その日は金曜だった。
普段なら仕事帰りの人たちで店はハンパじゃなくこみ合うのだが、日中、あたたかかったこともあってか、さほどの忙しさではなかった。かといって暇すぎるということもなく、店をやる側にしてみれば、最も「いい感じの流れ」だった。
9時をすぎた時点で、客は4組。そのうち2組は1人客で、どちらも店にとって身内のような人たちだ。定位置ともいえるカウンターで、ぼくやNさん(店長の息子)に駄目だしをしつつ、ボトルの焼酎を飲んでいた。
「もうお客さん、こないかな?」
Mさん(店長の娘)がぼくにたずねてくる。
「たぶん、きても2、3組だよ」
「じゃあ、もういいかな?」
「店は大丈夫だから、病院いっていいよ」
「ホント? じゃあ軽くご飯食べてからいくね」
Mさん(店長の娘)はそういうと、2人の常連の間に座った。常連客の中でも、とくに店に日参してくれるこの2人は、姉弟にとって今や父親のような存在だ。病院へと急ぎたい気持ちの一方で、いろいろと話を聴いてもらいたい、Mさんは2人の「父親」に囲まれ、30分ほど話しこんだ。
Mさんが店を辞し、病院に向かったのは10時前だった。
その後テーブルで飲んでいた4人の客が帰り、常連の2人も帰っていった。10時15分。ラストオーダーの15分前で、客は残り1組みだけだ。
「今日はこれで終わりっぽいですね」
そんなことを話しながら片づけをはじめた。
店の電話が鳴ったのはちょうど10時半、最後の客にラストオーダーを訊いた直後だった。
「お父さんが、店長が……、たぶん、もうヤバいから……。あの、Nにかわって」
「わかった」
受話器をNさんにわたし、片づけをつづけた。
Nさんが受話器を置いた。やはり、危篤のようだ。
ついにきたか……
たまらない気持ちを押し殺し、ぼくはすぐに病院に向かうようNさんをうながした。
「店はぼく1人で大丈夫ですから」
「だけど……」
「早くいった方がいい」
「はい。じゃあ、お願いします」
そういってNさんは自転車に乗って病院に向かった。
しばしおでん鍋の前で立ちつくした。店長が危篤。店長が、店長が……。
はっ、と我に返り、片づけにかかった。おでん鍋の火をとめ、おでん種を一つ一つざるに上げていく。大根、卵、ちくわぶ、こんにゃく、がんも……
豆腐が3丁残っている。ぼくはそれをすべて皿に盛ると、食べやすい大きさに切り、客のテーブルに差し出した。
「これ、どうぞ」
「えっ、いいんですか?」
「はい、豆腐は翌日にもう出せないんで」
「マジッすか? ありがとうございます」
客の喜ぶ顔を見て、ぼくの心はほんのいっとき救われた。
「マスター(最近、フリーの客はぼくをマスターだと勘違いする)、おでん、マジでおいしいですよ」
「ホントですか? ありがとうございます」
「いやあ、すげえしみてて、こんなうまいおでんはじめてですよ」
最近、常連客におでんの味がかわったんじゃないかといわれていて、神経質になっていたので、お客さんにおでんをほめられるとほっとする。ぼくが開店前から何度も味をみて、店長の味を再現しているのだが、常連にとっては店長が出していた味と微妙にちがうという。それが本当のことなのか、単なる客の思いこみなのか、その判断がわからない。
ぼくとしては、自信を持って店長の味を引きついでいるつもりだ。だけど最近、何かととやかく駄目だししてくる一番の常連グループの人たちは、「かわった」という。1人が「かわった」といえば、それを伝え聞いた他の常連客もその意見に乗っかってくる。仮に、その日はいい味がつくれていたとしても、「どれどれ? ホントだ、かわった」となるのだ。客は客同士で対立意見をぶつけたがらない。「かわった」という通ぶった意見が上がれば、それに追従していた方が楽だから。それであちこちから批判されて、ますますわからなくなる。
それでも、フリーの客や、「一番」でない常連客たち(店にべったりではない、なじみの客)は、おいしいといってくれている。それがお世辞かお世辞じゃないかくらいは、ぼくにもわかる。
大丈夫。ちゃんと店長の味は出せている。少なくとも、まずいものは出していない!
