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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

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大津市の中2自殺事件について思うこと②

昨年10月に大津市の中学2年生の生徒が自殺した事件の報道が過熱している。

ぼくも先日この事件について記事を書いた。そこで語った思いは今もかわっていない。
参照→大津市の中2自殺事件について思うこと

ただ、ここまで報道が加熱した今、声を大にして語りたいことがある。
それは、今現在イジメに苦しむ大勢の人たちに、どうか自殺だけはしないでほしいということだ。

これは何も、今回の事件で自殺してしまった生徒の選択をとがめているのではない。かれが死を選んでしまった気持ちは、尊重してあげないといけないと思う。そして心からご冥福をお祈りしたい。来世で幸せになってほしい。

ただ、その気持ちとは矛盾するが、今現在イジメに苦しむ人たちには、どうか勇気を持ってほしいと思うのだ。そしてそんな境遇にある人たちが勇気を持てるよう、まわりの大人たちや同級生たちにも、イジメと戦う勇気を持ってほしい。

イジメはわるいことだ。それを撲滅するのは当然のことだ。そんな風潮を、社会でつくっていかないといけない。イジメを受けている子を当然のように助ける社会、イジメをしている人間を罰する社会、そんな社会をみんなでつくっていかないといけない。

そして、イジメをしている側の人間は、今すぐそんな愚劣な行為はやめてくれ。今なら間に合う。すぐにやめろ。取り返しがつかない事態になる前に。自分たちが人殺しになる前に。

俺らはあそこまで(大津市のイジメほどは)ひでえことはしてねえし……

そんなふうに考えるのもやめてほしい。イジメに大きい小さいはない。イジメはイジメだ。いじめられている側が心を傷つけているなら、それがどんなにちっぽけなことでもイジメはイジメなのだ。

そしてくり返すが、今、現在イジメに遭っている大勢の人たち、どうか、どうか自殺という哀しい選択だけはやめてほしい。つらくて、苦しくて、どうしようもないのはわかる。だけど、どうか死のうだなんてことは考えないでほしい。

自分が死んだら、みんなが同情してくれる、みんながいじめた連中を攻撃してくれる、そんなふうには考えるな。たとえそうだとしても、死んだら終わりだ。

終わりなんだ。








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大津市の中二自殺事件について思うこと

大津市の中学二年生の少年が自殺した事件で、その自殺の原因である同級生からのイジメが問題になっている。

皇子山中学や大津市教育委員会、大津署などの対応のますざなども話題になっていて、そういう馬鹿な大人どもが世間からたたかれまくっている。

ぼくもニュースを聴いて、心を痛めている。当然、学校や市教委、警察に対してはげしい怒りをおぼえている。

だけどぼくは、そいつらを糾弾しても、イジメ問題の根本には近づけないと常々思っている。「イジメを苦に自殺」という事件が起こるたび、マスコミや世間は学校関係者や教育委員会をたたくが、それはちがうだろうと思うのだ。怒りの矛先は、糾弾する相手は、あくまでイジメをした連中、被害者を自殺に追いこんだ加害者であるべきだと、ぼくは考える。

加害者生徒にも人権がある?

いや、かれらに人権などない。というより、かれらは人間ではないのだ。人間でないのだから、当然、人権などない。

ないって、人権なんて。人間としての権利なんて、与えてたまるか。だってそうだろう。ちゃんとした人間なら、イジメなんて愚劣なことはしないだろう。

ちなみに今回の事件で、加害者グループが被害者にしたイジメを挙げておこう。


・運動着に小便をかけ体育の時間に臭いと馬鹿にする
・給食の配膳の際、中に痰・唾・ゴミをこっそりいれる
・自転車の後輪を回転させ無理矢理顔面を近づける
・恐喝した上親の銀行から現金を引き出し遊ぶ
・万引きを強要されて警察に言うと脅される
・刺激物等(辛子)を陰茎に塗りたくり痛がる姿を笑う
・今日のヘアカットと呼び出し陰毛をライターであぶる
・死体の画像写真を見せお前はどうなりたい?と聞く
・毎日のようにズボンをずらし笑いものにする
・チョークの粉をカバンに入れる
・全裸にされ射精を強要される
・蜂の死骸を食べさせられる
・雀の死骸を口に入れほお張らせる
・高所やロープで自殺の練習をさせられる
・上記の事を携帯で撮影し鑑賞会をする


