山の仲間から誘いを受け、山梨県の不老山に登ってきた。
不老山は標高839.4m、コースタイムも1時間半程度の低山だ。山のキャリアがそこそこある男2人が登る山としては物足りないが、ゴールデンウィーク真っただ中ということもあり、人ゴミを避けて計画を立てた結果、ガイドブックに載っていないこの山に決まったのだ。また、ぼくが2年ほど山から遠ざかっているのも考慮してのことだった。
中央本線上野原駅に10時半待ち合わせ。前日、遅くまで店があったぼくにはありがたいスケジュール。これも低山ならでは、だ。
10時5分、上野原に到着。

おお、駅前の風景が古めかしくて、旅情をかきたてられるぜ。
バスで不老下へ。
ここから往復3時間足らずの山登りがはじまる。
相棒のOさん。かれと会うのも約4年ぶりだ。

ちなみに、かれは聴覚障害を持っている。だから会話はすべて手話でおこなう。
手話、ひさしぶりだから、思うように手が動かない。かつては私的な場であれば、手話通訳もできるほどだったのにな。
まあ、心が通じ合えばいいのさ。山の友達に、必要以上の言葉はいらない。
2人、もくもくと歩き、登山口へ。

計画は成功。ゴールデンウィークだというのに、ほとんど人とすれちがわない。静かな山登り。名のある山だったら、こうはいかなかった。
途中、金毘羅宮に立ちよる。

そこからの眺めもわるくない。

さらに登る。

低山ながら、意外と急登。
そして、山頂へ。

南側の眺めがいい。写真ではわからないが富士山も見える。

昼飯。レーズンの食パンにチーズをはさみ、トマトスープとともにぱくつく。
1時間ほど休んで下山。

下りは速い。2人とも、ほとんど小走りだ。
で、無事、下山。
バスで上野原駅に戻り、列車ら乗って高尾まで。ここで温泉に入る。
温泉から出て、駅前の居酒屋で打ち上げ。
ここで2人の近況について語った。Oさん、外資系のでっかい会社に勤めていたのだが、昨年、「肩たたき」にあったらしい。次の仕事は、5月の中旬すぎにはじまるという。
ぼくもぼくで、Oさんと会わない4年間で人生が大きくかわった。自分の店を持つべく、今は料理の道を歩いている。そんな話を、ようやく思い出してきた手話で話す。
ビール2本(おれはいつだって生ビールじゃなく瓶ビールだ)、芋焼酎のロックを2杯、飲みほしたところで時計を見ると、9時ちょっとすぎ。まだまだイケるじゃん……
……と思うが、ここは高尾なのだった。自宅のある千葉まで2時間以上かかる。そろそろ引き上げようか。
京王線の列車で帰るOさんと、握手で別れた。
マタ、イッショニ、ヤマニノボロウ。
この手話だけは、どんなに離れていても忘れない。かれと出逢い、友達になってから、何度も交わした言葉だから。
マタ、イッショニ、ヤマニノボロウ。
ズットズット、イッショニ、ヤマニノボロウ。
不老山は標高839.4m、コースタイムも1時間半程度の低山だ。山のキャリアがそこそこある男2人が登る山としては物足りないが、ゴールデンウィーク真っただ中ということもあり、人ゴミを避けて計画を立てた結果、ガイドブックに載っていないこの山に決まったのだ。また、ぼくが2年ほど山から遠ざかっているのも考慮してのことだった。
中央本線上野原駅に10時半待ち合わせ。前日、遅くまで店があったぼくにはありがたいスケジュール。これも低山ならでは、だ。
10時5分、上野原に到着。

おお、駅前の風景が古めかしくて、旅情をかきたてられるぜ。
バスで不老下へ。
ここから往復3時間足らずの山登りがはじまる。
相棒のOさん。かれと会うのも約4年ぶりだ。

ちなみに、かれは聴覚障害を持っている。だから会話はすべて手話でおこなう。
手話、ひさしぶりだから、思うように手が動かない。かつては私的な場であれば、手話通訳もできるほどだったのにな。
まあ、心が通じ合えばいいのさ。山の友達に、必要以上の言葉はいらない。
2人、もくもくと歩き、登山口へ。