「ええ、ホントうまいですよ。いい店見つけたなあ、なっ?」
「お仕事の帰りですか?」
「ええ。取引先が近くにあって」
「っていうか、ホントはさっきまでおっぱいパブにいたんですけどね」
客の1人がいい、全員が笑った。
「線路の向こうにいい店があるんですよ」
「へえ、そりゃいいですね」
「マスターも好きですか? 今度一緒にいきますか?」
そんな冗談をしばしかわして、ぼくは片づけに戻った。
ふたたび電話が鳴ったのは、11時を10分ほどまわったときだった。
「あ、ミッチー? Mです」
ついにきたか……、とぼくは観念した。受話器の向こう側の声は、涙でかれていた。
「Nにかわって」
「Nさん、そっち向かったんただけど……、間に合わなかった……?」
「11時5分に亡くなりました。ミッチー、いろいろありがとう」
「Mさん、お疲れさま。たいへんだったね。よくがんばったね。本当によくやったよ。お父さん、喜んでるよ」
店のことをNさんにまかせ、Mさんはほとんど1人で店長のお世話に奔走した。だから店長の死を心にとらえるより先に、Mさんへのねぎらいの言葉が口をついて出た。
「こっちは大丈夫だから、店長の……、お父さんのそばにいてあげてください。たぶん、Nさんもじきにつくと思うから」
「ありがとう。お父さんのたいせつな店を守ってください」
電話を切った。
天をあおぐように顔を上げ、その顔をゆっくりと下げて、店内を見まわした。6人がけのカウンターとテーブル3つの小さな店が、1人でいるとやけに広く感じる。
店長……
涙は出なかった。だけど心が悲しんでいるのはわかる。そして危機感や不安感が心を支配する。これからぼくは、ぼくたちは、誰を支えにして店を守っていけばいいのか……
悲しい気持ちを抱えながら、ぼくは片づけにかかった。鍋や食器を洗いながら、呆然とした心で店長の死をとらえようとつとめる。テーブルで飲みつづけるおっぱいパブ帰りの客たちの声が、遠く近く耳に流れこんでくる。
「マスター、お勘定お願いします」
客が声をかけてきた。マスターといわれ、いつもはちゃんと否定するのだが、何となくめんどうなのでそのままにしておいた。マスターはいません、さっき亡くなりました、といったら、客はどう反応するだろう……
ぼくは洗い物の手をとめ、お金を受け取った。お釣りを手わたし、店の外までお見送りする。しっかりと店の外に出て客を見送るのは、店長が何よりたいせつにしてきたことだ。
「ありがとうございました。ぜひまたきてください」
「絶対、きますよ」
「次はぼくらがまたこの店にきます。で、次の次は、マスターがおっぱいパブにきてくださいね、待ってますから」
そんな冗談に笑いながら、ぼくは客たちを見送った。自分の師が死んで間もないときに「おっぱいパブ」の話なんて、と内心で苦笑したが、客に店の裏事情を見せないことは、プロ意識の一つだ。そして、それを教えてくれたのはほかでもない店長だった。
ふたたび片づけにかかり、すべてを終えると、時計の針は12時半をまわっていた。ぼくはガスをとめ、電気を消して店を出た。
そのとき、Nさんが自転車に乗って店に帰ってきた。やはり死に目には間に合わなかったらしい。自分が病院にいてもしかたないから、あとは姉と母親にまかせ、自分は店に戻ってきたという。
「片づけ、ありがとうございました」
「いや。それより、残念でした……」
しばしNさんと語り、店を辞した。駐車場へと走り、すぐに病院に向かった。
夜の病院は静かだった。
病室にいくと、そこにはMさんとおかみさん、Mさんのお子さん、熊本から駆けつけたおかみさんの弟さんがいた。ぼくがあいさつすると、全員が恐縮するように会釈を返してきた。
みんながぼくのためにベッドを離れた。ぼくはゆっくりとベッドに近づき、店長の、動かなくなった店長の顔を見下ろした。
店長……
呆然と立ちつくした。ただただ呆然と、店長の死に顔を見つめた。それしかできなかった。
「お父さん、ミッチーのまじめなところがいい、っていつもいってたんだよ」
不意にMさんが口を開いた。
「あんなによくやってくれるやつはいない、って。おととい話したときも、そういってた」
たまらなくなって、ぼくはうつむき、目を閉じた。店長とともにすごした日々が、ぐるぐるとまぶたに映し出された。
「お父さん、店は財産だけど、従業員も財産だって、そうもいってた」
涙がこぼれた。それが店長の本心なら、その言葉はぼくにとって形見になる。その言葉で、店長のその思いで、ぼくはこの先どんな苦境に遭っても乗り切っていける。
ぼくは涙をふき、しっかりと店長を見つめて頭を下げた。
