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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

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松本龍氏 入院のニュースを聞いて

今朝早く、PCを開いたら、こんなニュースが目に飛びこんできた。


 松本前復興相が病院に搬送、入院
 
 【読売新聞 7月12日(火)3時7分配信】

東日本大震災の復興を巡る発言の責任を取って復興相を辞任した松本龍・衆院議員(60)(福岡1区)が、8日に福岡市内の病院に搬送され、入院したことが関係者の話でわかった。

複数の政府・民主党関係者によると、命に別条はないという。

松本氏は6月27日、復興相に就任。今月2日、就任後初めて被災地入りし、3日に岩手県庁で達増拓也知事と会談した際、「知恵を出さないやつは助けない」などと発言。その後宮城県庁では、村井嘉浩知事に「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々何も知らんぞ」などと述べた。

一連の発言は、被災地や野党などの反発を招き、5日、復興相と兼務していた防災相を辞任。8日午後、福岡市内に戻っていた。



先週、松本氏に対する怒りをぶちまける記事を2日連続で掲載したぼくとしては、何とも心が痛むニュースだ。

<参照>
松本龍復興相というクソ野郎に対する怒り
松本龍復興相(元)というクソ野郎に対する怒り~本当の復興とは

 
べつに、ぼくの閑古鳥ブログの記事が何らかの影響を与えたとは思わないが、そうした小さなバッシングが合わさり、とてつもなく大きな世論となって、松本氏の心を責めたのだろう。

あの記事を書いたことは後悔していないし、それゆえの責任も持っているつもりだが、それでもやっぱり心が痛む。

早くよくなってほしい。

偽善っぽい記事になったが、書いておきたかったので。

m(__)m m(__)m m(__)m



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物の価格について思うこと~東京スカイツリータウンの事業概要決定

東武鉄道が、7日、東京・押上(墨田区)に建設中の東京スカイツリーを来年5月22日に開業すると発表した。

ちなみに入場券は、第1展望台(350メートル)までは大人2000円、中高生1500円、小学生900円、幼児(4~5歳)600円。第2展望台(地上450メートル)までは、大人1000円、中高生800円、小学生500円、幼児300円が加算されるという。※エレベーターに待たずに乗れる日時指定券はさらに500円追加となる。


この決定について、ちまたの反応は、やはり「高えっ!」だ。

ぼくはもともとスカイツリーに何の興味もなかったので、高いとも安いとも感じない。「ふーん、そんなもんかもな……」というのが、率直な感想だ。

こんなことを書くとまた何かいわれそうだが、むしろそれくらいの料金の方が「混雑が避けられていいんじゃねえの?」とも思う。

いや、たぶん、それでも混雑は避けられないだろう。結局は、高いと思いつつも、「一度は行かないとな」と考える人は多いと思う。

つまり、決して「高い」料金ではないのだ。

高いけど行く。それはその料金がその行為に見合うと、その本人が判断しているのだから。

「ものの価値」とはそういうものだと思う。

「とりあえず一度は(世界一高い建物に)行っとかないと」という考えがあるから、2000円、ないし3000円はらって、スカイツリーにいく。

それはその料金をはらう価値があると認めたということなのだ。

たしかに一般論として、たかが建造物の展望台に上るだけで3000円は高いだろう。上った人のほとんどは「ぼられた」と感じるのではないか。おそらくリピーターはこないんじゃないかと思う。そういう意味での3000円は、適正価格といえないかもしれない。

だけど、そこに「世界一高い~」という付加価値があるのだ。「世界一高い建造物に上った」という事実に、人はお金をはらう。

だから、上る気がない人が「ぼってる」と口にするのはいいけど、上った人が「ぼられた」というのはスジちがいだ。

高いと思うなら行かなきゃいいんだから。



以前、ぼくは建築現場で資材の搬入の仕事をしていた。「荷揚げ屋」と呼ばれる仕事で、現場で働く職人にかわって、かれらが使う資材(石膏ボードや材木、フローリング材など)を運ぶのだ。その料金は、当然、職人の手間賃から引かれるのだが、それについてグダグダいってくる職人が少なくなかった。「高い」というのだ。

中には、仕事を終えてあいさつにいくたび、いつも愚痴ってくる職人もいた。あんまりくどいので、一度「だったら自分で運べばいいじゃないですか」といい返した。そうすれば、手間賃を引かれずにすむでしょう、と。

するとその職人は「いや、俺、腰やっちゃってるからよお、重いもん運びたくねえんだよ。腕も張っちゃって仕事にならなくなるしよ。だったらその間、仕事進めてた方がいいべ」といった。