これ、もはや犯罪だろう。

こんな愚劣なことをするやつを許しておいていいわけがない。

実際、フジテレビがニュースで加害者の実名がわかるような報道をしたおかげで、イジメの実行者数人や当時の担任教師が特定され、ネット上で写真付きでさらされている。きっと今、かれらは生まれてきたことを後悔するくらいのつらい日々を送っていることだろう。

いいんじゃないか、と思う。

自殺した少年の心の傷の何十分の一でも味わえて、よかったじゃないか。ああいうイジメをする輩は、こんなことにでもならなきゃ、きっと反省なんてせず、むしろ被害者へのイジメの数々を愉快な思い出としてとらえるに決まってるんだから。そんな気持ちのまま大人になれば、ろくな人生は送れないだろう。

だからネットで名前をさらされて、社会的制裁を受けて、地獄の苦しみを味わうのは、かれらにとって幸せなことなのだ。人間の心を持つために、今は苦しんで苦しんで、それを十字架にして、さらに堕ちていくか、それとも更生するのか、しっかりと人生を見つめ直した方がいい。

そこで更生して、立派な大人として生きるなら、それはすばらしいことではないか。

まあ、ぼく個人としては、仮にかれらが何十年後かに更生したとしても、いっさいかかわり合いは持ちたくないけど。

いろいろと乱暴なことを書いたけど、ようはイジメは許せないってことだ。

だって、自分や自分の身内が、上に列挙した悲惨なイジメに遭って自殺するなんて、絶対にいやだから。金輪際、この世界でそんなことが起こらないよう、イジメの加害者を許さない気持ちを持ち続けたいし、みんなにも持ってほしい。

だから、反論を覚悟でいうが、イジメの加害者の名前がネット上でさらされてよかったと思う。もっともっと社会的制裁を受ければいいと思う。

この先も、こうした事件が起きたら、加害者を実名報道すればいいとさえ思う。

まちがった情報が流れるのだけはまずいと思うが。



それから、ちょっと論点はずれるけど、こういう問題が起こったときに、よくしたり顔で、「見て見ぬふりした同級生も同罪」などと口にするやつがいるが、それは大まちがいだと思う。

イジメが起きている教室は特殊な空気が流れる戦場なのだ。その現場にいない大人が、罪のない子どもをたたくのはまちがっている。

たたいた人たちは、その場にいたら絶対に戦うのか、とぼくは訊きたい。その自信が120%あるのか、と。一歩まちがえたら、今度は自分がイジメのターゲットになるのだ。全裸にされ射精を強要され、スズメの死骸を口に入れられ、自殺の練習をさせられるのだ。

ああ、かまわない、俺は勇気を出して戦う、というなら戦ってください。それは立派だと思う。

だけどそれを傷ついた子どもにぶつけるのはまちがっている。

もちろん、見て見ぬふりは、ほめられる行為ではない。できれば戦ってほしいとはやっぱり思う。もしぼくだったら……と考えたら、できれば戦いたい。だけどそれにはものすごい勇気が必要だ。だからその場にいない状態で、「自分なら戦う」と簡単に口にはできない。そんなに簡単なことではない。だけど戦いたい。戦わなくては、と思う。そのとおりにできるかは、その立場にならないとわからない。

きっと見て見ぬふりをしてしまった同級生たちも、そうやって葛藤したにちがいない。

だからぼくは、かれらに向けて「同罪だ」とは思えないのだ。同時にそんな正義ぶった言葉を振りかざす大人を、ぼくは心から嫌う。

かれらはじゅうぶん傷ついてるのだ。自殺した同級生を自分は救えたんじゃないかと心を痛め、それを十字架に生きていかなきゃいけないのだ。

そういう子どもに「おまえら同罪だ!」なんて、わかったような口をきく大人は、おそらくその場にいたら見て見ぬふりをする類の人間だと思う。あるいは、イジメの加害者の側にまわる人間ではないだろうか。