店長、ありがとうございました……
声に出していった。店長は何も答えなかった。
その後、店長の自宅までみんなを送り、その足で船橋に向かった。そこのセミナーハウスで、朝5時から仕事がある。それまで1時間ほど車で仮眠が取れる。
職場についた。
座席のリクライニングを落とし、目を閉じる。
心がざわめいている。
それが店長が亡くなった哀しさからきているのか、支えをうしなった不安からきているのか、わからない。
今はまだ何も考えられなかった。
普段なら仕事帰りの人たちで店はハンパじゃなくこみ合うのだが、日中、あたたかかったこともあってか、さほどの忙しさではなかった。かといって暇すぎるということもなく、店をやる側にしてみれば、最も「いい感じの流れ」だった。
9時をすぎた時点で、客は4組。そのうち2組は1人客で、どちらも店にとって身内のような人たちだ。定位置ともいえるカウンターで、ぼくやNさん(店長の息子)に駄目だしをしつつ、ボトルの焼酎を飲んでいた。
「もうお客さん、こないかな?」
Mさん(店長の娘)がぼくにたずねてくる。
「たぶん、きても2、3組だよ」
「じゃあ、もういいかな?」
「店は大丈夫だから、病院いっていいよ」
「ホント? じゃあ軽くご飯食べてからいくね」
Mさん(店長の娘)はそういうと、2人の常連の間に座った。常連客の中でも、とくに店に日参してくれるこの2人は、姉弟にとって今や父親のような存在だ。病院へと急ぎたい気持ちの一方で、いろいろと話を聴いてもらいたい、Mさんは2人の「父親」に囲まれ、30分ほど話しこんだ。
Mさんが店を辞し、病院に向かったのは10時前だった。
その後テーブルで飲んでいた4人の客が帰り、常連の2人も帰っていった。10時15分。ラストオーダーの15分前で、客は残り1組みだけだ。
「今日はこれで終わりっぽいですね」
そんなことを話しながら片づけをはじめた。
店の電話が鳴ったのはちょうど10時半、最後の客にラストオーダーを訊いた直後だった。
「お父さんが、店長が……、たぶん、もうヤバいから……。あの、Nにかわって」
「わかった」
受話器をNさんにわたし、片づけをつづけた。
Nさんが受話器を置いた。やはり、危篤のようだ。
ついにきたか……
たまらない気持ちを押し殺し、ぼくはすぐに病院に向かうようNさんをうながした。
「店はぼく1人で大丈夫ですから」
「だけど……」
「早くいった方がいい」
「はい。じゃあ、お願いします」
そういってNさんは自転車に乗って病院に向かった。
しばしおでん鍋の前で立ちつくした。店長が危篤。店長が、店長が……。
はっ、と我に返り、片づけにかかった。おでん鍋の火をとめ、おでん種を一つ一つざるに上げていく。大根、卵、ちくわぶ、こんにゃく、がんも……
豆腐が3丁残っている。ぼくはそれをすべて皿に盛ると、食べやすい大きさに切り、客のテーブルに差し出した。
「これ、どうぞ」
「えっ、いいんですか?」
「はい、豆腐は翌日にもう出せないんで」
「マジッすか? ありがとうございます」
客の喜ぶ顔を見て、ぼくの心はほんのいっとき救われた。
「マスター(最近、フリーの客はぼくをマスターだと勘違いする)、おでん、マジでおいしいですよ」
「ホントですか? ありがとうございます」
「いやあ、すげえしみてて、こんなうまいおでんはじめてですよ」
最近、常連客におでんの味がかわったんじゃないかといわれていて、神経質になっていたので、お客さんにおでんをほめられるとほっとする。ぼくが開店前から何度も味をみて、店長の味を再現しているのだが、常連にとっては店長が出していた味と微妙にちがうという。それが本当のことなのか、単なる客の思いこみなのか、その判断がわからない。
ぼくとしては、自信を持って店長の味を引きついでいるつもりだ。だけど最近、何かととやかく駄目だししてくる一番の常連グループの人たちは、「かわった」という。1人が「かわった」といえば、それを伝え聞いた他の常連客もその意見に乗っかってくる。仮に、その日はいい味がつくれていたとしても、「どれどれ? ホントだ、かわった」となるのだ。客は客同士で対立意見をぶつけたがらない。「かわった」という通ぶった意見が上がれば、それに追従していた方が楽だから。それであちこちから批判されて、ますますわからなくなる。
それでも、フリーの客や、「一番」でない常連客たち(店にべったりではない、なじみの客)は、おいしいといってくれている。それがお世辞かお世辞じゃないかくらいは、ぼくにもわかる。
大丈夫。ちゃんと店長の味は出せている。少なくとも、まずいものは出していない!
