤーを目指して奮闘するサクセスストーリーだ(と一言で片づけるのは野暮かもしれないが)。その原作をアニメ化したものが、映画『BLUE GIANT』で、評判もいいので、先日のオフの日に観にいった。

で、感想だが、

よかった。

ものすごくよかった。

今まで観た映画の中で、一番泣いたかもしれない。去年観た『20歳のソウル』も泣いたけど、あれは悲しい映画で、しかも実話だから、そりゃあ泣くよね、って話で、感涙した映画って意味では今回観た『ブルージャイアント』が最高だろう。

同じくこの映画を観たっていうお客さんもたくさんいて、そのうちの1人が、漫画『BLUE GIANT』を貸してくれた。映画に感動して、その足でブックオフにいって全巻揃えたのだそうだ。まず弟さんに貸して、その後にぼくに貸してくれた。

映画もよかったけど、漫画もまたいい。

2時間に凝縮する映画とちがって漫画はかなりの細部まで描かれているから、登場人物への感情移入もより深くなる。主人公の大がガソリンスタンドのアルバイトで奮闘するシーンや、音楽の先生とのやりとりを描くシーンや、一人だけ大学受験に落ちてしまった友人を励ますシーンや、そういう些細な場面にも感涙してしまう。

まだ4巻までしか読んでいなくて、物語の舞台は仙台、大は高校生だ。ほとんどの生徒が大学受験に挑んでいるから、進学校なのだろう。

友人たちが大学受験をする一方で、大は一人東京行きを決意する。

そう、世界一のサックスブレーヤーになるために。

そうなのだ。この漫画のキーワードはズバリ『世界一』だ。主人公の大はことあるごとに世界一、と口にする。世界一になる、世界一のジャズプレーヤーになる、と。

口だけでなく、全身全霊でそれを実現させようとしている。世界一のジャズプレーヤーになるための努力や挑戦が、並大抵ではないのだ。だから言葉に厚みがあるし、その熱で周囲を巻きこんでいくのだろう。

世界一。

なんて熱い言葉だろう。ものすごくでっかい夢だろう。

遠い昔、ぼくもまた大と同じ高校生だった。世界一とは口にしなかったけど、ビッグになるぜ、が口ぐせのクソガキだった。夢はあったし、その夢を追いかけて、そのためだけに生きていた。

その夢はしかし、かなうことはなかった。

そして今、とある下町でおでん屋をやっている。経営者といえば聞こえはいいが、実際は従業員一人いない小さな店の一人親方だ。ビッグになるどころか、食っていくのが精一杯という、ちっぽけな人生。世界一なんて、夢のまた夢だ。

あの頃の自分を振り返ってみて、もうちょっとがんばれたなあとか、もっと戦えたなあとか、そんなふうに思うこともある。もう少しうまくやれたよなとか、人の手を借りてもよかったよなあとか、あそこで逃げずに勝負をしかけてもよかったなあとか。だけどあの頃はあの頃なりに全身全霊をぶつけてやっていたわけで、だから振り返ってああだこうだ考えたって意味はないのだ。結局はぼくに夢をつかむ何かが足りなかった、それだけなのだ。

で、おでん屋の店主におさまった。くり返すが、大の人生と比べて、ちっぽけな人生だ。

だけど、だけど、だ。小さなおでん屋だけど、それでも多くの人たちに愛されている実感がある。それだけで、ぼくはじゅうぶん幸せだ。

それに、こうも考えられる。

うちの店にかようお客さんの誰かが、ぼくの店を世界で一番好きな店だと思ってくれるなら……

それはそれで世界一といえるのではないか。

まあぼくの話はいいか。大のこれからの人生、正真正銘の世界一になっていくであろう軌跡を応援しようと思う。これを書き終えたら、第5巻を読みはじめるとするか。





 
 