だから、つまりそれは荷揚げ屋が必要だということじゃないですか! と、その後ぼくがいい返したかどうかは昔のことだから忘れた(たぶん、一応お客さんだから言葉をのみこんだと思う)。だけど、こいつ馬鹿か、と思ったことだけははっきりとおぼえている。

その料金が高いと思うなら頼まずに自分でやればいいし、それがいやで頼むなら、それはその料金分の価値を、我々の仕事(荷揚げ)に認めたということではないか。



話がそれたが、物の価格というのはそういうものだと思う。

高いと思うなら買わなきゃ(はらわなきゃ)いいのだし、それでも必要で買うなら(はらうなら)、それはそれが適正価格だということなのだ。入場料でも、商品でも、仕事の外注でも、みんな同じだ。

だからこの東京スカイツリーの入場料についても、高いと思うなら行かなきゃいいし、それでも行くんだというなら、それはその価格に納得したのだと考えなくてはいけない。


もちろん、東武鉄道も、その料金に見合うサービスを、「世界一~」という付加価値以外にも提供した方がいいとは思うけど。3000円の入場料でも、リピートする人がいるなら、それはもう本物だ。




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北朝鮮拉致問題の進展訴え、家族会がデモ行進

北朝鮮による拉致被害者の早期救出を訴えるため、家族会などは5日、東京都内をデモ行進した。約1000人(主催者発表)が参加し、今年9月までに、北朝鮮が先送りしてきた拉致被害者の再調査をするよう、政府は働き掛けるべきだなどと訴えた。
 行進に先立ち、家族会の飯塚繁雄代表(72)が「拉致問題は日本の重要課題として絶対に忘れてはならない」とあいさつ。横田めぐみさん=失跡当時(13)=の母早紀江さん(75)は「日朝交渉が途絶えたままで、子供たちは生殺しのような状態が続いている。早く助け出さなければ日本の土を踏むことができない」と訴えた。 
(6月5日 時事通信)




こうしたニュースを耳にすると、決まって、「今は震災の復興の方が先だろ」とほざく馬鹿がいる。

実際に某匿名の掲示板に、そんな書きこみがあった。あたかも正義感を振りかざす口調で。

※そんな掲示板見なきゃいい、とも思うが、この記事を書くかどうかを確認すべく覗いてみた。そしたら案の定だった。

そういう馬鹿を、ぼくは心の底から軽蔑する。

マジで、馬鹿だ。クソだ。人の痛みが想像できない冷血人間だ。

たしかに震災の復興は、今の日本にとって最重要課題だ。ぼくもそう思う。そう思うからこそ、微力ながら復興支援のボランティアにも参加したし、義援金をつくる活動もしている。今月もまた宮城県にいって支援の手伝いにいく予定だ。それが終わっても、自分のできる範囲で支援をつづけていくつもりでいる。1円でも多くの義援金が必要だと思うし、1人でも多くの手が必要だと思うから。

しかし、それと同じように、北朝鮮拉致問題をはじめ、日本中、世界中のさまざまな問題にも目を向ける必要があるとぼくは思う。震災のニュースばかりが大きくて、他の問題が手薄になってはいけないと思う。

そうした問題に、大小などないのだから。

もちろん、どっちが先とか、まずはこっちを片づけてからとか、そういうものでもない。

震災の被害に遭った人たちにとっては震災の復興がすべてであり、北朝鮮による拉致被害者の家族会にとっては被害者の奪還がすべて。それだけのことだ。

あたりまえの話だ。

それを「今は震災の復興が先だろ」とか、「今はそれどころじゃないだろ」とか、「こんなときにデモなんてやるな、空気読め」とか、「こいつらが足を引っ張ってるんだ」とか、それは大きなまちがいだ。

そういうことをほざくやつらに、ぼくは訊きたい。


今、自分の家族が誘拐に遭ったとしたら、どうしますか?

今は震災の復興が先だから、とりあえず捜索願いは出さずにおこう、って考えますか?