なぜなら、そういう正義ぶった言葉こそが、人の心の痛みを無視したものだからだ。弱い心を理解できない人の言葉だからだ。

まちがわないでほしいが、見て見ぬふりがいいとはいっていない。見て見ぬふりは、やっぱりよくない。よくはないけど、そうしてしまった人たちをたたくのはまちがいだとぼくは思う。その人たちに正義がなかったとはかぎらないのだから。

わるいのはあくまでイジメを実行した加害者なのだ。そこを忘れないでほしい。



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スパムメールを送信する馬鹿ども

携帯電話のメールアドレスをかえた。

理由は、スパムメールが大量に届くようになったからだ。

流出元は定かではないけど、おそらく先日登録した人材派遣会社のメールマガジンからだろう。そのメールマガジンに登録すると、アルバイトの情報が送信されるシステムで、中から自分の都合に合ったバイトを選び、応募するのだ。空いた時間を利用できるから、副業に最適だと思い、登録した。

その後、スパムメールが届くようになったのだ。

はじめは日に何度か送られるだけだったので、無視していた。しだいに送信してくる量が増えてきて、ドメインも複数になった。深夜に送信されることもあった。その際は安眠を妨害されるので、これはもう無視していられないと思った。

で、ドコモのメール迷惑メール設定機能で、スパムメールのドメインをすべて拒否対象として登録した。

だが、その対策をしても、スパムメールの送信先は無限のドメインを持っているようで、それらを順に拒否対象として登録しても、いたちごっこになるだけなのだ。

それで、結局、メールアドレスをかえることにしたのだ。



だいたい、このスパムメールを送信してくるやつらって、何者なんだろう。ぼくはかなりムカついていて、正直、こちらのメールアドレスをかえて回避するのではなく、退治してやりたいと思っている。

文面を見ても、腹立つものばかりだ。中でもムカつくが、「ムシって、イジメなんだぜ」とか、「そっちが登録したのにムシですか」とか、そんなたぐいのメール。登録したおぼえがないばかりか勝手に送られてきて迷惑してるのに、なんでこっちがとがめられなきゃならんのだ! 思わず「ふざけんなっ」って返信したくなった。

さらにムカついたのは、「退会手続きはこちらから」というURLがあったので、クリックしたら、

「登録承認。後払い金10000円を~」

……などと書かれた文面が画面に出たことだ。ムカついたというより、呆れて噴き出してしまったが……。

だけど、これで払ってしまう人もいるんだろう。100人のうち1人でもはらえば、詐欺師としては儲けが成り立つのだから。マジで許せない。犯人をつかまえて警察送りにしてやりたいと思う。っていうか、警察、本腰入れて動いてくれねえかな。

しかし、こういう詐欺で稼いでる人って、人間としての誇りがないのかと思う。これで大金を手にしたところで、幸せなのだろうか。

金さえ手にできれば、生き方なんてどうだっていいのか。

子どもの頃に、抱いた夢はないのか。

どこで、どの年代で、心がくさりはじめたのか。

それとも子どもの頃から人間がくさりきっていたのか。

もし仮に家庭を持っているとしたら、自分の子どもに親の職業は「スパムメール送信者」だと説明するのか。

ぜひ、説明してほしいものだ。その職業に誇りを持っているなら。

とにかく、人間のクズだ、そうやって人を出した金で生きるやつらは。

汗水たらして働けよ、ボケッ!



