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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

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日立のコタツ

子どもの頃は、ちゃぶ台を囲んで家族4人で食事をとっていた。

毎年、冬がくると、そのちゃぶ台がコタツにかわった。正式な名は忘れたが、日立の製品だったのはおぼえている。「日立」だったか「HITACHI」だったか、その文字がコタツの温度調整のツマミのわきに刻まれていたのが、心にやきついている。

「日立の製品はしっかりしてるからな」
何を根拠にそういったかは知らないが、父はまるで自分が勤めている会社であるかのように、誇らしげだった。

コタツが出てくると、そこで食事を取るようになる。テレビを観ながら。それでいて、家族の会話もあった。父は勤め人だったが毎晩7時すぎには帰宅していたから、たいてい4人そろっての食事だった。父や母が、ぼくと弟に学校での出来事を訊き、2人ともその質問にちゃんと答えるという、絵にかいたような幸福家族だった。

時代は昭和で、テレビからはバラエティー番組が映し出されていた。夏場は父が好きだったジャイアンツの試合ばかりを観ることになっていたが、コタツが出てくる季節は野球がないから、たいていバラエティーかクイズ番組、少し遅い時間になるとドラマ、というのが定番だった。

バラエティーといっても、今はやりのタレント同士のふざけっこといったくだらないものではなく、コントを中心にした、しっかりとつくり上げた番組だった。ドリフとか、欽ちゃんの番組とか。あと、伊東四朗と小松政夫の「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」が大好きで、家族4人でげらげら笑い転げていたのを今もおぼえている。

そう、野球中継がない冬場の、コタツのある情景には、いつも笑いがあった。そして、いつも決まった場所に座る家族がいた。子どもの頃の冬は、いつでもあったかかった。



ぼくらの一家が、千葉市の郊外に引っ越したのは、ぼくが小学5年生の11月だった。

すぐに冬がきたが、新しい家では、なぜかコタツを置かなかった。食事はテーブルでとり、そこにテレビはなかった。テレビは隣のリビングに置かれた。コタツもちゃぶ台もなく、ソファーがL字に並ぶだけの寒々しい部屋だった。何だか家全体が上品になってしまい、それがぼくには気に入らなかった。

それでも最初のうちは、まだ家族の会話はあった。それが減ってしまったのは、引っ越してから数カ月後に父が肝臓をやられて入院した頃からだった。退院後、やたらと厳しくなった父は、口を開けば「勉強しろ」といった。また行儀作法にもうるさくなった。そんなふうだから、食事の席はいつも緊張感が漂うようになり、ぼくも弟も、食事が終わるとすぐに二階の自室に直行するようになった。

ぼくの方も、転校先の学校でサッカークラブに入り、朝は6時前に家を出て、帰宅は7時をすぎるという生活になっていた。365日とまではいわないが、休みの日もほとんど練習か試合でつぶれてしまい、家族単位でどこかにいくということが激減したのだ。その生活は中学に上がってもつづいた。さらにその頃になると、サッカー以外にもわるい遊びをおぼえてしまい、父とぼくとの関係は、ほとんど「対立」といっていいほどのものとなった。

「勉強しろ」「うるせえなあ、部活が忙しいんだよ」「どこほっつきまわってたんだ」「友達のところだよ」「わるい仲間じゃないんだろうな」「うるせえな。仲間をわるくいうんじゃねえよ」「とにかく勉強しろ。成績下がりっぱなしじゃないか」「仕方ねえだろ、俺は馬鹿なんだから」

そんな関係が、高校を卒業するまでつづいた。「対立」がはっきりと終焉を迎えたわけではなかったが、ぼくが家を出て暮らしはじめたことで、「対立」する機会がなくなったのだ。



その父は、今はいない。10年前、肝硬変でこの世を去った。

晩年の父は、おだやかだった。たまにぼくが実家に帰ると、満面の笑みで迎えてくれた。話もはずんだ。一緒にテレビを観てげらげら笑うこともあったし、大人同士の会話もあった。

年末年始は、たいてい実家に帰った。東京で暮らしている弟も帰郷してきたから、毎年おおみそかと正月は一家4人でお節料理を囲むことになった。

ある年のおおみそか、家族4人で紅白を観ているとき、ぼくはあること気づいた。

ぼくらが囲んでいるのが、コタツであることに。

そのことを口にすると、弟は「何だよ兄ちゃん、今頃気づいたの?」といって笑った。母も笑った。父も笑い、そして「買ったんだ、安かったから」と照れたようにいった。

「日立だよ、兄ちゃん」
弟がいたずらっぽくいった。ぼくは笑った。何だか妙にうれしくなって、馬鹿みたいに笑った。

「やっぱりコタツはいいなあ。日本の冬って感じがするよ」
弟の言葉を聞き、ぼくはあの頃の疑問を父にぶつけてみようかと思った。

どうしてここに引っ越したとき、コタツを置かなかったのか……?

だがぼくは口にしなかった。今さらそれを訊くことは無意味だと思った。



父が死んでから、ぼくは週に2、3度は実家で晩飯をいただいている。母と伯母と3人で、テレビを観ながら、コタツを囲んで。

テレビからはいつもバラエティー番組が映し出されている。くだらない番組ばかりだが、げらげら笑う母を見ているだけで、ぼくは何となくうれしくなるのだ。

先日、コタツ布団を出したようだ。今年もまた、あったかい冬がくる。



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