ぼくが大好きな楽団「HIBI★Chazz-k」の演奏を聴きに、池袋までいってきた。
HIBI★Chazz-kとは、JAZZをメインに世界に音楽の架け橋をかける音楽工事人で、2004年に結成した5人組のバンドだ。音楽工事人の名のとおり、メンバーはヘルメットと作業着姿でライブをおこなう。ちなみにかれらのライブは工事と呼ばれ、その日の工事(演奏)内容は、工事作業ボードに記される。
こんなふうに。

ちなみにこの日の工事内容(演奏曲)は、
①シング・シング・シング
②オレンジエクスプレス
③イングリッシュマン・イン・ニューヨーク
④銀河鉄道999
⑤ルパン3世
⑥キャラバンの到着
場所は池袋駅西口から歩いて2分のところにある東京芸術劇場前。
追っかけもいるほどの人気バンドだから、工事開始の11時10分のだいぶ前から人垣ができていた。
HIBI★Chazz-kのメンバーもぼちぼちと現れ、楽器のセッティングや音合わせをはじめた。

おおっ、生「HIBI★Chazz-k」だぜ……
……と、ぼくはひそかに興奮した。
そう、この日ぼくははじめて「HIBI★Chazz-k」の工事(ライブ)を観にきたのだ。だいぶ前からHIBI★Chazz-kのファンを名乗っていはいたが、なかなか生で観る機会がなかった。かれらのライブスケジュールは土日であることが多く、その日は日中の仕事に加えておでん屋の仕事もあるから、どうしても時間が取れなかったのだ。
今はおでん屋の仕事が休業中で、またホテルの仕事も暇なため、こうして東京まで遠征できる。そんなわけで、千葉の田舎から列車にごとごと揺られ、東京池袋までやってきたのだ。
HIBI★Chazz-kのメンバーが場を離れ、ミーティングのようなものをはじめた。

そして、はじまった!
「シング・シング・シング」を奏でながら、こちらへと歩いてくる。おおっ、すげえ、マジ感動する……
つづいて「オレンジエクスプレス」
そして……

「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」!!
これは名曲だし、ぼくがHIBI★Chazz-kを好きになったきっかけ(参照→イングリッシュマン・イン・ニューヨーク~Englishman in NewYork カバー特集 音楽のある夜~「HIBI★Chazz-k」特集)にもなった曲だから、動画で紹介したい。白黒だけど、いちおうかれらの公認動画なので。
ああ、いい曲だなあ。そしてすばらしいアレンジ。
この曲が生で聴けて最高に幸せだった。マジでメロメロだ。
つづく「銀河鉄道999」「ルパン3世」もノリノリで、すばらしかった。
そして最後の「キャラバンの到着」も、しんみりと心に響いた。
すべての演奏が終わり、ぼくは投げ銭に千円をはらった。
すると、こんなプレゼントが……

HIBI★Chazz-kのCD。今日演奏したほとんどの曲が入っている。もちろん、イングリッシュマン・イン・ニューヨークも。
その後、池袋の東側に抜け、雑司が谷まで足をのばした。

仲のいい友人にさえ公表していないが、ぼくはここ雑司が谷近辺で生まれた。4歳頃までだから、ほとんど記憶らしい記憶はないけど、ここをおとずれるたび、母胎に抱かれるような懐かしさを感じる。母につれられ、雑司が谷保育園までかよった町並みは、当時の面影を残している。
今も都電が、チンチンと音を立てて走りゆく。そこだけ時代から取り残されたような、昭和の匂いがする町。そんな町並みを一目見ようと、カメラを片手に人々が遊びにくる。