カウンターはぼくのステージだ〜またはYUKIの武道館ライブの話

先日のオフの1日。

日本武道館にライブを観にいった。YUKIのステージだ。JUDY AND MARY解散後ソロになって今年で20年、それを記念したツアーだ。

前々から楽しみにしていて、チケットもかなり前からとっていて、ついにその当日になって、ワクワクウキウキしながら九段下の日本武道館に向かった‼︎

……というわけではない。

チケットを入手したのは当日の早朝5時、チケジャムというサイトから、いけなくなった人のチケットを譲っていただいたのた。

で、ライブにいこう、ってことになったわけだ。いつものぼくのパターン。衝動的な行動だ。

降りしきる雨の中、日本武道館についた。人生初の武道館だ。

席は2階席の中央左よりで、まあわるくなかった。左右の人もそれぞれ一人で観にきてるらしく、何このおっさん一人できてるよ、って思われる心配もなくなった。

それにしてもすごい人の入りだ。満席、いや超満員だ。これだけの人を呼ぶのだから、ミュージシャンってすごいよなあ。いや、YUKIがすごいというべきか。

18時半、会場が暗くなり、すぐにスポットライトが走って、その先にYUKIが現れた。彼女のパワフルな声が響き出すと、客席のボルテージは一気に上がった。

そこからはもう駆け抜けるような2時間半だった。

途中、少しだけYUKIのMCがあったものの、ほとんど歌いつづけていた。本物の、プロフェッショナルのミュージシャンのステージがそこにあった。

MCでYUKIはファンに向けて、ありったけの感謝を伝えていた。これだけすごい数のファンがきてくれた喜びを、そのまま言葉にしていた。本当にうれしそうだった。感無量という感じがこっちにも伝わってきた。

で、また歌いはじめる。

完璧なステージだった。個人的にはとくに大ファンというわけでもないから(おいおい、野球観戦のとき→参照あの日の少年とおんなじかよ)、知らない曲ばかりだったけど、そのすごさはじゅうぶんに伝わってきた。たぶん、というか間違いなくゾーンに入っていた。

すごい眺めなんだろうなあ……

こうしたステージを観るたび、ぼくは向こう側から見る風景に思いを馳せる。この超満員の客席が、かれらにはどう見えるのか。今日のYUKIは、この風景をどう見ているのか、感じているのか。

最高な気分だろう。簡単な言葉だが、それしかない。今日の彼女の動きが物語っている。これだけのファンが自分のステージを観にきて、それに呼応して最高のパフォーマンスが生まれているのだ。

少しだけその感じはわかる。本当に少しだけだけど、本当に本当にスケールがちがう話だけど、ぼくにも同じような感覚がある。

自分の店が満席になったとき、カウンターから見るその風景はやっぱり気分がいい。せいぜい14、5人でいっぱいの小さな「箱」だけど、それでも席がうまったときの感覚は格別だ。

ゾーンに入ることもある。

ミュージシャンとちがって、客の注文に対してバタバタと動きまわるだけだけど、それでも「ノッテキタ」という感覚はある。料理をつくり、酒を注ぎ、余裕があればお客さんに声をかけ、そうやってバタバタと動きまわることが、ぼくにとってのステージなのだ。客はぼくの料理に満足し、その空間に感動し、元気になって帰っていく。それがぼくにも伝わり、さらに動きがキレキレになって、店内のボルテージは上がっていく。その感覚は、やっぱり最高の一言に尽きる。

そう、カウンターはぼくのステージなのだ。毎日の営業は、ぼくのライブなのだ。

YUKIや他のミュージシャンのように何万人も客は呼べない。だけどぼくの店は、ぼくのライブは、月曜と火曜を除いて毎日やっている。年間250のステージをこなしている。たったひとりで。

そうか、俺も向こう側の人間なんだ。そう思うと、ちょっぴりうれしくなった。

まあ、拙いライブかもしれないげど、お客さんに対する気持ちは負けない。チケットもいらない。少し入りづらいドアを開ければ、誰でも観れる。

そんなぼくのライブを、観にきてほしい。


当店のホームページはこちらから


 
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