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千葉駅前の似顔絵描き

最近は見かけなくなったが、ひところ、千葉駅前で似顔絵描きをしている若者がいた。細面の顔に黒ぶちのメガネをかけた、つんつん頭の、20代くらいの男だ。

千葉駅前の広場(?)は、けっこう規制もゆるく、その男以外にも、ギター弾きやら、ダンサーやら、詩人やらが、好き勝手に活動している。マナーさえ守っていれば、ぼくはこういう人を応援したいと思っている。いいものに出逢えば、お金を落とすこともある。

そんな気持ちがあるから、はじめてその似顔絵描きを見かけたときも、興味を持った。

で、近くにいって、かれの絵を見てみようと思ったのだが、何と、ボードらしきものに「冷やかしは来んでええ!」と書いてある。

そうなると、単なる興味本位で近づくわけにはいかない。ぼくはあきらめて、立ちどまることなく、かれの前をとおりすぎた。

そのときだ。

その男が、両手で画用紙を持ち、こちらに向けてきた。

何だろう? 何かメッセージのようなものが書いてあったが、一瞬だったから読みとれなかった。

ちょっと気になったので、少し離れた場所から男を観察した。男はぼく以外の人にも、その画用紙を、ちらっちらっ、と向けていた。

ぼくはメッセージの内容を読みとるべく、目をこらした。

そこには何と、こんなことが書かれていた。

関東の男は気取り屋ばっか!

何? こいつ喧嘩売ってんの?

男は道行く人のすべてに、その画用紙を掲げていた。ちらっ、ちらっ、という感じに。顔は不敵ににやついていて、いかにも人を小馬鹿にした感じだった。

馬鹿か? こいつ人間が三流すぎるだろ?

絵が売れないからって、それを通行人にぶつけるんじゃねえよ。

はらわたが煮えくり返った。ぼくはこういうカッコわるい馬鹿が、一番嫌いなのだ。路上で絵を描いてるなら、どんなに悔しくても、絵で勝負しろ、といってやりたかった。

これは見すごすわけにはいかない。相手にしないのが大人なのだろうが、そういう態度でいると、こういう馬鹿は、地元に帰ってから、「関東の人間は、売られた喧嘩も買ってこねえ、ふぬけだ」みたいなことを仲間うちにいうに決まっているのだ。

ぼくはツカツカと歩みより、言葉を投げた。

「あんた、地元どこだよ?」
「ああっ?」
「そんなに関東が気に入らねえなら、地元に帰って商売しろよ!」
「あああっ?」
「俺らの地元で勝手に商売して、喧嘩売ってんじゃねえっていってんだよっ。いやなら地元に帰ってやりゃいいべよっ、あっ?」

言葉をぶつけながらも、どんなふうに答えてくるか、じつはちょっと楽しみでもあった。路上で似顔絵描きをやるくらいの男だ。もしかしたら何か狙いがあって、喧嘩腰のメッセージを掲げていたのかもしれない。

だが、男から発せられたのは、世間の馬鹿が、決まって使う台詞だった。

「あああっ? んだっ、われっ、こらあぁぁっ! やんのか、こらあっ? かかってこいやあっ!」

……。

「びびってんのか? おおっ? こいやあっ! いてまうど、おおっ?」

……。

ただの馬鹿だった。

何のポリシーもなく、ただ腹いせに喧嘩を売っていただけの、クソだった。

喧嘩を買っておきながら無責任かなとも思ったが、かかわらない方が賢明だと判断し、その場を立ち去った。背後で、おおっ、こらあっ、逃げんなやあっ、かかってこいやあっ、という怒声が聞こえたが、ぼくは無視した。ただ煮えくり返ったはらわたが落ちついたわけではなかった。もっともっといってやりたいことはあった。

だって、ムカつくだろう。

あの男の地元がどこだかわからないし、どんないきさつで千葉にきたのかはわからないが、そこで勝手に「似顔絵描きます」って看板掲げて、それで通行人に向かって「関東の男は~」って喧嘩売ってるんだぜ。だったら地元に帰れっ、て思うだろ?

たしかにその男の地元では、通行人たちの気持ちももっと温かかったのかもしれない。それに比べたら、千葉の人間は冷たく、気取って見えたのかもしれない。

だけど、だからといって、通行人に喧嘩ふっかけていいのか?

百歩ゆずって、喧嘩をふっかけるのも自由としよう。だけど、だったらその喧嘩を買ってくる人間に対する言葉は用意しておけよ。それが何だ? 「あああっ? んだっ、われっ、こらあぁぁっ! やんのか、こらあっ? かかってこいやあっ!」って、馬鹿すぎるだろ?