「ええ、ホントうまいですよ。いい店見つけたなあ、なっ?」
「お仕事の帰りですか?」
「ええ。取引先が近くにあって」
「っていうか、ホントはさっきまでおっぱいパブにいたんですけどね」
客の1人がいい、全員が笑った。
「線路の向こうにいい店があるんですよ」
「へえ、そりゃいいですね」
「マスターも好きですか? 今度一緒にいきますか?」
そんな冗談をしばしかわして、ぼくは片づけに戻った。
ふたたび電話が鳴ったのは、11時を10分ほどまわったときだった。
「あ、ミッチー? Mです」
ついにきたか……、とぼくは観念した。受話器の向こう側の声は、涙でかれていた。
「Nにかわって」
「Nさん、そっち向かったんただけど……、間に合わなかった……?」
「11時5分に亡くなりました。ミッチー、いろいろありがとう」
「Mさん、お疲れさま。たいへんだったね。よくがんばったね。本当によくやったよ。お父さん、喜んでるよ」
店のことをNさんにまかせ、Mさんはほとんど1人で店長のお世話に奔走した。だから店長の死を心にとらえるより先に、Mさんへのねぎらいの言葉が口をついて出た。
「こっちは大丈夫だから、店長の……、お父さんのそばにいてあげてください。たぶん、Nさんもじきにつくと思うから」
「ありがとう。お父さんのたいせつな店を守ってください」
電話を切った。
天をあおぐように顔を上げ、その顔をゆっくりと下げて、店内を見まわした。6人がけのカウンターとテーブル3つの小さな店が、1人でいるとやけに広く感じる。
店長……
涙は出なかった。だけど心が悲しんでいるのはわかる。そして危機感や不安感が心を支配する。これからぼくは、ぼくたちは、誰を支えにして店を守っていけばいいのか……
悲しい気持ちを抱えながら、ぼくは片づけにかかった。鍋や食器を洗いながら、呆然とした心で店長の死をとらえようとつとめる。テーブルで飲みつづけるおっぱいパブ帰りの客たちの声が、遠く近く耳に流れこんでくる。
「マスター、お勘定お願いします」
客が声をかけてきた。マスターといわれ、いつもはちゃんと否定するのだが、何となくめんどうなのでそのままにしておいた。マスターはいません、さっき亡くなりました、といったら、客はどう反応するだろう……
ぼくは洗い物の手をとめ、お金を受け取った。お釣りを手わたし、店の外までお見送りする。しっかりと店の外に出て客を見送るのは、店長が何よりたいせつにしてきたことだ。
「ありがとうございました。ぜひまたきてください」
「絶対、きますよ」
「次はぼくらがまたこの店にきます。で、次の次は、マスターがおっぱいパブにきてくださいね、待ってますから」
そんな冗談に笑いながら、ぼくは客たちを見送った。自分の師が死んで間もないときに「おっぱいパブ」の話なんて、と内心で苦笑したが、客に店の裏事情を見せないことは、プロ意識の一つだ。そして、それを教えてくれたのはほかでもない店長だった。
ふたたび片づけにかかり、すべてを終えると、時計の針は12時半をまわっていた。ぼくはガスをとめ、電気を消して店を出た。
そのとき、Nさんが自転車に乗って店に帰ってきた。やはり死に目には間に合わなかったらしい。自分が病院にいてもしかたないから、あとは姉と母親にまかせ、自分は店に戻ってきたという。
「片づけ、ありがとうございました」
「いや。それより、残念でした……」
しばしNさんと語り、店を辞した。駐車場へと走り、すぐに病院に向かった。
夜の病院は静かだった。
病室にいくと、そこにはMさんとおかみさん、Mさんのお子さん、熊本から駆けつけたおかみさんの弟さんがいた。ぼくがあいさつすると、全員が恐縮するように会釈を返してきた。
みんながぼくのためにベッドを離れた。ぼくはゆっくりとベッドに近づき、店長の、動かなくなった店長の顔を見下ろした。
店長……
呆然と立ちつくした。ただただ呆然と、店長の死に顔を見つめた。それしかできなかった。
「お父さん、ミッチーのまじめなところがいい、っていつもいってたんだよ」
不意にMさんが口を開いた。
「あんなによくやってくれるやつはいない、って。おととい話したときも、そういってた」
たまらなくなって、ぼくはうつむき、目を閉じた。店長とともにすごした日々が、ぐるぐるとまぶたに映し出された。
「お父さん、店は財産だけど、従業員も財産だって、そうもいってた」
涙がこぼれた。それが店長の本心なら、その言葉はぼくにとって形見になる。その言葉で、店長のその思いで、ぼくはこの先どんな苦境に遭っても乗り切っていける。
ぼくは涙をふき、しっかりと店長を見つめて頭を下げた。
店長、ありがとうございました……
声に出していった。店長は何も答えなかった。
その後、店長の自宅までみんなを送り、その足で船橋に向かった。そこのセミナーハウスで、朝5時から仕事がある。それまで1時間ほど車で仮眠が取れる。
職場についた。
座席のリクライニングを落とし、目を閉じる。
心がざわめいている。
それが店長が亡くなった哀しさからきているのか、支えをうしなった不安からきているのか、わからない。
今はまだ何も考えられなかった。
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