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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

旅について 遊びについて 夢について 人生観について 本について 愛用品について ありったけの思いを語ります

 

本当の友達

先日、友人のKと酒を飲んだ。

千葉駅で待ち合わせ、繁華街から少しはずれた小さな居酒屋に入った。ご年配の店主と若い女性のスタッフが切り盛りする雰囲気のある店だ。前回Kと飲んだときも、この店だった。海鮮物がおいしかった記憶がある。

コロナ禍をはさんでひさしぶりに会う友人と、まずは生ビールで乾杯した。互いの近況を話しつつ、昔話にも花が咲いた。

Kとは20代の初めにアルバイト先で出会った。荷揚げ屋といって、建築現場で使う資材を職人たちに代わって搬入する、究極の力仕事だ。同学年ということもあり、すぐにウマがあい、仕事帰りに酒を飲むようになった。

2人とも金がないから、いくのはたいてい安い居酒屋だった。飲みすぎて終電を逃し、サウナに泊まって翌朝そこから現場に直行することもしょっちゅうあった。寝不足と二日酔いでひいひいいいながら仕事をし、それでも夕方、仕事が終わると、また居酒屋へと足を運ぶのだった。

仕事がない日は、一緒に海にいき、共通の趣味である波乗りをしてすごした。旅行に出かけたこともあったし、互いの部屋に泊まったこともあった。野球やサッカーの試合を観にいったこともあった。とにかく年がら年中、一緒にいた。互いの彼女から、よからぬ仲なんじゃないかと訝しがられるほどだった。

25歳のとき、彼は先のないアルバイト生活に見切りをつけ、職人としての道を歩きはじめた。しっかりとした技術を身につけ、30歳をすぎた頃に独立した。今も立派なサイディング職人の親方として暮らしている。

そのときぼくも一緒にその仕事につく選択肢もあった。好き勝手な生活をするのは25歳くらいまでだという風潮もあったから、いいタイミングでもあった。実際、実家の両親や昔からの知人などから、ごちゃごちゃといわれることも増えていた時期だった。

だけどぼくにはまだやりたいことがあったし、夢をあきらめきれずにいたから、世間体を無視してアルバイト生活をつづけた。自分の可能性にかけたのだ。それは一見、勝手気ままな人生にも感じられるだろうが、実際は茨の道だった。それでもまだ20代でいるうちはよかった。本当にきつかったのは、30歳をすぎてからだ。夢をつかもうと努力をつづけても、その夢は近づくどころか、むしろ年を重ねるにつれて遠ざかった。まわりの人間から虐げられることも増えた。昔からの友人もみんな離れていった。いつまでも定職につかずにいるぼくに愛想をつかしたのだ。それが何よりもつらかった。

そんな中で、Kだけは友達でいつづけてくれた。かわらず月に一度は飲みにいったし、海にも出かけた。いい年してアルバイト生活をつづけていたぼくを、ちゃんと一人の人間として見つづけてくれたのだ。そして、必ず夢をつかめると信じてくれた。あの不安な日々の中で、それは本当に救いだった。

結局、ぼくは夢をつかむことができなかったが、もう一度べつの何かを目指してやろうと立ち上がれたのも、Kの存在があったからだと思う。そのときすでに40歳をすぎていたけど、そこから奮起してゼロから料理人の道に飛びこめたのは、Kという友達が、ずっとぼくの可能性を信じてくれたからだと思う。一度は死にかけた自分が、今こうして居酒屋の店主として堂々としていられるのは、間違いなくKのおかげだ。

そんな彼とひさしぶりに飲む酒は、やっぱりうまかった。互いの近況を話したり、この先どう生きていきたいかを語り合ったりと、いい時間がすごせた。

将来的にKは海の近くで暮らしたいのだといった。すでに計画に動き出していて、そのために農業を学びはじめているそうだ。くしくもそれは、あの頃ぼくがつかもうとしていた夢の先に、ぼんやりと思い描いていた生き方でもあった。その生き方を、偶然にもKが志していることが、おかしくもあり、うれしくもあった。

ぼくはその夢は捨てた。今は自分の店を、もっともっといい店にするのが夢だ。今でもちょっぴり田舎暮らしに憧れるけど、ぼくはぼくで今いる場所でずっと生きていく。

  ときどき遊びにいってもいいか?