だがまあいい。怒りはおさまらなかったが、ああいう馬鹿とは、これ以上かかわらない方がいいのだ。喧嘩にも、質がいいものとわるいものの2種類がある。ああいう馬鹿との喧嘩は、当然、後者だ。



その後も何度か、その似顔絵描きを見かけたが、最近はすっかり見なくなった。地元に帰ったのか、路上で絵を描くのをやめたのか、それともたまたまぼくが見てないだけで、べつの日には路上に出ているのか、はっきりしたことはわからないが、少なくともぼくは見ていない。

べつに、知ったこっちゃないけど……。

ああいう馬鹿がぼくは大嫌いなので、ちょっと書いてみた。

それだけの話だ。



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ぼくが嫌いな人

先週の金曜、今は亡き幼なじみの墓参りにいった。
参照→『幼なじみの命日②』

その帰りに、幼なじみの家をおとずれた。おじさんとおばさん(幼なじみの両親)にあいさつするためだ。亡くなってから数年間は、ぼくの顔を見たら哀しみがぶり返すだろうと思って遠慮していたのだが、七回忌をすぎたあたりからはあいさつに出向くようになった。

といっても出向くのはたいてい平日で、おじさんもおばさんも仕事に出かけているから、直接会うことはほとんどなかった。毎年、お供え物の焼酎にメモをそえて玄関のわきに置いていく。後日おばさんからお礼の電話がかかってきて、少しばかり言葉をかわす。それだけですんでいた。

だが今年は、呼び鈴を押した後に返事があった。おじさんが在宅していたのだ。

ハイ、ドチラサン……?

部屋着のまま出てきたおじさんは、人を値踏みするような目を投げてきた。その目が気になったが、ぼくは名乗った。

あの……、ぼく、シゲルです。道下の……

オオ、ナンダ、ドウシタ……?

〇〇君の墓参りにいってきたんで、これ(焼酎)、仏前に供えてください。

ソウカ……。

おじさんは焼酎を無造作に受け取ると、ふたたび値踏みするような目でぼくを見た。

キミハ、カテイハモッタノカ?

結婚したのか、と訊いてきたのだ。いえ、まだです、とぼくは答えた。

ハヤク、カテイモッタホウガイイゾ……

おじさんは、顔を苦々しくしかめた。

シゴトハナニヤッテンダ……? チャントシテンノカ?

はあ……、まあ……

イツマデモソンナフウダト、オカアサンダッテシンパイダロウ……

そういう話を、きっと普段からおばさんと話してるんだろうなあ、とぼくは思った。おばさんとぼくの母はいまだにつき合いがあるから、おじさんの耳にもぼくの近況が伝わっているはずだった。知っていて訊いてきたのだ。つまりは、一言物申したいということだ……。

マア、マタヒヲアラタメテナ。イツモスマンナ……

そういっておじさんはドアを閉めた。

何だか、ものすごくいやな気分になった。ほんの数十分前、幼なじみの墓でかわした友情の会話がむなしく思えるほど、ぼくは落ちこんでしまった。

べつにえらぶるつもりはないが、自分の息子の命日の墓参りにきた者に対して、もっとほかにかける言葉はないのか、と思う。何も家に上げて茶の一杯も出せとはいわないけど(ぼくなら絶対にそうするが)、それに見合った歓迎の言葉の一つもかけてくれたっていいではないか。それがどうだ? 笑顔を見せるどころか、終始しかめっ面だったではないか。

このおじさんというのは、地元では名を知らない人はいない名士で、外面はいいが、本心では、世の中の底辺にいる人間を人間とは思っていないところがある。昔からそうだった。子どもの頃ひさしぶりにこの町に帰ってきたぼくと弟に、自分の息子の勉強の邪魔をさせないために、本を読んで感想文を書けと命令するような人だった。
※ちなみにそのときに与えられた本は、武者小路実篤の「友情」(弟には中勘助の「銀の匙」)で、サッカーマガジンと少年ジャンプが愛読書だったぼくにはチンプンカンプンだった。ふざけんな、と思い、ぼくと弟はバックレて外に遊びにいったものだった。結局そのときは幼なじみとろくに話すことなく帰った。