計画は成功。ゴールデンウィークだというのに、ほとんど人とすれちがわない。静かな山登り。名のある山だったら、こうはいかなかった。
途中、金毘羅宮に立ちよる。

そこからの眺めもわるくない。

さらに登る。

低山ながら、意外と急登。
そして、山頂へ。

南側の眺めがいい。写真ではわからないが富士山も見える。

昼飯。レーズンの食パンにチーズをはさみ、トマトスープとともにぱくつく。
1時間ほど休んで下山。

下りは速い。2人とも、ほとんど小走りだ。
で、無事、下山。
バスで上野原駅に戻り、列車ら乗って高尾まで。ここで温泉に入る。
温泉から出て、駅前の居酒屋で打ち上げ。
ここで2人の近況について語った。Oさん、外資系のでっかい会社に勤めていたのだが、昨年、「肩たたき」にあったらしい。次の仕事は、5月の中旬すぎにはじまるという。
ぼくもぼくで、Oさんと会わない4年間で人生が大きくかわった。自分の店を持つべく、今は料理の道を歩いている。そんな話を、ようやく思い出してきた手話で話す。
ビール2本(おれはいつだって生ビールじゃなく瓶ビールだ)、芋焼酎のロックを2杯、飲みほしたところで時計を見ると、9時ちょっとすぎ。まだまだイケるじゃん……
……と思うが、ここは高尾なのだった。自宅のある千葉まで2時間以上かかる。そろそろ引き上げようか。
京王線の列車で帰るOさんと、握手で別れた。
マタ、イッショニ、ヤマニノボロウ。
この手話だけは、どんなに離れていても忘れない。かれと出逢い、友達になってから、何度も交わした言葉だから。
マタ、イッショニ、ヤマニノボロウ。
ズットズット、イッショニ、ヤマニノボロウ。
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2月5日から6日にかけて丹沢にいってきた。
道志渓谷の東野から登って黍殻避難小屋で一泊、そこから丹沢主脈に入り、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳を縦走して大倉に抜けるコースだ。
けっこう歩きがいがあった。
とくに黍殻小屋から大倉まで歩いた2日目は、歩きに歩いた。
朝3時に起き、豚汁風ベーコン汁(豚肉のかわりにベーコンを使った豚汁)と食パンの朝めしで腹を満たし、寒さに震えながら荷造りして、4時半に小屋を発った。見上げると、星がヤバかった。絶好の1日になるぜ、とこみ上げる笑いをかみ殺し、真っ暗な山道を歩きはじめた。
快調な足取りで進んでいたのだが、姫次でメモ帳(命の次に大事なモールスキンのノートだ)を忘れたのに気づいた。ふざけんなよお、と泣きそうになりながら、駆け足で取りに戻った。往復1時間20分の距離を30分で往復したが、このロスは痛く、蛭ヶ岳で日の出を見る計画はふいになった。(もともときつい計画ではあったが)
時間をロスしたことで、先を急ぐ気持ちが消えた。これはよかった。ゆっくりと歩くことで、周囲の風景に目をやる余裕が生まれた。少しずつ明けていく朝。紫色の朝。そこに広がる白い山肌。冬枯れの樹林。枯れ木の枝を揺らす鳥の影。じっとたたずむシカの親子。
歩き出したときは満天の星だったのに、蛭ヶ岳への急坂を登る頃には、山は白いガスに覆われた。期待していた展望が邪魔されるが、白い雪の道を、白いガスに覆われつつ歩くのは、それはそれで冬山のよさといえた。
予想どおり、雄大であるはずの蛭ヶ岳からの展望は、ガスに消されてほとんど見えなかった。ぼくは長居をやめ、すぐに歩き出した。
ヤスリのような鋭い風が、稜線を横殴りにしていった。ぼくはニット帽を深くかぶり、歯をきつくかみながら歩いた。ガスの切れ間から覗く丹沢山塊の情景が、ものすごい迫力でぼくの心に迫った。この高度感こそが山の醍醐味だ。
丹沢山についた。ここでも長居せず、立ちどまらずに縦走をつづけた。すれちがう人が少ないのがありがたかった。勝手ないい分だが、1人の山のときは、なるべく人がいない方がいい。自分との対話をつづけたいから。
塔ノ岳につくと、その願いははかなく消えた。人がおおぜいいるのだ。さっきまでの静けさは何だったのだろう。西から東から人がやってきては、わいわいと写真を撮り、弁当を広げ、西へ東へ立ち去っていく。
ぼくもここでザックを下ろし、用意した菓子パンを食った。