  もちろんだよ。しょっちゅうきなよ。

  また一緒に波乗りできるね。

  うん。畑も手伝ってくれ。

  それはどうかなあ?

そんな話をしていると、もうたまらなく楽しくなって、ついつい深酒になってしまった。気づくと店にはぼくらしかいなくなっていて、店の人からラストオーダーを告げられたのを機に、お開きとした。

いい酒だったなあ。

また近いうちに会おう。それでさ、海の近くに住むっていうきみの夢を、応援させてくれ。

あの頃、きみがぼくの夢を応援してくれたように。





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店長、ありがとうございました

その日は金曜だった。

普段なら仕事帰りの人たちで店はハンパじゃなくこみ合うのだが、日中、あたたかかったこともあってか、さほどの忙しさではなかった。かといって暇すぎるということもなく、店をやる側にしてみれば、最も「いい感じの流れ」だった。

9時をすぎた時点で、客は4組。そのうち2組は1人客で、どちらも店にとって身内のような人たちだ。定位置ともいえるカウンターで、ぼくやNさん(店長の息子)に駄目だしをしつつ、ボトルの焼酎を飲んでいた。

「もうお客さん、こないかな?」

Mさん(店長の娘)がぼくにたずねてくる。

「たぶん、きても2、3組だよ」
「じゃあ、もういいかな?」
「店は大丈夫だから、病院いっていいよ」
「ホント? じゃあ軽くご飯食べてからいくね」

Mさん(店長の娘)はそういうと、2人の常連の間に座った。常連客の中でも、とくに店に日参してくれるこの2人は、姉弟にとって今や父親のような存在だ。病院へと急ぎたい気持ちの一方で、いろいろと話を聴いてもらいたい、Mさんは2人の「父親」に囲まれ、30分ほど話しこんだ。

Mさんが店を辞し、病院に向かったのは10時前だった。

その後テーブルで飲んでいた4人の客が帰り、常連の2人も帰っていった。10時15分。ラストオーダーの15分前で、客は残り1組みだけだ。

「今日はこれで終わりっぽいですね」

そんなことを話しながら片づけをはじめた。

店の電話が鳴ったのはちょうど10時半、最後の客にラストオーダーを訊いた直後だった。

「お父さんが、店長が……、たぶん、もうヤバいから……。あの、Nにかわって」
「わかった」

受話器をNさんにわたし、片づけをつづけた。

Nさんが受話器を置いた。やはり、危篤のようだ。

ついにきたか……

たまらない気持ちを押し殺し、ぼくはすぐに病院に向かうようNさんをうながした。

「店はぼく1人で大丈夫ですから」
「だけど……」
「早くいった方がいい」
「はい。じゃあ、お願いします」

そういってNさんは自転車に乗って病院に向かった。

しばしおでん鍋の前で立ちつくした。店長が危篤。店長が、店長が……。

はっ、と我に返り、片づけにかかった。おでん鍋の火をとめ、おでん種を一つ一つざるに上げていく。大根、卵、ちくわぶ、こんにゃく、がんも……

豆腐が3丁残っている。ぼくはそれをすべて皿に盛ると、食べやすい大きさに切り、客のテーブルに差し出した。

「これ、どうぞ」
「えっ、いいんですか?」
「はい、豆腐は翌日にもう出せないんで」
「マジッすか? ありがとうございます」

客の喜ぶ顔を見て、ぼくの心はほんのいっとき救われた。

「マスター(最近、フリーの客はぼくをマスターだと勘違いする)、おでん、マジでおいしいですよ」
「ホントですか? ありがとうございます」
「いやあ、すげえしみてて、こんなうまいおでんはじめてですよ」

最近、常連客におでんの味がかわったんじゃないかといわれていて、神経質になっていたので、お客さんにおでんをほめられるとほっとする。ぼくが開店前から何度も味をみて、店長の味を再現しているのだが、常連にとっては店長が出していた味と微妙にちがうという。それが本当のことなのか、単なる客の思いこみなのか、その判断がわからない。

