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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

旅について 遊びについて 夢について 人生観について 本について 愛用品について ありったけの思いを語ります

 

流れゆく日々~店長のお見舞い

5月も半ばをすぎた。

ゆっくりと季節が夏に向かい、おでん屋はひところの忙しさから少しずつ開放されていく。冬場の半分、日によってはそれ以下にまで売り上げが落ちこむ日も少なくない。

それでもときおり、何なんだ今日は? と不思議に思うくらいにこむ日があって、店長不在の店はてんてこ舞いになる。しかも最近はMさんが父親である店長の付き添いで店に出られないことも多く、ぼくとNさん(店長の息子)の2人で店をまわす日が増えている。

カウンターで1人、満席のお客さんを相手にしていると、秋から冬にかけての忙しい時期を店長と2人で乗りきった日々がよみがえる。客が一組、二組と席を埋めていき、満席になると、ぼくはたった1人で30人の客を相手にすることになるのだ。方々から声が飛び、対応しきれずに気持ちがあせっていく。そんなとき、店長はよく厨房から「がんばれよ~」と声をかけてくれた。その声を聞くたび、パニくっていた気持ちがすっと落ちつき、山もりの勇気がわいたものだった。

よくやってくれてる、と、ときおり閉店後に店長は、ぼくの仕事をたたえてくれた。そして売上金の中から千円札を2枚ほど抜き取り、ぼくのシャツの胸ポケットに入れてくれるのだ。普段は厳しい店長からのねぎらいは、涙が出そうになるほどうれしかった。

今は店長のかわりに、厨房には息子のNさんが立っている。かれは一品料理以外はまだ何もできないから、2人で店をまわすときは必然的にぼくが鍋の前に立つことになる。

最近はNさんとともに厨房で料理をやっている。鍋の前に立つのはひさしぶりだ。だが鍋前は、店長と2人でやっていた頃からの慣れたポジションだ。今やどんなに客でこみ合っても、パニくることはない。

だから今度はぼくが鍋前から厨房のNさんに向けて、「あわてなくて大丈夫ですよ。一品ずつ順番に丁寧にやってください」と声をかける。

  大丈夫ですか? お客さん、待たせちゃってませんか?

  大丈夫。とりあえず酒とおでんが出てるから。お客さんのことは気にしないでいいですよ。

  わかりました。やってみます。ありかとうございます。

Nさんがこの店の跡取りで、ぼくはただの従業員なのだけど、飲食業の経験はぼくの方が長いし、年だってぼくが上だから、精神的支柱にならなければ、と思っている。店長からも、Nを助けてやってくれな、といわれているし。もちろん、ぼくがNさんに支えられている部分も少なくないけど。

そうやって互いに助け合いながら、どうにか店を切り盛りしている。今ではわりといい関係になったと、ぼくは思っている。

そのNさんと、店が休みの日に店長の見舞いにいってきた。

病室のベッドに横たわる店長の姿を一目見て、もう先は長くないことをさとった。悲しいけれど、現実を受けとめなくてはならない。

日々は流れていく。

その流れにはさからえないけど、ただ流されるだけではいけない。

しっかり生きなくては。




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練習は嘘をつかない~鯵の三枚おろし

出刃包丁を買った。

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以前、購入した和牛刀(参照→2012.12.2「料理人の魂、包丁を買った」)と同じ堺打刃物「英」の包丁だ。今回はプロ用でなく家庭用を買った。刃がボロボロになるまで練習するつもりだからだ。

練習の課題は、鯵の三枚おろし。

店で店長がやるのを見てやり方はおぼえていた。だがはじめて「やってみろ」といわれたとき、うまくできなかった。

「こんなんじゃ、刺身になんねえだろ」

その言葉が胸にぐさりと刺さった。悔しい。それで店長にいいといわれるまで練習してやろうと思い、出刃包丁を買ったのだ。

ギャフンといわせてやる……

その思いを胸に、毎休日の練習をはじめた。

たが練習をはじめて2週間ほどが経った頃、店長は再入院してしまった。

それでも練習はつづけている。もう馬鹿みたいに休みのたびに鯵ばっかり買ってきて、家のキッチンで悪戦苦闘している。

店長を見返すことはもうできない。だけどこれは自分のためだ。自分のために、ぼくは練習をつづける。

魚屋で、鯵を買ってきて、

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さばく。

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できあがったのは「鯵のなめろう」と「あら汁」

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べつの日。

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今度は刺身に。

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さらに、

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おろして、

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大漁節。今度は酢洗いに。

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あまりは天ぷらに。(正面奥が鯵)