さて、どうするか……。
計画では、このまま大倉尾根を下って大倉に抜けるのだが、先月泊まった木ノ又小屋にもよっていきたい。往復1時間弱のより道だ。早朝から歩きどおしの、おまけに忘れ物を取りにトレイルランまでした身体には、正直いやな距離だ。だがご主人夫婦の笑顔と名物木ノ又コーヒーは、冷え切った身体をあっためてくれそうだ。ぼくは腕時計をちらりと見て、よし、とつぶやき、木ノ又小屋をめざした。気分によっては、表尾根からヤビツに下りてもいいと思いはじめていた。
早歩きで下り、15分ほどで木ノ又小屋についた。
あっ……
ドアに鍵がかかっている。
「休みですよ」
声がしたので振り向くと、中年の男の人がいた。
「何でも用事ができちゃったみたいで、今週は休むっていってましたよ。予約もなかったみたいだから」
「そうなんですか」
ご主人夫婦に逢えないのは残念だが、用事では仕方ない。ここは標高1300mの山の上だ。用事をすませてからくればいいという町の常識はあてはまらない。
「常連さんですか?」
ぼくが訊くと、男はいやいやと首を振った。
「この小屋のボッカです」
ボッカとは、歩荷と書き、物資を背負って目的地まで歩いて輸送する人のことだ。丹沢では、みやま山荘(丹沢山山頂の小屋)のような客が多いところ以外は、まだ荷揚げをボッカに頼っているらしい。鍋割山荘のご主人草野さんなどは、かつては100キロ以上の荷物を背負って登っていた。今も数十キロの荷物を、自力で小屋まで揚げているという。
「今日は尊仏山荘(塔ノ岳山頂の小屋)でボッカをやりたいって人がいるから、その紹介できたんですよ。山頂で待ち合わせてるんです」
では、といって、ボッカさんはまさに飛脚といったスピードで登っていった。荷物がないから、マジで速い。
ぼくもきた道を引き返した。ヤビツに下りようかとも考えたが、そこからだとバスの便が少ないから、当初の計画どおり大倉に下りることにした。
金冷しをすぎたあたりで、ボッカの人とすれちがった。背中に20キロのポリタンクが二つある。
「お疲れさまです」
声をかけると、ボッカの人は立ちどまり、両手を膝に置いて、どもども、とにいった。この寒いのに、薄いシャツと短パンの出で立ちだ。
「いやいや、千里の道も一歩だよ、一歩一歩」
自分を励ますようにいい、また登りはじめた。すれちがうほとんどの人から声援が飛んでいる。
しばらく遠ざかるボッカの姿を見つめ、ふたたび歩き出した。
ぼくはおととしの夏の南アルプスでの小屋番生活を思い出した。じつはぼくも三度ばかりボッカの経験があるのだ。
(注)ここから数行にわたって自慢話がつづくので、いやな方は飛ばしてください^_^;
1度目は椹島から赤石小屋まで、梅干しと菓子パンを運んだ。
2度目はカップラーメンが入った段ボール箱を8箱、椹島から赤石岳避難小屋(赤石岳の頂上)まで運んだ。これはきつかった。1120mの椹島から3120mの赤石岳は、標高差は2000mだ。ほとんどの人は途中の赤石小屋(2563.9m)に宿泊するくらいだから、その行程がいかにきついかわかるだろう。カップラーメンなんて軽いと思うだろうが、それが8箱あると、やっぱりきつい。加えてぼくの荷物もある。さらにさらに、その日は暴風雨だった。ほとんど意地で歩いた。バイトとはいえ、おれも小屋番のはしくれなんだ、という意識で、頂上に向かう2人の登山客を追い抜いた。その日、赤石岳避難小屋に宿泊したのは、その2人だけだった。その2人の客と、管理人のE田さんとぼくとで、その夜はおおいに酒を飲んで盛り上がった。
3度目は、その翌々日、E田さんの指示で、赤石小屋に灯油をもらいにいった。空のポリタンクを背に駆け足で赤石小屋に向かい、休む間もなく、20キロの灯油を背負って頂上に戻った。
あのときは、さっきすれちがったボッカのおじさんのように、登山客から声援を受けたものだった。声援を受けるとがぜん力がみなぎり、よせばいいのに顔に「楽勝」って表情を貼りつけつつ、駆け足で登ったものだった。(避難小屋に戻ったときは、ほとんど半死状態だった)
(注)自慢話におつきあいくださり、ありがとうございますm(__)m
そんなことを思い出しながら、にやにやと山を下った。つらい山小屋での3カ月だったが、こうして振り返ってみると、わるい思い出ばかりじゃなかった。