ぼくとしては、自信を持って店長の味を引きついでいるつもりだ。だけど最近、何かととやかく駄目だししてくる一番の常連グループの人たちは、「かわった」という。1人が「かわった」といえば、それを伝え聞いた他の常連客もその意見に乗っかってくる。仮に、その日はいい味がつくれていたとしても、「どれどれ? ホントだ、かわった」となるのだ。客は客同士で対立意見をぶつけたがらない。「かわった」という通ぶった意見が上がれば、それに追従していた方が楽だから。それであちこちから批判されて、ますますわからなくなる。

それでも、フリーの客や、「一番」でない常連客たち(店にべったりではない、なじみの客)は、おいしいといってくれている。それがお世辞かお世辞じゃないかくらいは、ぼくにもわかる。

大丈夫。ちゃんと店長の味は出せている。少なくとも、まずいものは出していない!

「ええ、ホントうまいですよ。いい店見つけたなあ、なっ?」
「お仕事の帰りですか?」
「ええ。取引先が近くにあって」
「っていうか、ホントはさっきまでおっぱいパブにいたんですけどね」

客の1人がいい、全員が笑った。

「線路の向こうにいい店があるんですよ」
「へえ、そりゃいいですね」
「マスターも好きですか? 今度一緒にいきますか?」

そんな冗談をしばしかわして、ぼくは片づけに戻った。

ふたたび電話が鳴ったのは、11時を10分ほどまわったときだった。

「あ、ミッチー? Mです」

ついにきたか……、とぼくは観念した。受話器の向こう側の声は、涙でかれていた。

「Nにかわって」
「Nさん、そっち向かったんただけど……、間に合わなかった……?」
「11時5分に亡くなりました。ミッチー、いろいろありがとう」
「Mさん、お疲れさま。たいへんだったね。よくがんばったね。本当によくやったよ。お父さん、喜んでるよ」

店のことをNさんにまかせ、Mさんはほとんど1人で店長のお世話に奔走した。だから店長の死を心にとらえるより先に、Mさんへのねぎらいの言葉が口をついて出た。

「こっちは大丈夫だから、店長の……、お父さんのそばにいてあげてください。たぶん、Nさんもじきにつくと思うから」
「ありがとう。お父さんのたいせつな店を守ってください」

電話を切った。

天をあおぐように顔を上げ、その顔をゆっくりと下げて、店内を見まわした。6人がけのカウンターとテーブル3つの小さな店が、1人でいるとやけに広く感じる。

店長……

涙は出なかった。だけど心が悲しんでいるのはわかる。そして危機感や不安感が心を支配する。これからぼくは、ぼくたちは、誰を支えにして店を守っていけばいいのか……

悲しい気持ちを抱えながら、ぼくは片づけにかかった。鍋や食器を洗いながら、呆然とした心で店長の死をとらえようとつとめる。テーブルで飲みつづけるおっぱいパブ帰りの客たちの声が、遠く近く耳に流れこんでくる。

「マスター、お勘定お願いします」

客が声をかけてきた。マスターといわれ、いつもはちゃんと否定するのだが、何となくめんどうなのでそのままにしておいた。マスターはいません、さっき亡くなりました、といったら、客はどう反応するだろう……

ぼくは洗い物の手をとめ、お金を受け取った。お釣りを手わたし、店の外までお見送りする。しっかりと店の外に出て客を見送るのは、店長が何よりたいせつにしてきたことだ。

「ありがとうございました。ぜひまたきてください」
「絶対、きますよ」
「次はぼくらがまたこの店にきます。で、次の次は、マスターがおっぱいパブにきてくださいね、待ってますから」

そんな冗談に笑いながら、ぼくは客たちを見送った。自分の師が死んで間もないときに「おっぱいパブ」の話なんて、と内心で苦笑したが、客に店の裏事情を見せないことは、プロ意識の一つだ。そして、それを教えてくれたのはほかでもない店長だった。