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まだまだいくぜ。

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刺身、アンド~

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天ぷら! (うわあ、ピンボケ…)

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こんな感じに休日のたびに練習している。月曜と木曜が休みだから週2回。今ではすっかり手際よくおろせるようになった。もはや練習など必要ないのだが、今も腕が落ちないよう一度につき1尾ずつおろしている。ついでに大根をかつらむきして、それを千切りにして刺身のツマにする。これをセットで練習メニューにした。今後もずっとつづけていこうと思っている。野球選手の素振りのようなものだ。

この練習をはじめてから、料理の腕が確実に上がった。

練習は決して嘘をつかないのだ。

もう、鯵の刺身は食いあきたけど……
 
 

ピンチをチャンスととらえる気持ち~店長不在の店を救う

店長が再入院した。もう一月ほど前の話だ。

店長不在の店を、今は3人体制で切り盛りしている。
跡取りのNさんがあいかわらず厨房で一品料理をやり、店長の娘のMさんが(火曜と水曜はもう1人のバイトのHさんが)鍋前(おでん鍋の前=カウンターおよびホール係)をやる。そしてぼくは、洗い物をしつつ、店全体の状況を見て、すべてのポジションのヘルプに入る。つまり、一品料理の注文が多いときはNさんとともに一品料理をつくり、ドリンクの注文が多いときはドリンクをつくり、Mさん(Hさん)がホールに出ているときは鍋前に立っておでんをやり、逆にMさん(Hさん)がおでんをやっているときに客に呼ばれれば、ホールに出てその要求に応える。何でも屋だ。

すべての仕事をこなせる能力と状況を判断できる目とが問われる重要なポジション(……と自分では思っている)。そのポジションを担えるのは(つまり店のすべての仕事をこなせるのは)、今やぼくだけだ(……と少し天狗になっている)。

店長がそのようにぼくを育てたのか、ぼくのやる気がそうした流れを生んだのか、おそらく両方だろう。

一品料理に関して店長はぼくに直接そのレシピを教えたりはしなかったが、常に「よく見ておけ」といい、ときに「やってみろ」と機会を与えてくれた。その「やってみろ」のときのために、休日のたびに自宅で練習していた。そんな努力(……とぼく自身は思っていないが)の結果、店の営業再開後、厨房の仕事をさせてもらえるようになったのだ。

逆に接客に関しては、細かく指導された。ほかのスタッフならスルーされることも、ぼくの場合は許されない。それらの指導(ときには怒鳴り気味の注意)を素直にきいた結果、接客に関しては、店の誰にも負けない自信ができた。生意気いわせてもらえば、店長にも負けていないと思う。接客は勝ち負けではないけど、質という面では勝ち負けはあるのだ。

店が休業中にやっていたホテルのサービスの仕事も生きているのだと思う。また、ここには書いたことはないが以前やっていたパン売りの仕事(自分で仕入れたパンを自分で取ってきたお客さんに売って歩く、行商のような仕事)の経験も自信につながっている。

今ぼくは自分のすべてを出すつもりで店に入っている。飲食業のプロとして高い意識を持って仕事にのぞんでいる。

そんな様子を見てくれていたのか、再入院の直前、店長にある言葉をかけられた。内容はここには書かないが、それは自分のすべてをこの店に捧げてもいいと思える、ものすごく熱い言葉だった。弟子が師匠からかけられて、これほどにもうれしい言葉はないと思う。

店長がいない今、ほとんど素人といっていい4人(1日に3人)で店をやっていかなくてはならない。Nさんは料理の才能があるとはいえまだ経験は浅いし、娘のMさんもHさんもホールと鍋前に関しては一通りの仕事はできるけどそれでも生業としてこの仕事に取り組んでいるわけではない。