大倉に下りたのは、2時ちょっと前、ちょうどすぐに渋沢行きのバスがやってきた。
バスの中で、年配の女性が、山小屋の食事の悪口をいっていた。あんなものは山の上で食べるからおいしいのであって、町でなんて食べれたものじゃない、と。
ふざけんな、と思ったが、何もいわないでおいた。山小屋の苦労は、山小屋で働いた者にしかわからないのだ。
ぼくはその女性たちの会話から耳をそむけ、窓の景色を見た。冬枯れの田畑が、流れるように後方に去っていった。
またこよう、と思った。
今度は避難小屋ではなく、営業小屋泊まりで。
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道志渓谷の東野から登って黍殻避難小屋で一泊、そこから丹沢主脈に入り、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳を縦走して大倉に抜けるコースだ。
けっこう歩きがいがあった。
とくに黍殻小屋から大倉まで歩いた2日目は、歩きに歩いた。
朝3時に起き、豚汁風ベーコン汁(豚肉のかわりにベーコンを使った豚汁)と食パンの朝めしで腹を満たし、寒さに震えながら荷造りして、4時半に小屋を発った。見上げると、星がヤバかった。絶好の1日になるぜ、とこみ上げる笑いをかみ殺し、真っ暗な山道を歩きはじめた。
快調な足取りで進んでいたのだが、姫次でメモ帳(命の次に大事なモールスキンのノートだ)を忘れたのに気づいた。ふざけんなよお、と泣きそうになりながら、駆け足で取りに戻った。往復1時間20分の距離を30分で往復したが、このロスは痛く、蛭ヶ岳で日の出を見る計画はふいになった。(もともときつい計画ではあったが)
時間をロスしたことで、先を急ぐ気持ちが消えた。これはよかった。ゆっくりと歩くことで、周囲の風景に目をやる余裕が生まれた。少しずつ明けていく朝。紫色の朝。そこに広がる白い山肌。冬枯れの樹林。枯れ木の枝を揺らす鳥の影。じっとたたずむシカの親子。
歩き出したときは満天の星だったのに、蛭ヶ岳への急坂を登る頃には、山は白いガスに覆われた。期待していた展望が邪魔されるが、白い雪の道を、白いガスに覆われつつ歩くのは、それはそれで冬山のよさといえた。
予想どおり、雄大であるはずの蛭ヶ岳からの展望は、ガスに消されてほとんど見えなかった。ぼくは長居をやめ、すぐに歩き出した。
ヤスリのような鋭い風が、稜線を横殴りにしていった。ぼくはニット帽を深くかぶり、歯をきつくかみながら歩いた。ガスの切れ間から覗く丹沢山塊の情景が、ものすごい迫力でぼくの心に迫った。この高度感こそが山の醍醐味だ。
丹沢山についた。ここでも長居せず、立ちどまらずに縦走をつづけた。すれちがう人が少ないのがありがたかった。勝手ないい分だが、1人の山のときは、なるべく人がいない方がいい。自分との対話をつづけたいから。
塔ノ岳につくと、その願いははかなく消えた。人がおおぜいいるのだ。さっきまでの静けさは何だったのだろう。西から東から人がやってきては、わいわいと写真を撮り、弁当を広げ、西へ東へ立ち去っていく。
ぼくもここでザックを下ろし、用意した菓子パンを食った。
さて、どうするか……。
計画では、このまま大倉尾根を下って大倉に抜けるのだが、先月泊まった木ノ又小屋にもよっていきたい。往復1時間弱のより道だ。早朝から歩きどおしの、おまけに忘れ物を取りにトレイルランまでした身体には、正直いやな距離だ。だがご主人夫婦の笑顔と名物木ノ又コーヒーは、冷え切った身体をあっためてくれそうだ。ぼくは腕時計をちらりと見て、よし、とつぶやき、木ノ又小屋をめざした。気分によっては、表尾根からヤビツに下りてもいいと思いはじめていた。
早歩きで下り、15分ほどで木ノ又小屋についた。
あっ……
ドアに鍵がかかっている。
「休みですよ」
声がしたので振り向くと、中年の男の人がいた。
「何でも用事ができちゃったみたいで、今週は休むっていってましたよ。予約もなかったみたいだから」
「そうなんですか」
ご主人夫婦に逢えないのは残念だが、用事では仕方ない。ここは標高1300mの山の上だ。用事をすませてからくればいいという町の常識はあてはまらない。
「常連さんですか?」