鬼子母神でお参り。

境内にある駄菓子屋「上川口屋」は1781年創業。ぼくが住んでいた40年前も、このおばあちゃんは店にいたのだろうか。

家路につく前に、ジュンク堂書店に立ちよる。ここはものすごい本の品ぞろえだ。活字離れが叫ばれている昨今、この本屋はレジに行列ができるほどの盛況ぶりだ。
こみ合う店内をさまよい、本を選ぶ。最近また読書欲が旺盛になった。
この日、選んだのは「ぶつよ」東山とし子著。渋谷ののんべえ横丁の焼き鳥屋のおかみさんが書いた本だ。
夕暮れの池袋をあとにし、有楽町線で家路につく。
ある休日の話。北風はものすごく冷たかったけど、心が満たされた1日だった。
HIBI★Chazz-kとは、JAZZをメインに世界に音楽の架け橋をかける音楽工事人で、2004年に結成した5人組のバンドだ。音楽工事人の名のとおり、メンバーはヘルメットと作業着姿でライブをおこなう。ちなみにかれらのライブは工事と呼ばれ、その日の工事(演奏)内容は、工事作業ボードに記される。
こんなふうに。

ちなみにこの日の工事内容(演奏曲)は、
①シング・シング・シング
②オレンジエクスプレス
③イングリッシュマン・イン・ニューヨーク
④銀河鉄道999
⑤ルパン3世
⑥キャラバンの到着
場所は池袋駅西口から歩いて2分のところにある東京芸術劇場前。
追っかけもいるほどの人気バンドだから、工事開始の11時10分のだいぶ前から人垣ができていた。
HIBI★Chazz-kのメンバーもぼちぼちと現れ、楽器のセッティングや音合わせをはじめた。

おおっ、生「HIBI★Chazz-k」だぜ……
……と、ぼくはひそかに興奮した。
そう、この日ぼくははじめて「HIBI★Chazz-k」の工事(ライブ)を観にきたのだ。だいぶ前からHIBI★Chazz-kのファンを名乗っていはいたが、なかなか生で観る機会がなかった。かれらのライブスケジュールは土日であることが多く、その日は日中の仕事に加えておでん屋の仕事もあるから、どうしても時間が取れなかったのだ。
今はおでん屋の仕事が休業中で、またホテルの仕事も暇なため、こうして東京まで遠征できる。そんなわけで、千葉の田舎から列車にごとごと揺られ、東京池袋までやってきたのだ。
HIBI★Chazz-kのメンバーが場を離れ、ミーティングのようなものをはじめた。

そして、はじまった!
「シング・シング・シング」を奏でながら、こちらへと歩いてくる。おおっ、すげえ、マジ感動する……
つづいて「オレンジエクスプレス」
そして……

「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」!!
これは名曲だし、ぼくがHIBI★Chazz-kを好きになったきっかけ(参照→イングリッシュマン・イン・ニューヨーク~Englishman in NewYork カバー特集 音楽のある夜~「HIBI★Chazz-k」特集)にもなった曲だから、動画で紹介したい。白黒だけど、いちおうかれらの公認動画なので。
ああ、いい曲だなあ。そしてすばらしいアレンジ。
この曲が生で聴けて最高に幸せだった。マジでメロメロだ。
つづく「銀河鉄道999」「ルパン3世」もノリノリで、すばらしかった。
そして最後の「キャラバンの到着」も、しんみりと心に響いた。
すべての演奏が終わり、ぼくは投げ銭に千円をはらった。
すると、こんなプレゼントが……

HIBI★Chazz-kのCD。今日演奏したほとんどの曲が入っている。もちろん、イングリッシュマン・イン・ニューヨークも。
その後、池袋の東側に抜け、雑司が谷まで足をのばした。

仲のいい友人にさえ公表していないが、ぼくはここ雑司が谷近辺で生まれた。4歳頃までだから、ほとんど記憶らしい記憶はないけど、ここをおとずれるたび、母胎に抱かれるような懐かしさを感じる。母につれられ、雑司が谷保育園までかよった町並みは、当時の面影を残している。
今も都電が、チンチンと音を立てて走りゆく。そこだけ時代から取り残されたような、昭和の匂いがする町。そんな町並みを一目見ようと、カメラを片手に人々が遊びにくる。