ぼくにしても、飲食業の経験は浅い。この店で働いた期間も、MさんやHさんと比べてかなり短い。

だけどぼくは、今この店を支えるのは自分だという気構えでやっている。それはぼくが他の3人とちがって、この仕事を生業にしようと思い、この世界に飛びこんできたからだ。2年後に自分の店を出す、その目標に向かう道の途中にいるからだ。そのぼくがやらないで、誰がやるというのか。

これはチャンスなのだ。自分の力をためす絶好の機会なのだ。

店長の入院をチャンスというのは不謹慎かもしれないが、それでもぼくはそれくらいの心構えでやっている。

そうすることが、ぼくを拾ってくれた店長への恩返しになると思うから。
 
 

店長のこと

以前も書いたが、ぼくが勤めるおでん屋の店長はぼくに対してとても厳しい。

他のスタッフなら見逃されるような些細な問題点も、ぼくの場合は厳しく叱咤される。

店が忙しく、全体的にバタついているときなどは、かなり強い口調でどなられることもある。

そんなときはさすがに「何でおれだけなんだよお」と毒づきたくもなる。それでもぼくは、ハイ、とだけ答え、その後は指摘された問題点を修正していく。

口答えしたことは一度もない。

高校を卒業して社会に出てから、ずっと人にはむかって生きてきたぼくにとって、はじめての経験だ。

もちろんぼくも人間だから、怒られていい気分なわけはない。とくに他のスタッフをべたぼめしているのを見た後に些細なことで駄目だしされると、もしかしてオレって嫌われてるのか、と思うこともある。

それでもぼくは店長についていっている。そして今後もずっとついていくつもりだ。

それが自分のためであると信じているし、店長もぼくのためを思って叱ってくれているのだと信じているからだ。

そう感じられるような言葉を、何度も店長からかけてもらっている。何度も、といっても、20回怒られるにつき1度くらいの割合だが、それでもそれらの言葉はすべてぼくのお守りになっている。

それがあるから、きつい態度にも耐えていけるのだ。

先日いただいた3月分の給料袋の裏にも、こんな言葉が。

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いただいたお金以上の重みが、その袋にはあった。

そして、だから、これからもずっと店長の下で働こうと思う。

店長が、もう大丈夫だ、と思ってくれるその日まで。
 
 

新たな日々

おでん屋が営業を再開して、2週間がすぎた。

ほぼ同時にはじまったセミナーハウスでの朝食出しの仕事と合わせて、新しい生活がはじまった。朝5時間、夜7時間半のダブルワーク。朝の仕事は週6日、夜の仕事は週5日のシフトは、かなりきつい。我ながらよく身体がもっていると思う。

朝の仕事はほとんどルーティンワークで、気持ちの上でも金を稼ぐためにやっているだけなので、さほどの苦労はない。配ぜん会が紹介してくれた仕事だから、飲食業のプロとして恥ずかしくない動きは心がけるが、そのハードルは高くはない。職場の環境もいいから、どうにかつづけられそうだ。朝3時半に起きなきゃならないのが、苦といえば苦だが。

で、やっぱりたいへんなのは夜の仕事の方だ。そう、おでん屋の仕事。

今まで店長と2人だけでやっていたのが、新たに4人体制にかわった。身体が楽になった分、より高い仕事を求められるようになった。

病気の店長は今までのような動きはできない。だが仕事に対する思いは病気になる前より強くなった。自分の店をたくすべく、息子のNさんにつきっきりで一品料理のつくり方や仕こみのやり方を教えている。NさんもNさんでのみこみが早いから、店長も教えがいがあるのだろう。本当に細かく指導している。細かく、丁寧に、どちらかといえばやさしく。

そして常連客にも「Nは勘どころがいいから、助かってます」とうれしそうに語っている。常連客もNさんがつくった一品料理をおいしいとほめ、「これなら店も安泰だね」と店長を喜ばせている。