ふたたび片づけにかかり、すべてを終えると、時計の針は12時半をまわっていた。ぼくはガスをとめ、電気を消して店を出た。

そのとき、Nさんが自転車に乗って店に帰ってきた。やはり死に目には間に合わなかったらしい。自分が病院にいてもしかたないから、あとは姉と母親にまかせ、自分は店に戻ってきたという。

「片づけ、ありがとうございました」
「いや。それより、残念でした……」

しばしNさんと語り、店を辞した。駐車場へと走り、すぐに病院に向かった。

夜の病院は静かだった。

病室にいくと、そこにはMさんとおかみさん、Mさんのお子さん、熊本から駆けつけたおかみさんの弟さんがいた。ぼくがあいさつすると、全員が恐縮するように会釈を返してきた。

みんながぼくのためにベッドを離れた。ぼくはゆっくりとベッドに近づき、店長の、動かなくなった店長の顔を見下ろした。

店長……

呆然と立ちつくした。ただただ呆然と、店長の死に顔を見つめた。それしかできなかった。

「お父さん、ミッチーのまじめなところがいい、っていつもいってたんだよ」

不意にMさんが口を開いた。

「あんなによくやってくれるやつはいない、って。おととい話したときも、そういってた」

たまらなくなって、ぼくはうつむき、目を閉じた。店長とともにすごした日々が、ぐるぐるとまぶたに映し出された。

「お父さん、店は財産だけど、従業員も財産だって、そうもいってた」

涙がこぼれた。それが店長の本心なら、その言葉はぼくにとって形見になる。その言葉で、店長のその思いで、ぼくはこの先どんな苦境に遭っても乗り切っていける。

ぼくは涙をふき、しっかりと店長を見つめて頭を下げた。

店長、ありがとうございました……

声に出していった。店長は何も答えなかった。

その後、店長の自宅までみんなを送り、その足で船橋に向かった。そこのセミナーハウスで、朝5時から仕事がある。それまで1時間ほど車で仮眠が取れる。

職場についた。

座席のリクライニングを落とし、目を閉じる。

心がざわめいている。

それが店長が亡くなった哀しさからきているのか、支えをうしなった不安からきているのか、わからない。

今はまだ何も考えられなかった。


 
 

父の13回忌~または弟の帰省

3月28日は父の命日だ。

今年は13回忌ということで、自宅に住職を呼んでお経を読んでもらった。その後、母と伯母、前日からこっちに泊まりにきていた弟と4人で、父の墓参りにいった。

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墓を掃除し、1人ずつ、墓前に手を合わせる。ぼくも手を合わせたが、みんながいる場ではどこか照れくさくて、線香をあげただけで墓前を離れた。べつに話すことなんかねえから、と馬鹿みたいにカッコつけて。

もっとも、ぼくは暇さえあれば墓参りにきてるから、話はいやというほどしているのだ。もちろん、そんなことは誰にもいわない。

帰宅後、東京は中野からはるばる帰省してきた弟のために、腕をふるった。先日つくって評判がよかった「いろいろピンチョス」と「かつおイタリア―ノ」(参照→3.18「かつおイタリア―ノといろいろピンチョス」)、そしてアジの三枚おろしの練習がてら「アジのたたき」と「あら汁」をつくった。三枚おろしは、現在、店長にたたきこまれているのだ。自宅でも練習して、早くものにしたい。

201303272004000.jpg

あいかわらずのピンボケだが、手前左側が「アジのたたき」、右が「あら汁」。その奥が「かつおイタリア―ノ」、卓の中央にあるのが「ピンチョス」だ。ちなみに「かつおイタリア―ノ」だが、今回はカツオのほかにマグロも使った。

前回つくったとき、上のソースはうまかったもののカツオに味がしみていなかったので、今回はそぎ切りにした刺身をオリーブオイルと酢でマリネにして、ラップにすりおろしたニンニクをぬり広げて冷蔵庫においておいた。

これが絶品だった!