鬼子母神でお参り。

境内にある駄菓子屋「上川口屋」は1781年創業。ぼくが住んでいた40年前も、このおばあちゃんは店にいたのだろうか。

家路につく前に、ジュンク堂書店に立ちよる。ここはものすごい本の品ぞろえだ。活字離れが叫ばれている昨今、この本屋はレジに行列ができるほどの盛況ぶりだ。
こみ合う店内をさまよい、本を選ぶ。最近また読書欲が旺盛になった。
この日、選んだのは「ぶつよ」東山とし子著。渋谷ののんべえ横丁の焼き鳥屋のおかみさんが書いた本だ。
夕暮れの池袋をあとにし、有楽町線で家路につく。
ある休日の話。北風はものすごく冷たかったけど、心が満たされた1日だった。
入院中の店長を見舞いにいった。
暮れに訪ねたときは身体中点滴の管だらけで見るからに重病人という感じだったが、それがすっかり取れていた。そのせいか、すごく元気そうに見えた。食事もちゃんと食べられ(といってもおかゆを少しだけだが)、また病院外への散歩なども許可されたらしい。
「早く店に出てえよ」
前回お見舞いにいったとき以上に前向きな言葉がいくつも出た。ほとんどが店の話だ。旅行にいきたいとか温泉にいきたいとか、そういう願望はいっさいないようらしい。店に出たい。ただそれだけだ。
退院はもう少し先らしいが、とにかく元気そうで何よりだった。
そのまま帰るのも寂しいので、ぶらぶらと歩く。
店がある市川という町がぼくは好きだ。故郷である鎌ヶ谷の隣ということもあってか、親しみやすいのだ。チェーン店ではない、個人でやってる飲み屋が多いのもいい。もっともぼくはその飲み屋で働く側なので、どの店にもいったことはないが。
江戸川をはさんで東京と隣接するこの市は「千葉都民」の町などと揶揄されているが、そんなことは決してない。市川は市川であり、強烈な個性を持った一つの町だ。南部を中心に一部の地域こそ東京のベッドタウンとして発展してしまっているものの、江戸川の近くには自然もたっぷりと広がっているし、古い家並みも各所に残っている。
真間川にいきついた。
真間川は江戸川から分流して東京湾に注ぐ全長8.5キロの都市河川だ。万葉集にも詠われた「真間の手児奈伝説」に登場する「真間の入り江」の跡としても知られている。
川沿いの道をぼんやりと歩く。




やがて川は江戸川へといきついた。

こののんびりした大河を越えると東京だと、子どもの頃から強く印象づけられていた。父の運転する車で東京の足立区にある祖父母の家にいくたび、父の口から説明されていたからだろう。ほらおまえら(ぼくと弟)、江戸川をすぎたから、もう東京に入ったぞ……。その声が、川風に乗ってよみがえってくるようだ。
真間川を引き返し、市川駅へ。駅の南口にあるアイリンクタウンという展望施設に上る。

地上45階から見わたす風景は迫力満点だった。川の向こうにはスカイツリー。東京タワーも小さく見える。空気が澄んでいれば富士山も見えるらしい。

展望施設をあとにすると、街は夕暮れに染まっていた。せっかくだからどこかの店で飲んでいくか。ジャンパーのポケットに手をつっこみ、ぼくは飲み屋の集う通りへと歩き出した。
暮れに訪ねたときは身体中点滴の管だらけで見るからに重病人という感じだったが、それがすっかり取れていた。そのせいか、すごく元気そうに見えた。食事もちゃんと食べられ(といってもおかゆを少しだけだが)、また病院外への散歩なども許可されたらしい。
「早く店に出てえよ」
前回お見舞いにいったとき以上に前向きな言葉がいくつも出た。ほとんどが店の話だ。旅行にいきたいとか温泉にいきたいとか、そういう願望はいっさいないようらしい。店に出たい。ただそれだけだ。
退院はもう少し先らしいが、とにかく元気そうで何よりだった。
そのまま帰るのも寂しいので、ぶらぶらと歩く。
店がある市川という町がぼくは好きだ。故郷である鎌ヶ谷の隣ということもあってか、親しみやすいのだ。チェーン店ではない、個人でやってる飲み屋が多いのもいい。もっともぼくはその飲み屋で働く側なので、どの店にもいったことはないが。
江戸川をはさんで東京と隣接するこの市は「千葉都民」の町などと揶揄されているが、そんなことは決してない。市川は市川であり、強烈な個性を持った一つの町だ。南部を中心に一部の地域こそ東京のベッドタウンとして発展してしまっているものの、江戸川の近くには自然もたっぷりと広がっているし、古い家並みも各所に残っている。
真間川にいきついた。
真間川は江戸川から分流して東京湾に注ぐ全長8.5キロの都市河川だ。万葉集にも詠われた「真間の手児奈伝説」に登場する「真間の入り江」の跡としても知られている。
川沿いの道をぼんやりと歩く。