ぼくが訊くと、男はいやいやと首を振った。
「この小屋のボッカです」
ボッカとは、歩荷と書き、物資を背負って目的地まで歩いて輸送する人のことだ。丹沢では、みやま山荘(丹沢山山頂の小屋)のような客が多いところ以外は、まだ荷揚げをボッカに頼っているらしい。鍋割山荘のご主人草野さんなどは、かつては100キロ以上の荷物を背負って登っていた。今も数十キロの荷物を、自力で小屋まで揚げているという。
「今日は尊仏山荘(塔ノ岳山頂の小屋)でボッカをやりたいって人がいるから、その紹介できたんですよ。山頂で待ち合わせてるんです」
では、といって、ボッカさんはまさに飛脚といったスピードで登っていった。荷物がないから、マジで速い。
ぼくもきた道を引き返した。ヤビツに下りようかとも考えたが、そこからだとバスの便が少ないから、当初の計画どおり大倉に下りることにした。
金冷しをすぎたあたりで、ボッカの人とすれちがった。背中に20キロのポリタンクが二つある。
「お疲れさまです」
声をかけると、ボッカの人は立ちどまり、両手を膝に置いて、どもども、とにいった。この寒いのに、薄いシャツと短パンの出で立ちだ。
「いやいや、千里の道も一歩だよ、一歩一歩」
自分を励ますようにいい、また登りはじめた。すれちがうほとんどの人から声援が飛んでいる。
しばらく遠ざかるボッカの姿を見つめ、ふたたび歩き出した。
ぼくはおととしの夏の南アルプスでの小屋番生活を思い出した。じつはぼくも三度ばかりボッカの経験があるのだ。
(注)ここから数行にわたって自慢話がつづくので、いやな方は飛ばしてください^_^;
1度目は椹島から赤石小屋まで、梅干しと菓子パンを運んだ。
2度目はカップラーメンが入った段ボール箱を8箱、椹島から赤石岳避難小屋(赤石岳の頂上)まで運んだ。これはきつかった。1120mの椹島から3120mの赤石岳は、標高差は2000mだ。ほとんどの人は途中の赤石小屋(2563.9m)に宿泊するくらいだから、その行程がいかにきついかわかるだろう。カップラーメンなんて軽いと思うだろうが、それが8箱あると、やっぱりきつい。加えてぼくの荷物もある。さらにさらに、その日は暴風雨だった。ほとんど意地で歩いた。バイトとはいえ、おれも小屋番のはしくれなんだ、という意識で、頂上に向かう2人の登山客を追い抜いた。その日、赤石岳避難小屋に宿泊したのは、その2人だけだった。その2人の客と、管理人のE田さんとぼくとで、その夜はおおいに酒を飲んで盛り上がった。
3度目は、その翌々日、E田さんの指示で、赤石小屋に灯油をもらいにいった。空のポリタンクを背に駆け足で赤石小屋に向かい、休む間もなく、20キロの灯油を背負って頂上に戻った。
あのときは、さっきすれちがったボッカのおじさんのように、登山客から声援を受けたものだった。声援を受けるとがぜん力がみなぎり、よせばいいのに顔に「楽勝」って表情を貼りつけつつ、駆け足で登ったものだった。(避難小屋に戻ったときは、ほとんど半死状態だった)
(注)自慢話におつきあいくださり、ありがとうございますm(__)m
そんなことを思い出しながら、にやにやと山を下った。つらい山小屋での3カ月だったが、こうして振り返ってみると、わるい思い出ばかりじゃなかった。
大倉に下りたのは、2時ちょっと前、ちょうどすぐに渋沢行きのバスがやってきた。
バスの中で、年配の女性が、山小屋の食事の悪口をいっていた。あんなものは山の上で食べるからおいしいのであって、町でなんて食べれたものじゃない、と。
ふざけんな、と思ったが、何もいわないでおいた。山小屋の苦労は、山小屋で働いた者にしかわからないのだ。
ぼくはその女性たちの会話から耳をそむけ、窓の景色を見た。冬枯れの田畑が、流れるように後方に去っていった。
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遊びを犠牲にしていろいろとやっているが、そのせいでひどい運動不足だ。
そろそろ山を再開しようかと思い、昨日、仕事が終わってから、ひさしぶりにジョギングした。一周2キロのコースがある公園が近所にあるので、そこを軽く三周ほど……の予定が、二周でギブアップ……しそうになったのを、自分に負けるくせがついちゃたまらん、とふんばり、……ふんばり……、どうにかこうにか三周した。