何、おおげさなこといってんだ、って思うかもしれない。だけどそういうことだ。それとまったく同じことだ。

ニュースで報道されていることを、もっと親身になって考えないといけないと思う。北朝鮮の拉致問題のことを(あるいは他のさまざまな問題のことを)他人事だと思って観ているから、「今は震災の方が重要」などという意見が出てくるのだ。そういう人は、たぶん震災の被害に遭った人のことも、深くは思っていなのだと思う。ただでかいニュースとして扱われているから、「そっちが先」って思ってるだけだ。

こういうことを書くと、「じゃあ、おまえは震災はどうでもいいというのか?」と、かんちがいする人が出てくる。そうじゃない。そんなことをいっているのではない。

当事者にとっては、その人が抱えている問題こそがすべてなのだ、といっているのだ。

ぼくらは、何の被害にも遭っていないぼくらは、もっと当事者の痛みを感じながらニュースを観ないといけないと思う。

そうすれば自然と震災の被害者に向けて何かしたくなるし、北朝鮮の拉致問題に対しても、心から被害者の奪還を願う気持ちがめばえると思う。




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大相撲八百長問題に思う

大相撲の八百長問題について語ろうと思う。

大騒動に発展しているのだが、中には、八百長は、相撲界の体質とか、昔から行われていた風習とか、そういうふうにいう人もいる。

今さら何だ。八百長なんて昔からやってるって。そういうもんだと思って楽しむしかねえだろ。興行なんだから。ショーなんだから……、と。

ちがうだろ、と思う。

ちょっと待てよ、と思う。

たしかに八百長は昔から公然と行われてきた相撲界の習慣かもしれない。

だけど、たてまえ上は、相撲は真剣勝負なのだ。相撲を愛するファンの多くは、ガチンコ(その言葉があること自体へんだが)を信じて応援しているのではないのか。

それに横綱を夢見て部屋に入る若者は、八百長がまかりとおる世界だなんて、これっぽっちも思っていない。

だから、やっぱり八百長は駄目だ。

興行だろうがショーだろうが、相撲はスポーツなのだ。試合なのだ。戦いなのだ。

真剣にやらないといけないのだ。

だいたい、八百長をやった力士は、どんな思いでやったのか。

わざと負ける。あるいは負けてくれとお願いする。しかもそのやり取りに金銭をからめている。

それがいけないことくらい、幼稚園児にだってわかることだ。

だのに八百長をした。力士は、それをどのように思っているのか。

もちろん、誰だってはじめから八百長をよしとしたわけではないだろう。上下関係の厳しい世界だ。紆余曲折があったことは想像にかたくない。

先輩力士から頼まれたら、たしかにことわりづらいだろう。ことわれば「かわいがり」の目に遭うのかもしれないし、そのために上の人間からにらまれ、昇進できなくなることもあるのだろうし。

いろんなしがらみがあって、やりたくもなかった八百長をやってしまい、それをくり返していくうちに、いつしかその風習に慣れていく。八百長はあたりまえなんだ、と思うようになり、今度は自分から他の力士に星の売買を持ちかける。

そうやって悪しき風習が蔓延していく。

そういうものなのだろう。

みんなやってることなんだ。

それが相撲界というものなんだ。

だってしょうがないじゃないか。生活があるんだから。

お金だって必要だし、番付だって落とすわけにいかない。

そのためなら星の売買くらいやるさ。

そうやって自分自身にいいわけして、その行いを正当化するのだ。

だけど、それでいいのだろうか。

かれら力士にとって、本当に守るべきものは何なのだろうか。

地位なのか。立場なのか。生活なのか。

もちろん、それらも大事だ。だけど、本当に大事なのは、本当に守るべきなのは、そんなものじゃないだろう。

誇りではないのか。

人間としての誇りこそ、何よりもまず守らなくてはならないものではないのか。

してはいけないこと、自分自身の誇りを傷つけること、それに対して「NO」といわなくてはいけないのだと、ぼくは思う。

もちろん、世の中ってのは、そんなに単純にはできていない。相撲界に限らず、どの世界にも必ず「しがらみ」がある。そのしがらみの中、たった一人で「NO」の声を上げるのは、勇気がいることだ。

だけど、それでもNOといわなければならない。

ぼくは、そう思う。

相撲界と比べてかなりちっちゃい話をするが、ぼくがこれまで働いてきたどの職場にも、悪しき習慣というのは必ずあった。誰もがその習慣に迎合し、まわりとうまくやっていた。

だがぼくは、その習慣が許せないものなら、頑としてそれにさからった。

一つ例を挙げる。

20代の頃、建築現場の資材搬入の仕事をしていた。荷揚げ屋だ。毎日現場がちがう、いわゆる日雇い派遣の仕事だった。

スタッフは、毎日夕方に電話で翌日の現場を聞く。そのとき、ベテラン連中を中心に、いやな仕事はことわる習慣があった。「ええ、そこハマリじゃないッスか。ほかの現場にしてくださいよ」ってな感じに。楽な仕事、おいしい仕事ばかりを選ぶのだ。それはもうみんなあたりまえのようにやっていた。それを真似して、新人クラスのやつらも、その習慣にならった。ベテラン連中の太鼓持ちになるかわりに、仕事をことわる権利を手に入れるのだ。