やがて川は江戸川へといきついた。

こののんびりした大河を越えると東京だと、子どもの頃から強く印象づけられていた。父の運転する車で東京の足立区にある祖父母の家にいくたび、父の口から説明されていたからだろう。ほらおまえら(ぼくと弟)、江戸川をすぎたから、もう東京に入ったぞ……。その声が、川風に乗ってよみがえってくるようだ。
真間川を引き返し、市川駅へ。駅の南口にあるアイリンクタウンという展望施設に上る。

地上45階から見わたす風景は迫力満点だった。川の向こうにはスカイツリー。東京タワーも小さく見える。空気が澄んでいれば富士山も見えるらしい。

展望施設をあとにすると、街は夕暮れに染まっていた。せっかくだからどこかの店で飲んでいくか。ジャンパーのポケットに手をつっこみ、ぼくは飲み屋の集う通りへと歩き出した。
年末に鎌倉にいってきた。
とくに目的はない。単なる気晴らしだ。
……というのは嘘で、目的はちゃんとあった。
ここにいきたかったのだ。

銭洗弁財天宇賀福神社。
知ってる人は知ってると思うけど、金運アップにご利益があるといわれる神社だ。
参照→銭洗弁財天宇賀福神社
ぼくはわりとこういうパワースポットに弱くて、ついつい話題の場所に出向いてしまう。とくに神社には。ぼくの出自が神社と縁が深い家柄だからか、昔から何となく神社が好きなのだ。
で、列車に乗って、海の向こう側まで(千葉県と神奈川県は東京湾をはさんで向かい合っている)いってきたってわけだ。
鎌倉駅を降り、20分ほど歩くと銭洗弁財天宇賀福神社につく。年末だからか、参拝客はかなりのものだった。

入り口の隧道をくぐると、

鳥居がいっぱい。その向こうに社務所があり、そこでろうそくと線香をもらう。あっ、100円ね。お金を洗うざるももらえるから。
ろうそくに火をともし、線香をたいたら、本宮の横の洞窟に入っていく。

で、湧き出る清水、その名も銭洗水でお金を洗う。ちなみにこの水は、鎌倉五名水に数えられている。
こんな感じになってる。

ぼくは1万円札を洗い、自然乾燥させて財布にしまった。まあ、お守りがわりだね。ご利益あるといいけど。
もちろん、神頼みだけでなく、自分の力で、つまり働いてお金を稼ぐんだけど、それにともなってこうして神様の力も借りる。そうすることで、感謝する心が生まれるのだ。
1時間近くかけてお参りし、神社をあとにした。
その後は江ノ電に乗って海を見にいった。

撮り鉄君たちにまじって撮った写真。あいかわらずのピンボケ。
それにしても海岸沿いに洋風のレストランが多い。カフェとかね。同じ海沿いでも、房総の海はもっと田舎っぽいのに、こっちは何かシャレてるなあ。
……てなわけで、鎌倉にいってきましたよ、って話。
内容もオチもなくて、どうもすみませんなあ(^_-)
では、また(^o^)丿
とくに目的はない。単なる気晴らしだ。
……というのは嘘で、目的はちゃんとあった。
ここにいきたかったのだ。

銭洗弁財天宇賀福神社。
知ってる人は知ってると思うけど、金運アップにご利益があるといわれる神社だ。
参照→銭洗弁財天宇賀福神社
ぼくはわりとこういうパワースポットに弱くて、ついつい話題の場所に出向いてしまう。とくに神社には。ぼくの出自が神社と縁が深い家柄だからか、昔から何となく神社が好きなのだ。
で、列車に乗って、海の向こう側まで(千葉県と神奈川県は東京湾をはさんで向かい合っている)いってきたってわけだ。
鎌倉駅を降り、20分ほど歩くと銭洗弁財天宇賀福神社につく。年末だからか、参拝客はかなりのものだった。

