海にいった。

ひさしぶりの海だった。波は小さく、形もよくなかったが、午後の2時間、めいいっぱい波乗りを楽しんだ。
波に乗っているときだけだ。何もかも忘れていられるのは。自分が誰であるのかさえ、波と格闘している間は忘れられる。
忘れたいわけではないけれど、それほど大きな問題を抱えた人生をすごしているわけではないけれど、それでも自分の存在をどこかに置き去りにして、ただただ何かに熱中する、そんな時間を、ぼくはたいせつに思っている。
たった2時間のエスケープ。
そこから抜け出せば、また自分の人生を歩かなくてはならない。
自分が決めた道を。
立ちどまらずに。
店長が逝って3週間になろうとしている。
その間、このブログを更新せずにいたけど、べつに打ちひしがれていたわけではないし、ふさぎこんでいたわけでもない。
忙しかったのだ。
店長の通夜と告別式が終わり、火葬場から帰ってきて、ぼくとNさん(店長の息子=2代目)はすぐに店を開けた。もっとものれんは出さない。親しい人たちに向けての特別営業だ。それでも3時に店に入ってすぐに仕こみをはじめ、4時半には静岡からきていた店長の親せきたちを、7時からは常連客を、それぞれ迎えた。
ぼくがおでんと飲み物を出し、Nさんが一品料理をつくる。実質的な喪主として動いていたMさん(店長の娘)は、この日は店に出ず、客人と一緒に料理を楽しんだ。
その後はずっと通常営業だ。店長がいなくなったからといって、店はなくならない。
ぼくは、ぼくらは歩きつづける。
立ちどまらずに。

ひさしぶりの海だった。波は小さく、形もよくなかったが、午後の2時間、めいいっぱい波乗りを楽しんだ。
波に乗っているときだけだ。何もかも忘れていられるのは。自分が誰であるのかさえ、波と格闘している間は忘れられる。
忘れたいわけではないけれど、それほど大きな問題を抱えた人生をすごしているわけではないけれど、それでも自分の存在をどこかに置き去りにして、ただただ何かに熱中する、そんな時間を、ぼくはたいせつに思っている。
たった2時間のエスケープ。
そこから抜け出せば、また自分の人生を歩かなくてはならない。
自分が決めた道を。
立ちどまらずに。
店長が逝って3週間になろうとしている。
その間、このブログを更新せずにいたけど、べつに打ちひしがれていたわけではないし、ふさぎこんでいたわけでもない。
忙しかったのだ。
店長の通夜と告別式が終わり、火葬場から帰ってきて、ぼくとNさん(店長の息子=2代目)はすぐに店を開けた。もっとものれんは出さない。親しい人たちに向けての特別営業だ。それでも3時に店に入ってすぐに仕こみをはじめ、4時半には静岡からきていた店長の親せきたちを、7時からは常連客を、それぞれ迎えた。
ぼくがおでんと飲み物を出し、Nさんが一品料理をつくる。実質的な喪主として動いていたMさん(店長の娘)は、この日は店に出ず、客人と一緒に料理を楽しんだ。
その後はずっと通常営業だ。店長がいなくなったからといって、店はなくならない。
ぼくは、ぼくらは歩きつづける。
立ちどまらずに。
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