一方、ぼくに対しては、あいかわらず手厳しい。いや、今まで以上に口うるさく注意するようになった。細かいところまでやかましくいわれるし、ときにはかなりきつい口調でいわれる。

店長が息子に料理の手順を教えているとき、それが客がいないときなら、カウンターに立つぼくを大声で呼びつけ、「おまえもできるかぎり見ておぼえなきゃ駄目だっ」という。息子には丁寧に教えて、おれには見ておぼえろかよ……、と内心では思うが、ぼくとしても料理はおぼえたいから、いわれたとおり見ておぼえる。メモを取りながら。

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そして、休みの日に自宅でつくってみる。店でつくる機会がないから、おぼえるには家でやるしかない。いざというきのために。

で、その「いざというとき」は突然やってくる。

一品料理の注文が重なり、Nさんの手だけではまわらないとき、「やってみろ」といわれるのだ。だがそうそうそうまくいくものではない。普段、厨房にいないから物がどこにあるかわからないし、分量や盛りつけなど、細かいことだってわからない。わかっている料理でも、いきなりやってみろといわれたら、頭が真っ白になるものだ。

結果、おまえは駄目だな、という目を向けられる。

悔しいから、その後も店長やNさんが料理をつくっているところをじっと観察する。すると今度は、「こっち見てないで、お客さんの相手しないと駄目だ」といわれる。お客さんをほったらかしにするのはプロの仕事じゃないと……

ほかにも、おでんの切り方や料理の出し方、厨房への料理のとおし方、電話の受け答え等々、あらゆる場面で駄目だしされる。ほめられることなんて、いっさいなくなった。

息子であるNさんはべたぼめ、ぼくにはつねに駄目だし……

ふざけんなよ……、とくさりそうになることもある。

だけど、ぼくはくさらない。絶対に。

店長には考えがあるのだと思う。いや、そう思いたい。あるいはそうじゃなくて、単にいらいらした気持ちをぶつけやすいぼくに向けているだけかもしれない。

どっちにしても、ぼくはくさらない。

それが、今回、新たな体制で店を再開したときに決めた、ぼくの覚悟だ。

大きい病気を患った店長にとって、この店を継ぐ人間が絶対に必要なのだ。そこで無職だった息子さんに白羽の矢が立った。店長にしてみれば、Nさんがいやになって投げ出すことは避けたいだろう。だから必要以上に厳しい態度は取れないのだ。

息子さんも息子さんで、よくついていってるし、また才能があるのか、本当におぼえがいい。だから厳しい態度で接する必要もないのかもしれない。そんな息子の成長がうれしくてたまらないのだろう。

そんな2人のやり取りを見て、寂しくならないといったら嘘になる。Nさんが家にこもっていたときは、その情熱の何割かはぼくに注がれていたのだ。もしかしたら、今、厨房で熱心な指導を受けているのは、Nさんでなくぼくだったかもしれないのだ。

だけど、くり返すが、ぼくはくさらない。

ぼくは、ぼくの店を出すために、自分自身ではい上がっていかなくてはならないのだ。店長が料理をつくる姿を盗み見て、さっとメモを取り、休みの日にその光景を思い浮かべながら実際にその料理をつくってみる。そうやって自分の力で技術を身につけていく。

そして、この店での本来の役割である接客に情熱を注ぐ。

店長に叱られたっていい。評価されなくったっていい。お客さんがぼくのサービスに満足してくれれば、それがぼくへの救いになる。

9月の終わりにこの仕事をはじめて、必死になって働いた。その姿を見ていてくれたお客さんが、続々と店にやってくるようになった。

「すっかり慣れたね」
「いっちょ前になったじゃない」
「おでん屋が板についてきなあ」

そんな一言をかけてもらうたび、すべての苦労がむくわれるのだ。心の中で流した悔し涙が、うれし涙にかわる瞬間だ。

だから、くさらずにやっていける。

店長にほめられなくても、愛情がすべてNさんに注がれてしまっても、決してくさらず、ぼくはぼくの仕事をする。

それだけだ。

それだけを心がけて、ぼくは今日もカウンターに立つ。
 
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