入り口の隧道をくぐると、

鳥居がいっぱい。その向こうに社務所があり、そこでろうそくと線香をもらう。あっ、100円ね。お金を洗うざるももらえるから。
ろうそくに火をともし、線香をたいたら、本宮の横の洞窟に入っていく。

で、湧き出る清水、その名も銭洗水でお金を洗う。ちなみにこの水は、鎌倉五名水に数えられている。
こんな感じになってる。

ぼくは1万円札を洗い、自然乾燥させて財布にしまった。まあ、お守りがわりだね。ご利益あるといいけど。
もちろん、神頼みだけでなく、自分の力で、つまり働いてお金を稼ぐんだけど、それにともなってこうして神様の力も借りる。そうすることで、感謝する心が生まれるのだ。
1時間近くかけてお参りし、神社をあとにした。
その後は江ノ電に乗って海を見にいった。

撮り鉄君たちにまじって撮った写真。あいかわらずのピンボケ。
それにしても海岸沿いに洋風のレストランが多い。カフェとかね。同じ海沿いでも、房総の海はもっと田舎っぽいのに、こっちは何かシャレてるなあ。
……てなわけで、鎌倉にいってきましたよ、って話。
内容もオチもなくて、どうもすみませんなあ(^_-)
では、また(^o^)丿
昨日(5/25)、仕事が休みだったので、東京に遠征した。
ぼくの場合、仕事がオフになると、たいてい海か山にいく。自然に抱かれて遊ぶのが好きだから。
海にいって波に乗り、山にいって頂上めざしててくてく歩く。あるいは川にいき、カヌーを浮かべてバシャバシャと漕ぐ。
だけどそんなことをつづけていると、ときおり、むしょうに街に出たくなる。
海、山、あるいは川にかよい、そういう場所に慣れてしまうと、今度はその対極にある都会の風景が懐かしくなるのだ。
で、列車に揺られて東京まで出る。昨日がその日だった。
ぼくの住む千葉にも繁華街はあるが、正直あの街は退屈だ。千葉市民のほとんどがそう感じていると思う。
それぞれの地方都市が持つ「味」というものが、千葉の街にはまったくない。すべてにおいて中途半端なのだ。
だから、東京にいく。
だが東京と一口にいっても、そこは一つの街ではない。無数のエリアが存在している。何しろ行政区だけでいっても、23もあるのだ。さらに細かくわければ、街の数は100や200じゃきかない。そのすべてを「観光」するとなれば、それはもう1カ月あっても足りないだろう。
今回、ぼくは墨田区に向かった。
JR総武線錦糸町駅に降り立ち、北に向けて歩き出した。
めざすはそう、かの電波塔。

東京スカイツリーだ。
自立式電波塔としては世界一の高さを誇る……といわれても、正直あまり興味はなかった。
だけど開業初日に、テレビのニュースでさんざっぱら観させられているうちに、何となく観てみたいと思うようになったのだ。
まあ、墨田区なら千葉から比較的近いし、だったら冷やかしにいくのもわるくない。

※指が写ってしまいました^_^;
意外にテンションが上がる。スカイツリー、カッコイイじゃん……
到着。

この迫力……
もっともチケットはすでに7月10日まで完売していて、入場することはできなかった。
残念賞として、スカイツリータウンを冷やかした。
どんな施設かは、このサイトを参照して→「東京スカイツリータウン」
とにかくすごい人ゴミだった。スカイツリー自体はカッコイイと思ったが、この人ゴミでは興ざめする。ぼくもその人ゴミの一員ではあるのだけど……
口直しに、ぼくが大好きな乗り物「チンチン電車(都電荒川線)」に乗ろうと思い、東武線で町屋にいく。
昼間っから酒が飲める大衆酒場や食堂がそこかしこにある、魅力的な下町。ちなみにこの地は、かつて広大な田園地帯の中にあった。そこにだけ町家が集っていたことから、町屋の名がついたという。
その町屋からチンチン電車に乗った。
ぼくが外国からきたバックパッカーなら、浅草や秋葉原、築地市場なんかにいくより、この都電に乗って、適当な駅で降りる。そこに広がる町こそ、飾らない昔ながらの東京だ。
ぼくは今回、東池袋四丁目に降りた。