以前に比べてだいぶ遅くなったが、運動不足が3カ月以上つづいているわりには走れたんじゃないかと思う。
で、明日はオフなので、奥多摩のどこかにでも登ろうとかなと考えていた。そこへ用事が入ってきて、あえなく計画は白紙になった。
まただ。
こんなことが、もうずっとつづいてる。
単独行の山を計画するからだ(今の仕事の休日がシフト制で平日休みが多いので仕方ないのだが)。単独行は誰との約束でもなく、だからちょっとした用事ができると、そちらの方を優先してしまうのだ。
いかんいかん。
そうやって遊びを忘れて、つまらない人間になっていくのだ。
仕事×遊び×人間関係=人間性
これがぼくの考える方程式だ。
今のぼくは仕事だけだ。これでは仕事した分だけしか成長できない。
よし、人を誘って山にいこう!
そう考えていたところへ、タイミングよく、友人から山のお誘いメールがきた。
日程は来年のはじめ、まだ一月先の話だが、すぐにいくと返事した。するとうきうきしてきた。ひさしくわかなかった感情だ。
やっぱり山はいい。そしてもちろん友も。
送られてきた計画書を見ると、予定の山は丹沢の塔ノ岳と大山で、宿泊は木ノ又小屋。
いいね。いいね。
みんなありがとう。
とりあえず足を引っ張らないように、その前に一度どこかに登らなきゃな。
ホントにありがとう。
http://shigerumichishita.blog86.fc2.com/
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そろそろ山を再開しようかと思い、昨日、仕事が終わってから、ひさしぶりにジョギングした。一周2キロのコースがある公園が近所にあるので、そこを軽く三周ほど……の予定が、二周でギブアップ……しそうになったのを、自分に負けるくせがついちゃたまらん、とふんばり、……ふんばり……、どうにかこうにか三周した。
以前に比べてだいぶ遅くなったが、運動不足が3カ月以上つづいているわりには走れたんじゃないかと思う。
で、明日はオフなので、奥多摩のどこかにでも登ろうとかなと考えていた。そこへ用事が入ってきて、あえなく計画は白紙になった。
まただ。
こんなことが、もうずっとつづいてる。
単独行の山を計画するからだ(今の仕事の休日がシフト制で平日休みが多いので仕方ないのだが)。単独行は誰との約束でもなく、だからちょっとした用事ができると、そちらの方を優先してしまうのだ。
いかんいかん。
そうやって遊びを忘れて、つまらない人間になっていくのだ。
仕事×遊び×人間関係=人間性
これがぼくの考える方程式だ。
今のぼくは仕事だけだ。これでは仕事した分だけしか成長できない。
よし、人を誘って山にいこう!
そう考えていたところへ、タイミングよく、友人から山のお誘いメールがきた。
日程は来年のはじめ、まだ一月先の話だが、すぐにいくと返事した。するとうきうきしてきた。ひさしくわかなかった感情だ。
やっぱり山はいい。そしてもちろん友も。
送られてきた計画書を見ると、予定の山は丹沢の塔ノ岳と大山で、宿泊は木ノ又小屋。
いいね。いいね。
みんなありがとう。
とりあえず足を引っ張らないように、その前に一度どこかに登らなきゃな。
ホントにありがとう。
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ウェザーニュースによると、関東地方の各地でも紅葉の見ごろを迎えている。
日本地図から栃木県をクリックした。
奥日光湯ノ湖畔、湯滝、竜頭の滝、が見頃となっている。
ぼくが好きな奥日光……。
ぼくが一番好きな山、日光白根山がそびえているところ……。
そこが見頃を迎えている。いや、迎えてしまった……。
今年のぼくの山登りの目標に、「冬山シーズンが終わる五月以降、毎月一度、日光白根山に登る」というのがあった。これは同じ山を月一で登ることによって季節感を味わうことと、厳冬期にこの山を登るために登山コースを徹底的に頭にたたきこむこと、の二つの動機があった。
だが今年の猛暑で、7月、8月と早くも目標から挫折した。その惰性で9月にもいかず、せめて、せめて紅葉の日光白根山だけは登る! とひそかに誓っていたのだが、結局また行かずじまいとなった。
情けない……。