帰りの車の中でも、ずっと落ちこんだままだった。家に帰りついても、いやな気分はしばらくつづいた。自分の人生を否定されたような、そんな鈍い痛みがいつまでも心に残った。幼なじみの墓参りにいって、こんな気持ちになるのははじめてだった。



だいたい、ぼくはこの手の言葉を投げてくる人が嫌いだ。

家庭は持ったのか……

結婚はしたのか……

まだ独身なのか……

早くいい人見つけなさい……

年中会っている親しい友人ならいい。かわいがっている職場の後輩への言葉ならいい。あるいは親が子に対していうのなら、まあいいだろう。だがひさしぶりに会った人や、それほど親しくない間柄の人や、ほとんど初対面のような人に対していうのは、絶対に駄目だと思う。

それは、人をある一定の尺度ではかり、善悪のふるいにかける、ひどく傲慢な態度だ。いった本人にそのつもりはなくても、心の中に「結婚してない人は未熟者」という考えが根づいていて、知らず知らずのうちにその尺度で人を評価しているのだ。

つまり、見下しているのだ。

そして、それ以上に、無神経だと思う。想像力の欠如といいかえてもいい。



人の人生とは、すべて縁だ。

順風満帆な人生を送っている人は、もちろんその人の努力もあるだろうけど、ほとんどは縁によってその人生を生かされている。

逆に不運ばかりに見舞われ、決して幸福とはいえない人生の最中にいる人も、それは縁によってのことだ。これもまた本人の努力不足のせいもあるかもしれないが、一方で、努力しているのに報われない人生もある。予期せぬアクシデントに見舞わされることもある。それが成功をはばむことは少なくない。それもすべて縁なのだ。

結婚だって同じだ。

男女が恋をして、その恋をはぐくんでいき、仕事も順調であれば、やがては結婚する。これは世間一般では普通のことだが、縁に恵まれた結果なのだ。

一方、どうしても出逢いがない人だっている。これも同じく縁なのだ。また出逢いはあっても、さまざまな理由から別れてしまうことだってある。これも縁だ。その別れがひどく悲しいものなら、ずっと尾を引くことだってある。恋人と死別することだってあるだろう。その悲しみは計り知れない。そしてそれは決して映画やドラマだけの話じゃない。

あるいは、結婚したくても、経済的な理由でできない人もいる。努力しろ、働け、と人は簡単にいうけど、勤めていた会社が突然倒産したり、リストラに遭ったり、努力だけではどうすることもできない状況はたくさんある。それで恋人と別れてしまうケースだって少なくない。

ほかにも、病気や事故、身内の不幸、結婚できない理由はごまんとある。

そういうさまざまな人生があり、結果、独身でいる人は大勢いる。それはまさに縁であり、他人が否定するべきものではないのだ。

人が、人の人生をあれこれ評価するのは、決して許されることではないのだ。

どんな状況に置かれている人間も、不幸だと決めつけてはいけない。すべての人間、すべての人生をみとめてあげなければならない。

人が今その人であるのには、理由があるのだ。

しかし、順風満帆な船に乗った人の多くは、自分たちと同じ船に乗れない人をみとめることができない。その人たちの人生に何があったかを想像できない。だから、前記した言葉を簡単に口にできのだ。

早く、家庭を持ちなさい、と。

その多くは親切心からいっているのかもしれない。軽く尻をたたくつもりでいうのかもしれない。それでも……

それでもぼくは、その手の言葉を投げてくる人が嫌いだ。



来年からは、墓参りをした後、おじさんにもおばさんにもあいさつしないでそのまま帰ろうと思う。甘っちょろい考えかもしれないが、ぼくはやっぱり人を現状だけで評価する人間を好きになれない。

もちろん、ぼくだって今の自分のままでいいとは思っていない。もっと向上していきたいと思っている。縁があって結婚できるなら、それに越したことはないとも思う。

来年の命日には、幼なじみにいい報告ができればいい。

だがそのときも、おじさんにもおばさんにも何も報告しない。



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