池袋方面に向かわず、雑司ケ谷や鬼子母神といった、昔ながらの町並みを時間をかけて散策した。
どんな旅をしたかは、またべつの話だ。
そんなわけで、ついついミーハーな気分でおとずれた東京スカイツリー、意外にもわるくなかった。
人ゴミが消える頃に、またおとずれたいと思う。
ホームへ
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
応援のクリックをしていただけると、励みになります。

こちらの姉妹ブログで、自作の小説を連載中です。第1話から読めますので、ぜひ覗いてみてください。

ここからどうぞ→お父さんとの旅『入り口』
ぼくの場合、仕事がオフになると、たいてい海か山にいく。自然に抱かれて遊ぶのが好きだから。
海にいって波に乗り、山にいって頂上めざしててくてく歩く。あるいは川にいき、カヌーを浮かべてバシャバシャと漕ぐ。
だけどそんなことをつづけていると、ときおり、むしょうに街に出たくなる。
海、山、あるいは川にかよい、そういう場所に慣れてしまうと、今度はその対極にある都会の風景が懐かしくなるのだ。
で、列車に揺られて東京まで出る。昨日がその日だった。
ぼくの住む千葉にも繁華街はあるが、正直あの街は退屈だ。千葉市民のほとんどがそう感じていると思う。
それぞれの地方都市が持つ「味」というものが、千葉の街にはまったくない。すべてにおいて中途半端なのだ。
だから、東京にいく。
だが東京と一口にいっても、そこは一つの街ではない。無数のエリアが存在している。何しろ行政区だけでいっても、23もあるのだ。さらに細かくわければ、街の数は100や200じゃきかない。そのすべてを「観光」するとなれば、それはもう1カ月あっても足りないだろう。
今回、ぼくは墨田区に向かった。
JR総武線錦糸町駅に降り立ち、北に向けて歩き出した。
めざすはそう、かの電波塔。

東京スカイツリーだ。
自立式電波塔としては世界一の高さを誇る……といわれても、正直あまり興味はなかった。
だけど開業初日に、テレビのニュースでさんざっぱら観させられているうちに、何となく観てみたいと思うようになったのだ。
まあ、墨田区なら千葉から比較的近いし、だったら冷やかしにいくのもわるくない。

※指が写ってしまいました^_^;
意外にテンションが上がる。スカイツリー、カッコイイじゃん……
到着。

この迫力……
もっともチケットはすでに7月10日まで完売していて、入場することはできなかった。
残念賞として、スカイツリータウンを冷やかした。
どんな施設かは、このサイトを参照して→「東京スカイツリータウン」
とにかくすごい人ゴミだった。スカイツリー自体はカッコイイと思ったが、この人ゴミでは興ざめする。ぼくもその人ゴミの一員ではあるのだけど……
口直しに、ぼくが大好きな乗り物「チンチン電車(都電荒川線)」に乗ろうと思い、東武線で町屋にいく。
昼間っから酒が飲める大衆酒場や食堂がそこかしこにある、魅力的な下町。ちなみにこの地は、かつて広大な田園地帯の中にあった。そこにだけ町家が集っていたことから、町屋の名がついたという。
その町屋からチンチン電車に乗った。
ぼくが外国からきたバックパッカーなら、浅草や秋葉原、築地市場なんかにいくより、この都電に乗って、適当な駅で降りる。そこに広がる町こそ、飾らない昔ながらの東京だ。
ぼくは今回、東池袋四丁目に降りた。

池袋方面に向かわず、雑司ケ谷や鬼子母神といった、昔ながらの町並みを時間をかけて散策した。
どんな旅をしたかは、またべつの話だ。
そんなわけで、ついついミーハーな気分でおとずれた東京スカイツリー、意外にもわるくなかった。
人ゴミが消える頃に、またおとずれたいと思う。
ホームへ
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
応援のクリックをしていただけると、励みになります。

こちらの姉妹ブログで、自作の小説を連載中です。第1話から読めますので、ぜひ覗いてみてください。

ここからどうぞ→お父さんとの旅『入り口』