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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

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松本人志の放送室を聴いて

昨日、おとといとブログを休んだ。

おとといは木曜恒例の「道下森の本棚」の日で、朝のうちに記事も用意してあった。あとは全体を読み返して、仕上げるだけだった。

だのに休んだ。

疲れていたのだ。

もはや、またかあ、という感じだが、例によって人手不足による忙しさからきた疲れだ。

で、記事を読み返す気力もなく、ビールを飲みながらぐたぐだとすごした。PCを開き、テキトーなサイトを眺めてすごす不毛な時間……

こういうのをネットサーフィンというのだろうか。やがてこんな動画にたどりついた。





ダウンタウンの松本人志が昔パーソナリティーをつとめていた「放送室」というラジオ番組だ。これが無数にアップされていた。お笑い巨匠(?)の語りということで、なかなか本質をついたトークが多く、ついつい聴き入ってしまった。
※10分程度なのでみんなも聴いてみて。

で、一番興味深く聴いたものが、上の動画のテーマだ。(まあ、松本氏が尋常じゃないくらいキレてたんで、聴き入ってしまったというのもあるけど)

これを聴いて、みんなはどう思っただろうか。

この動画によせられたコメントを読むと、松本氏の考えに対して賛否両論だ。(そのうち半分は、松本を好きか嫌いかでコメントしてる感じだが)

一般的に考えたら、アルバイトとはいえ仕事なのだから休んではいけないだろう。アルバイトを管理する側としては、「先輩の手伝いがあるから仕事休む? はあっ?」ってなるだろう。頼む側の先輩も「ああ仕事じゃしょうがねえなあ」と納得するだろう。第一、仕事がありそうな時間に頼みごとはしないはずだ。

それが一般社会の常識だ。

しかし、それはあくまで「一般的」な意見であって、この動画(ラジオ)の会話にはあてはまらない。

なぜならこの「アズミ」という人物の本業はあくまでお笑い芸人であって、アルバイトは生活するための手段にすぎないからだ。

とすれば、先輩である(相当世話になっている先輩である)松本氏の頼みは、やはりことわるべきではないだろう。そちらの方が、本業に直結するのだから。

それを「いや~バイトがあるんで」といって即答でことわられるのは、やはり先輩である(相当世話した先輩である)松本氏としては、はらわたが煮えくり返るのも無理はない。

いや、アルバイトとはいえ仕事だから休むべきではない! ……という反論もあるだろう。それはよくわかる。

だけどアルバイトなんて、本来は、『何かそれ以上に重要なものがあって、それでは今は食えないから仕方なしにやる』という生活手段の一つなのだ。だから当然『それ以上に重要なもの』が発生した場合、即座に休まなくてはならない。それを前提にアルバイトをしているのだから。それなのに「バイトがあるんで」といって『それ以上に重要なもの』の方をことわるのは、本末転倒だ。

だから上の動画の場合、「アズミ」という芸人は、松本氏の頼みをきくべきだったと思う。

えらそうな話をしたが、ぼくもアルバイトだ。もちろん『それ以上に重要なもの』があるからアルバイトに頼っているのだ。だから当然『それ以上に重要なもの』のためには休むし、場合によっては辞める。あたりまえだ。アルバイトなんてそんなものだし、そんなものだと考えなくてはいけないのだと思う。

いや、アルバイトだって立派な仕事だから、と、なおかつ反論する人もいるだろう。だけどその意見は、一見立派に思えて、じつは甘えにすぎないと思う。

言い方をかえれば、『それ以上に重要なもの』がないのなら、アルバイトに甘んじているべきではないのだ。社員になるか、あるいはそのための努力をしなくてはならない。

もちろんぼくもアルバイトだけど仕事はしっかりと責任感を持ってやっている。普段は欠勤も遅刻もしない。だけど『それ以上に重要なもの』が発生したときは、そちらを優先する。そのためにアルバイトをしているのだから。

管理する側だって、アルバイトなんてしょせんそんなもんだ、って考えているのだから。

いやいや自分はアルバイトだけど社員に目をかけられている、って思っているなら、それはまちがいだ。重宝されているだけだ。

冷たい言い方だが、そういうふうに考えなくていけないのだ。自分自身のために。


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故郷の定義

先週の土曜、仕事からの帰り、いつものように車でラジオを聴いていた。

そのパーソナリティーが、番組の終わりに、こんな一言をほざいた。

「東京の人はかわいそうだね。かれらには故郷がないんだから」

はああああああああああああああっ?

何いってくれちゃってんの?

あるだろお、故郷はっ!

東京で生まれ育った人は、東京が故郷だろおっ!

あたりまえだろおっ!

失礼だろ、東京の人にっ!

ちなみにこのパーソナリティーは秋田県出身らしく、そこから単身、東京に出て、現在フリーのアナウンサーとして活躍している。そういった環境から、故郷とはすなわち地方のことを指し、東京という場所は「仕事をするための場所」という馬鹿な概念があるのだろう。そうじゃなきゃ、あのような発言が口から飛び出るわけがない。

あるいはそうではなく、故郷とは、遠くにあるべきものだ、と考えているのかもしれない。もともと東京に住んでいて、成人してからも東京で暮らしつづける人は、その区別がないから故郷はないのだ、といいたかったのかもしれない。

しかし、これもおかしい。だとしたら、秋田県で生まれ育って、現在も秋田県で暮らす人は、故郷がないのか?

結局、このパーソナリティーは、東京を特別視しているのだ。たまたま日本は経済も政治も東京を中心にまわっているから、そんな勘違いが起こるのだ。

そして、そのように考えている人は、このパーソナリティー以外にも、残念ながらおおぜい存在している。

現にぼくも、ある地方出身の知人と、そのことで口論になったことがある。ぼくが東京の人は東京が故郷だ、といい返すと、そいつは普通の顔でいった。「東京は故郷じゃないでしょ」

いいか、よく聴け。

東京にはたくさんの地元民が住んでいるのだ。素朴で、情にあつく、おせっかいなほどに親切な人たちが、東京のあちこちに暮らしているのだ。かれらにとって、東京(の中のさまざまな町)は、故郷なのだ。あたりまえの話だ。

かれら東京人(江戸っ子)の暮らしをぶち壊して東京を改造している輩どもが、「東京の人は故郷がない」などというんじゃねえ、ボケっがっ!

ぼくは千葉県人だが、何となくムカついたんで、今日はそんな話をしてみた。

そのパーソナリティーの名前はふせよう。その人の発言について語ったのであって、その人のことをとやかくいいたいわけではないから。

ちなみにぼくの退社時間は14:30以降、その日はより道したので帰宅は16:00になった。くり返すが、その日は土曜日。そしてぼくはラジオはAMしか聴かない。



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