情けない、が、仕方ないのだ。
今はべつにやるべきことがあるのだから。
まずは仕事だ。新しい仕事! そこをしっかりと築き上げないうちは、山にいっても楽しめないだろう。
といわけで、今日もパソコンの前で、シャカシャカ仕事した。
しっかりとした収入を確保できるようになるまで、遊びはお預けだ。
仕事が軌道に乗ったら、日光白根でも、甲斐駒でも、剣岳でも、槍ヶ岳でも、穂高でも、大雪でも、インドでも、ケニアでも、カナダでも、アラスカでも、ロンボク島でも、好きなところに行ってやる!
と、決意したところへ、友達からメールがきた。
「11月6日~7日、鍋割山(丹沢)にみんなで行こうぜ」ってお誘い。
心が揺れる……。
それくらい、いいかな。
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奥日光湯ノ湖畔、湯滝、竜頭の滝、が見頃となっている。
ぼくが好きな奥日光……。
ぼくが一番好きな山、日光白根山がそびえているところ……。
そこが見頃を迎えている。いや、迎えてしまった……。
今年のぼくの山登りの目標に、「冬山シーズンが終わる五月以降、毎月一度、日光白根山に登る」というのがあった。これは同じ山を月一で登ることによって季節感を味わうことと、厳冬期にこの山を登るために登山コースを徹底的に頭にたたきこむこと、の二つの動機があった。
だが今年の猛暑で、7月、8月と早くも目標から挫折した。その惰性で9月にもいかず、せめて、せめて紅葉の日光白根山だけは登る! とひそかに誓っていたのだが、結局また行かずじまいとなった。
情けない……。
情けない、が、仕方ないのだ。
今はべつにやるべきことがあるのだから。
まずは仕事だ。新しい仕事! そこをしっかりと築き上げないうちは、山にいっても楽しめないだろう。
といわけで、今日もパソコンの前で、シャカシャカ仕事した。
しっかりとした収入を確保できるようになるまで、遊びはお預けだ。
仕事が軌道に乗ったら、日光白根でも、甲斐駒でも、剣岳でも、槍ヶ岳でも、穂高でも、大雪でも、インドでも、ケニアでも、カナダでも、アラスカでも、ロンボク島でも、好きなところに行ってやる!
と、決意したところへ、友達からメールがきた。
「11月6日~7日、鍋割山(丹沢)にみんなで行こうぜ」ってお誘い。
心が揺れる……。
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今週(来週?)の木曜金曜とオフなので、どこかの山に登ろうと思う。
PCでウェザーニュースの紅葉情報を見る。
http://weathernews.jp/koyo/
「まだ」「色づき」「見頃」「落葉はじめ」「落葉」
の五段階があり、10月3日現在、日本列島のほとんどが「まだ」。
「見頃」は北海道の大雪山系くらい。
さすがに北海道は遠いよなあ。
「色づき」がちらほらとあるので、その近辺の山に登るか。
あっ、中央アルプスの千畳敷カールが「見頃」だ!
中央はいったことがないから、いってみようかな。でもちっと遠いか。
あとは草津白根、尾瀬、白山などが「色づき」。
なんてあれこれ考えても、結局は出発前日に気分で決めるんだよね。
なんたって自由な単独行ですから。

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PCでウェザーニュースの紅葉情報を見る。
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「まだ」「色づき」「見頃」「落葉はじめ」「落葉」
の五段階があり、10月3日現在、日本列島のほとんどが「まだ」。
「見頃」は北海道の大雪山系くらい。
さすがに北海道は遠いよなあ。
「色づき」がちらほらとあるので、その近辺の山に登るか。
あっ、中央アルプスの千畳敷カールが「見頃」だ!
中央はいったことがないから、いってみようかな。でもちっと遠いか。
あとは草津白根、尾瀬、白山などが「色づき」。
なんてあれこれ考えても、結局は出発前日に気分で決めるんだよね。
なんたって自由な単独行ですから。

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