入院中の店長を見舞いにいった。
暮れに訪ねたときは身体中点滴の管だらけで見るからに重病人という感じだったが、それがすっかり取れていた。そのせいか、すごく元気そうに見えた。食事もちゃんと食べられ(といってもおかゆを少しだけだが)、また病院外への散歩なども許可されたらしい。
「早く店に出てえよ」
前回お見舞いにいったとき以上に前向きな言葉がいくつも出た。ほとんどが店の話だ。旅行にいきたいとか温泉にいきたいとか、そういう願望はいっさいないようらしい。店に出たい。ただそれだけだ。
退院はもう少し先らしいが、とにかく元気そうで何よりだった。
そのまま帰るのも寂しいので、ぶらぶらと歩く。
店がある市川という町がぼくは好きだ。故郷である鎌ヶ谷の隣ということもあってか、親しみやすいのだ。チェーン店ではない、個人でやってる飲み屋が多いのもいい。もっともぼくはその飲み屋で働く側なので、どの店にもいったことはないが。
江戸川をはさんで東京と隣接するこの市は「千葉都民」の町などと揶揄されているが、そんなことは決してない。市川は市川であり、強烈な個性を持った一つの町だ。南部を中心に一部の地域こそ東京のベッドタウンとして発展してしまっているものの、江戸川の近くには自然もたっぷりと広がっているし、古い家並みも各所に残っている。
真間川にいきついた。
真間川は江戸川から分流して東京湾に注ぐ全長8.5キロの都市河川だ。万葉集にも詠われた「真間の手児奈伝説」に登場する「真間の入り江」の跡としても知られている。
川沿いの道をぼんやりと歩く。




やがて川は江戸川へといきついた。

こののんびりした大河を越えると東京だと、子どもの頃から強く印象づけられていた。父の運転する車で東京の足立区にある祖父母の家にいくたび、父の口から説明されていたからだろう。ほらおまえら(ぼくと弟)、江戸川をすぎたから、もう東京に入ったぞ……。その声が、川風に乗ってよみがえってくるようだ。
真間川を引き返し、市川駅へ。駅の南口にあるアイリンクタウンという展望施設に上る。

地上45階から見わたす風景は迫力満点だった。川の向こうにはスカイツリー。東京タワーも小さく見える。空気が澄んでいれば富士山も見えるらしい。

展望施設をあとにすると、街は夕暮れに染まっていた。せっかくだからどこかの店で飲んでいくか。ジャンパーのポケットに手をつっこみ、ぼくは飲み屋の集う通りへと歩き出した。
暮れに訪ねたときは身体中点滴の管だらけで見るからに重病人という感じだったが、それがすっかり取れていた。そのせいか、すごく元気そうに見えた。食事もちゃんと食べられ(といってもおかゆを少しだけだが)、また病院外への散歩なども許可されたらしい。
「早く店に出てえよ」
前回お見舞いにいったとき以上に前向きな言葉がいくつも出た。ほとんどが店の話だ。旅行にいきたいとか温泉にいきたいとか、そういう願望はいっさいないようらしい。店に出たい。ただそれだけだ。
退院はもう少し先らしいが、とにかく元気そうで何よりだった。
そのまま帰るのも寂しいので、ぶらぶらと歩く。
店がある市川という町がぼくは好きだ。故郷である鎌ヶ谷の隣ということもあってか、親しみやすいのだ。チェーン店ではない、個人でやってる飲み屋が多いのもいい。もっともぼくはその飲み屋で働く側なので、どの店にもいったことはないが。
江戸川をはさんで東京と隣接するこの市は「千葉都民」の町などと揶揄されているが、そんなことは決してない。市川は市川であり、強烈な個性を持った一つの町だ。南部を中心に一部の地域こそ東京のベッドタウンとして発展してしまっているものの、江戸川の近くには自然もたっぷりと広がっているし、古い家並みも各所に残っている。
真間川にいきついた。
真間川は江戸川から分流して東京湾に注ぐ全長8.5キロの都市河川だ。万葉集にも詠われた「真間の手児奈伝説」に登場する「真間の入り江」の跡としても知られている。
川沿いの道をぼんやりと歩く。




やがて川は江戸川へといきついた。

こののんびりした大河を越えると東京だと、子どもの頃から強く印象づけられていた。父の運転する車で東京の足立区にある祖父母の家にいくたび、父の口から説明されていたからだろう。ほらおまえら(ぼくと弟)、江戸川をすぎたから、もう東京に入ったぞ……。その声が、川風に乗ってよみがえってくるようだ。
真間川を引き返し、市川駅へ。駅の南口にあるアイリンクタウンという展望施設に上る。

地上45階から見わたす風景は迫力満点だった。川の向こうにはスカイツリー。東京タワーも小さく見える。空気が澄んでいれば富士山も見えるらしい。

展望施設をあとにすると、街は夕暮れに染まっていた。せっかくだからどこかの店で飲んでいくか。ジャンパーのポケットに手をつっこみ、ぼくは飲み屋の集う通りへと歩き出した。
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