母も伯母も、今回の方がおいしいといっていた。弟も絶賛してくれた。ホントは弟にぼくの18番の「特大コロッケ」も食わせたかったが、それは次回にまわすことにした。

それにしても、自分がつくった料理が絶賛されると、マジでうれしい。

料理を口にしながら、弟とビールを飲む。録画してあったドラマ「Dinner」を観ながら。これは日曜の午後9時からフジテレビ系列で放映されていたものだ。イタリアレストランを舞台にした物語で、視聴率こそTBSの「とんび」に劣っていたものの、なかなか秀逸なドラマだったと思う。弟と2人で、涙をにじませながら観た。

ドラマの最中に、母が「鶏の唐揚げ」を持ってきた。唐揚げは弟の好物だ。そして、母がつくる唐揚げは故郷の味なのだそうだ。おふくろさの味にはかなわない。ぼくがつくる唐揚げ(ザンギ)の方がうまいのに、とひそかに思っているが。

ああ、いいなあ……

弟がつぶやくようにいう。

うまい料理があって、うまい酒があって、感動的なドラマ(Dinnerのこと)があって……

幸せだなあ、としみじみいう。

こいつ、東京で、苦労してるんだなあ、とその笑顔を見てぼくは思った。その苦労がむくわれて、いつかホントの幸せがおとずれればいいと心から思う。こんなささやかなひとときに満足するんじゃなくて、途方もなくでっかい幸せを手にしてほしい。

天国の父さん、俺のことはほうっといていいから、こいつのことをずっと見守っててください。俺はもう大丈夫だから。自分の道を歩いているから……

その後も遅くまで、弟と飲んだ。よっぽど楽しかったのか、弟は普段より急ピッチでビールを飲み、いつしか口をあんぐり開けて眠ってしまった。

そのまま今夜も泊まっていけばいい。ぼくも今日は自宅に帰らずここに泊まるつもりだ。弟をそっと寝かしたまま、2階の自室に向かった。ぼくにしても翌日は3時半に起きなくてはならないから、早く寝ないといけない。

翌朝、目を覚ますと弟はいなかった。

かわりにメールがきていた。


いろいろありがとう。
またね。


ああ、また、いつでもこいよ。

今度きたときは、日本一うまいコロッケを食わしてやる。


関連記事 2012.4.9 桜の頃~父の命日
 
 

幼なじみの命日③

今年も2月17日がやってきた。

仕事が休みだったぼくは、車検から上がってきたばかりの車に乗って、鎌ヶ谷に向かった。そこはぼくが少年期をすごした故郷の町だ。そのはずれにひっそりと広がる墓地に、幼なじみが眠っている。

2月17日は、その幼なじみの命日だ。

毎年この日がくると、ぼくは必ず墓参りにいっている。去年もいったし、おととしもいった。そして自分の近況を報告する。

ここ数年は惰性で生きていたから、たいした報告ができずにいた。

参照→2011年→幼なじみの命日 2012年→幼なじみの命日②

今年はちがう。

新しい目標ができた。そのことを報告できるのが、少し誇らしい。

幼なじみの墓には、花が供えてあった。近くに住むやつの両親がお参りにきたのだろう。鉢合わせにならなくてよかったと、ぼくは胸をなでおろした。

理由→ぼくが嫌いな人

買ってきた仏花と芋焼酎を供え、線香をたいた。手を合わせ、静かに目を閉じる。そして、自分の近況を報告する。

  自分の店を持つ。そのために、市川のおでん屋で修業をしている……

そのおでん屋は、店長が病気のため休業していた。その店の営業再開が、2月19日に決まった。あさって(2/17の時点で)だ。あさってから、また店がはじまるのだ。

それと同時に、早朝からの仕事も決まった。先日派遣された研修施設だ。そこの宿泊客の朝食出しが新たな仕事だった。朝5時半から昼前までで、週5日ほどの勤務になるという。おでん屋の方も今後しばらく週5日勤務だから、並行するとなると、楽ではない。だがやるしかない。

  見ててくれよ……

幼なじみに、ぼくは語りかける。

  今度の夢は、必ずかなえるから……

耳をすまして、幼なじみの声を待つ。だが灰になった友の声は聞こえてこない。聞こえてくるのは、風の音と、べつの墓をお参りする人たちの声、近くのグラウンドから届く野球少年たちのかけ声だけだ。

