天皇賞 秋
ブエナビスタがきた。
圧勝だ。
……と書いたが、ぼくは競馬はやらない。
いっさいやらない。そう決めている。
以前はやっていた。毎回ではなく、買ったり買わなかったり、だった。
勝つこともあったし、負けることもあった。もちろん負けることの方が多かったが、のめりこむようなことはなかったので、財布はそれほど痛まなかった。
まあまあ楽しい趣味であった。
だのになぜやめたのか?
負けがこんだ?
そうじゃない。さっきも書いたが、負けてもいいや、という金額でしかやらなかった。それも毎週やるわけでもなかった。大きなレースや好きな馬が出走するレースの中で、気が向いたときだけ競馬場(中山)に足を運ぶ、といった感じだった。
それが競馬をやめた理由だ。
それ? どれ?
だから、毎週やらない、気が向いたときだけ競馬場にいく、というのが理由だ。
毎週やらないというのは、毎週馬券を買わないという意味で、予想は一応する。それで気が向いたり、暇だったりのときに買いにいく。
そのうち8割は負ける。いや、9割か。だけどそれはまあいい。さっきも書いたが、負けてもいいくらいの金額でしか遊ばなかった。2000円か3000円、せいぜい5000円失うくらいだ。自分で予想したんだから自己責任だし、レース自体は楽しんだし、とわりきれる金額(当時のぼくの財力で)。まあ、ゲームに負けた、という悔しさは残ったが、それは草サッカーの試合に負けた、というのと同じ種類のものだった。
勝てばうれしい。負けたら、まあ悔しい。そのくり返しの中で、好きな馬ができ、その馬は追っかける。楽しい趣味だった。人生のスパイスといったところだろうか。
だけど、だけど、だ。
1つだけ、「人生のスパイス」ですまされない、深いダメージを心に受けるパターンがある。
それは、
予想は当たっていたのに買わなかった、というパターンだ。
買ってたらあたってたよお、マジかよお(T_T) ってパターン。
そのパターンは、マジでダメージがでかい。
とくに万馬券の場合は最悪だ。
一度、買ってたら28万円になった、ってパターンがあった。
直前までいくかいかないか(競馬場に)迷い、こないだろ、と結論を出し、馬券を買わずに部屋のテレビでレースを観た。
その馬券がきたときのダメージは今でもおぼえている。
そのダメージは、翌々週までつづいた。何だか毎日仕事をしていても、ただ働きしている感じだった。
で、そのレースを最後に、競馬をきっぱりやめたのだ。
負けるのはいい。自分で決めて、それでお金を失うのだから、あきらめもつく。
だけど買わないで、その馬がきちゃったときは、その後悔は、しばらく立ち直れない。
気が向いたときだけ買うぼくには、そのパターンに対するリスクはつきまとうのだ。
だからやめた。
きっちりやめた。
このレースだけは、ってのもなし。
グランプリ(有馬記念)くらいは、ってのもなし。
絶対に買わないんだ、と決めているのだ。
だから仮にお遊びでレースの予想をして、その予想が当たったとしても何とも思わない。
仮に1000円買ってたら10万円になっていたとしても、だからどうした、だ。
ふうん、10万か、新しいテントと寝袋が買えるな、ってことくらいは考えるけどね。
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圧勝だ。
……と書いたが、ぼくは競馬はやらない。
いっさいやらない。そう決めている。
以前はやっていた。毎回ではなく、買ったり買わなかったり、だった。
勝つこともあったし、負けることもあった。もちろん負けることの方が多かったが、のめりこむようなことはなかったので、財布はそれほど痛まなかった。
まあまあ楽しい趣味であった。
だのになぜやめたのか?
負けがこんだ?
そうじゃない。さっきも書いたが、負けてもいいや、という金額でしかやらなかった。それも毎週やるわけでもなかった。大きなレースや好きな馬が出走するレースの中で、気が向いたときだけ競馬場(中山)に足を運ぶ、といった感じだった。
それが競馬をやめた理由だ。
それ? どれ?
だから、毎週やらない、気が向いたときだけ競馬場にいく、というのが理由だ。
毎週やらないというのは、毎週馬券を買わないという意味で、予想は一応する。それで気が向いたり、暇だったりのときに買いにいく。
そのうち8割は負ける。いや、9割か。だけどそれはまあいい。さっきも書いたが、負けてもいいくらいの金額でしか遊ばなかった。2000円か3000円、せいぜい5000円失うくらいだ。自分で予想したんだから自己責任だし、レース自体は楽しんだし、とわりきれる金額(当時のぼくの財力で)。まあ、ゲームに負けた、という悔しさは残ったが、それは草サッカーの試合に負けた、というのと同じ種類のものだった。
勝てばうれしい。負けたら、まあ悔しい。そのくり返しの中で、好きな馬ができ、その馬は追っかける。楽しい趣味だった。人生のスパイスといったところだろうか。
だけど、だけど、だ。
1つだけ、「人生のスパイス」ですまされない、深いダメージを心に受けるパターンがある。
それは、
予想は当たっていたのに買わなかった、というパターンだ。
買ってたらあたってたよお、マジかよお(T_T) ってパターン。
そのパターンは、マジでダメージがでかい。
とくに万馬券の場合は最悪だ。
一度、買ってたら28万円になった、ってパターンがあった。
直前までいくかいかないか(競馬場に)迷い、こないだろ、と結論を出し、馬券を買わずに部屋のテレビでレースを観た。
その馬券がきたときのダメージは今でもおぼえている。
そのダメージは、翌々週までつづいた。何だか毎日仕事をしていても、ただ働きしている感じだった。
で、そのレースを最後に、競馬をきっぱりやめたのだ。
負けるのはいい。自分で決めて、それでお金を失うのだから、あきらめもつく。
だけど買わないで、その馬がきちゃったときは、その後悔は、しばらく立ち直れない。
気が向いたときだけ買うぼくには、そのパターンに対するリスクはつきまとうのだ。
だからやめた。
きっちりやめた。
このレースだけは、ってのもなし。
グランプリ(有馬記念)くらいは、ってのもなし。
絶対に買わないんだ、と決めているのだ。
だから仮にお遊びでレースの予想をして、その予想が当たったとしても何とも思わない。
仮に1000円買ってたら10万円になっていたとしても、だからどうした、だ。
ふうん、10万か、新しいテントと寝袋が買えるな、ってことくらいは考えるけどね。
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