で、はじかれたハマリ現場(いやな仕事)は、何も文句をいわないおとなしいやつばかりがいく。そんな習慣ができあがっていた。

ぼくもその職場ではかなりの顔だったが(リーダーだった)、他のベテラン連中とちがって、絶対にどんな仕事もことわらなかった。逆にことわる連中をとがめ、手配する側の人間に「ことわる人間を許すな」と注文をつけつづけた。そんな習慣は根絶しなきゃ駄目だ、と強く思っていたのだ。

当然、まわりからは嫌われた。あからさまに無視されたり文句をいわれたりはしなかったが、たぶん陰でいろいろといわれていたと思う。

あまりいい思い出ではない。

だけど、あのとき悪しき習慣にしたがわなかったのは、10年近く経った今でも誇りに思っている。

ぼくはNOの声を上げた。

おれはそんなくだらない人間じゃない、卑怯なまねは絶対にしない、そう神さまに伝えたのだ。

その誇りが、今の自分をささえているとさえ思っている。

話がそれたが、今回の相撲の八百長騒動でも、力士一人ひとりに誇りを守る意識があれば、悪しき習慣にNOといえたのだ。

もちろん、「かわいがり」とか、昇進できなくなるとか、そういうリスクはあるだろう。

だけど、相撲界の中には、そのリスクを覚悟で、NOの声を上げつづけている人が少なからずいるのだ。わからないけど、きっといると思う。

その人は「かわいがり」に負けて部屋を出ていったかもしれない。一生「十両」のままで引退したかもしれない。

後世に名を残すことなく土俵を去っていったそんな勇者を、ぼくは尊敬する。

そしてかれらも、悪しき習慣に屈しなかった自分を、今も誇りにしているだろう。

卑怯なまねをして手に入れた名誉や地位や立場より、その誇りは、尊いものだとぼくは思う。




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ノーベル賞受賞者の少年時代 ~鈴木章氏 根岸栄一氏 祝ノーベル賞受賞

今年のノーベル化学賞に、鈴木章氏と根岸栄一氏、リチャード・ヘック氏の3氏が選ばれた。

日本人の受賞は、2008年の南部陽一郎、小林誠、益川敏英(物理) 下村脩(化学)の4氏以来で、アメリカに国籍をおく南部氏を含み計18人になった。

ちなみにその前の受賞は2002年の小柴昌俊氏(物理)、田中耕一氏(化学)で、日本の理科系の学者のすばらしさを物語っている。

で、この手のニュースを聴くたび、ぼくが思うのは、この人たちの子どもの頃ってどんなだったんだろうってことだ。

頭脳明晰だったのは、もちろんまちがいない。だがきっとそれ以上に、理科系の対象物に対する強い好奇心があったのだろう。

興味だ。

それがあったから、後の功績につながったのだ。
もちろん、もともとの才能や、粘り強い努力があったであろうが、
まずは子どもの頃の好奇心からはじまったのだと思う。

ぼくが好きなスティーブン・キングの小説「IT」に、子どもが大人を、つまり子ども時代の経験が大人を育てるみたいな台詞があるんだけど、まさにそれだ。

人の人生のはじまりは興味なのだ。

たとえば、ぼくの生まれ故郷にはそこかしこに野原があった。
子どもにとって野原は一番の遊び場だ。
ぼくにとってももちろんそうで、学校が終わると友達と野原で野球に熱中したものだった。
だから野原はぼくにとって野球場であり、それ以外の何物でもなかった。
昭和のあの頃、ぼくら子どもの大半はそうだったにちがいない。

だけど、すべての子どもがそうだったわけではないのだ。
中には野原がバッタやカマキリを採集する場だった者もいただろうし、学研の「科学」の付録を使って、何やら草を何かする実験に興じていた子もいたかもしれない。あるいは草花を摘ん、押し花にしたりドライフラワーをつくったりした子もいただろう。広い野原を草原に見立て、絵心をかき立てられた子どももいたかもしれない。

一つの野原が、人によってさまざまな興味の対象になりうるのだ。

そしてそれが後の自分をつくるいしずえになる。

そう考えると、人生ってすごくおもしろいではないか。

とにかく、鈴木氏、根岸氏の両氏には心からおめでとうといいたい。


そして、べつの話だが、
親分こと大沢啓二氏に、心よりのご冥福をお祈りします。


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