  接客も料理もまだまだ未熟だけどな。失敗も多くて、店長に叱られてばっかだよ……

それでも、夢に向かって進んでいる実感がある。仕事で失敗しても、店長に叱られても、それは決してマイナスではない。人生は、得点だけが積み重なっていくゲームだ。努力さえしていれば、決して負けることはない。

  そうだよな、おれは生きてるんだもんな、何も怖くなんかないよな……

幼なじみに向けて、ぼくは語りつづける。やつの墓にではなく、やつの魂に向けて。

  なあ、見ててくれよ。おれはもう逃げないから。今度は必ずかなえるから……

つらくても、怖くても、夢の大きさに押しつぶされそうになっても、前に進む努力をつづけていく。人生は一度きりしかないのだから。

一度きりの人生を終えてしまった友に向けて、ぼくはちかう。

  必ず、必ず夢をかなえて、また報告にくるよ、だから……

  見ててくれよな……

最後に一礼すると、幼なじみの墓をあとにした。見ててくれ、ともう一度つぶやき、ぼくは車のエンジンをかけた。

あさってから、また戦いがはじまる。
 
 

3週間日ぶりの休日、母と弟の誕生日

今日(12/12)は3週間ぶりの完全オフだった。

午前中に用事をすませて、午後はひさしぶりに海にでもいこうと思っていたのだが、あれをやってこれをやってとバタバタしているうちに、時間も意欲もなくなった。

結局、今日は用事というか雑用に明け暮れた。

まず午前中に部屋と車の掃除をして、午後は買い物に出かけた。新しい仕事で使うこまごまとしたもの、それと母から頼まれた電灯、自分が料理するときに使う大型のまな板と小型のフライパン、サングラス、料理の本(ESSEのとっておきシリーズ)etc.

あとは車のオイル交換。その間にやや遅めの昼食をとった。最近いきつけになった、老夫婦がやっている定食屋(創業は昭和44年)で、いつものしょうが焼きを食う。

それから、今日は母の誕生日だから、そのプレゼントを選んだ。ちなみに明日は弟の誕生日で、その分も選ぶ。

プレゼントを選ぶのって楽しくて好きなんだけど、その反面ものすごくエネルギーを使うから、ひどく疲れてしまった。何だかめんどくさくなり、結局カタログギフトを母へのプレゼントにした。弟には、自作の絵ハガキを数枚1万円札と一緒に紙袋に入れ、袋の表に「ジャンパーズ結成〇△周年記念!」と書き殴った。ちなみにジャンパーズとは、子どもの頃につけた、ぼくら兄弟のチーム名だ。必然的に、弟の誕生日がチーム結成日となる。

で、実家に行く。最近、休みのたびに実家に帰っている。まあ、近所だから、帰るという感覚もないのだけれど。

すでに夕方の4時になっていた。翌朝2時45分に起きるぼくにとって、夕方の4時は普通の人の夜の7時か8時にあたる。

コーヒーを飲みながら本を読む。図書館で借りてきた、乃南アサ「ニサッタニサッタ」。

晩飯は母の好物の握り寿司だ。いちおう、ささやかながらお祝いをする。母と伯母と3人で。

おめでとう、母ちゃん。そしてありがとう。いつまでも元気でいてくれな。死んだ父さんのかわりに、ずっとずっとめんどうみるから。だから安心しろよ。

遠く離れた東京で暮らす弟には、宅配便でプレゼントを贈る。会いたいけど。互いに忙しいから今は無理だ。東京で、かなり苦労しているらしい。ぼくとちがって人がいいから、ついつい人のペースに巻きこまれて、自分のやりたいことが後まわしになるんだろう。

絵ハガキと同封した1万円で、好きなものを買ってくれ。

そんでよ、きつかったらいつでも千葉に戻ってこいよ。仕事なんてどうにだってなるんだから。何ならおれの店で働くか。1年半後に出すおれの店で、おれの右腕として活躍してくれるか。
人生の終盤、兄弟2人ですごすのもわるくねえじゃねえか。おれたちジャンパーズは、世界一のチームなんだから、そうだろ?

まあいいさ、とにかく2人ともおめでとう。家族の一番の問題児だった長男からの、お祝いを受け取ってくれ。
 
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