8年前の6月16日、この小さな町の、さらに人通りの少ない一角で、ぼくはこの店をオープンした。
梅雨の晴れ間の大安吉日。風が強くて、はじめてかけたのれんがひどくはためいていたのをおぼえている。
何の告知もせず、ひっそりとオープンした。知人にすら知らせなかった。もしかしたら誰一人こないかもしれない。そうも思ったが、それでもいいという気持ちだった。むしろ客が殺到してパニックになる方をおそれた。少しずつ動きに慣れていき、店の存在が知れわたる頃にしっかりとサービスできている、そんなふうにしていきたかったのだ。おでんのだし汁の味も、その頃には整うだろう。だからたまたまだったけど、これから夏に向かう季節に店をはじめられたのはかえってよかった。10月11月の寒くなる時期からが勝負だと思っていた。
店の名は、まちのひ。
チャップリンの映画「City Lights」の邦題「街の灯(まちのひ)」からいただいた。この店を、ぼくらが暮らす街の灯(まちのひ)にしたいという思いをこめて。
不安はなかった。かといって希望に満ちていたわけでもなかった。ただ気持ちは昂っていた。ついにはじまった。もう後戻りはできない。この店を成功させなければ、自分はもう終わりなのだ。そんな覚悟を持った船出だった。ほかに進む道はない。この店をつづけていくという道しか、ぼくにはもう残されていないのだ。
長い間ずっと追いかけていた夢がついえ、死にたくなるくらいの絶望からどうにか立ち上がって、自分の店を持とうと決めた。それから2年間、日中の仕事をつづけながら夜は居酒屋で修業し、どうにか自分の店を持てた。あとはこの店を成功に導くだけだ。
初日のお客さんは一人客だけの3人で、翌日も3人、その翌日は5人だったか。そんなふうに少しずつ来店客が増えていき、1カ月が経つ頃には、自分の食いぶちは稼げるようになっていた。
おいしいといって喜んでくれる人が大半だったけど、中には「この土地で商売するのは難しいよ」と上からいってくる客も少なくなかった。たいていはどこかの店の常連で、新参者に対して物いうことに悦を感じる輩だった。そういう人間がぼくは大嫌いだから、心の中で「うるせえ馬鹿」と思いながら、適当に話を聞き流した。かれらは小一時間ああだこうだと講釈をたれつづけけると、「けっ、つまらねえ店だな」といった表情で帰っていった。中にはあからさまに「こんな店は長くつづかねえよ」という人もいた。そんな言葉を投げられれば投げられるほど、やってやろうじゃねえかと心を燃やした。
秋がきて、おでんが恋しい季節になると、店は客であふれかえった。夏になればまた客足は減ったが、それでもそこそこの売り上げは確保できた。そしてまた寒い季節がくれば、店は連日にぎわった。そんなふうに月日が流れていき、先日、店は8周年を迎えた。
あっという間だったとも感じないし、長かったとも思わない。ただ濃密な8年だったことはたしかだ。順風満帆ではなかったけど、充足した毎日だった。
長い間ずっとアルバイトをしながら夢を追いつづけ、才能ないよといわれつづけた。結局目が出ないまま夢にやぶれ、自分はもう空っぽだと絶望した。あのとき、ぼくの人生は終わったと思った。自ら命を断とうとは思わなかったけど、何かの拍子に死んでしまうならそれでもいいと思うくらい、この先の人生に意味が持てなかった。
そんな自分が店を開き、人々から喜ばれている。
天職だったんだろうなと思う。一番やりたかった仕事ではないけど、料理人というこの仕事は、おでん屋の店主という仕事は、間違いなくぼくにとっての天職だ。一番やりたかった仕事を追い求めていた頃は、何をやってもうまくいかなかった。まるで神様の死角の中で生きているかのような、不運つづきの毎日だった。それが夢にやぶれ、自分の店を持とうと決めてから、すべてが好転しはじめたのだ。やれやれやっと自分の役目に気づいたかと、神様が微苦笑しながら後押ししてくれたかのようだった。
あのとき、人生をあきらめないでよかったと心から思う。
店は9年目に入った。5年以内の廃業率が80%といわれる飲食店業界の中で、よくぞここまできたなあと思う。だけどそれは自分の実力なんかじゃなく、100パーセント運のおかげだ。神様が、いつもいい運気だけをぼくに与えてくれているのだ。そしてそれは人に恵まれているということでもある。いいお客さんに囲まれているから、ぼくはここまでやってこられた。
ありがとう。
これからもがんばっていこう。後戻りのできない旅は、まだまだつづくのだ。
梅雨の晴れ間の大安吉日。風が強くて、はじめてかけたのれんがひどくはためいていたのをおぼえている。
何の告知もせず、ひっそりとオープンした。知人にすら知らせなかった。もしかしたら誰一人こないかもしれない。そうも思ったが、それでもいいという気持ちだった。むしろ客が殺到してパニックになる方をおそれた。少しずつ動きに慣れていき、店の存在が知れわたる頃にしっかりとサービスできている、そんなふうにしていきたかったのだ。おでんのだし汁の味も、その頃には整うだろう。だからたまたまだったけど、これから夏に向かう季節に店をはじめられたのはかえってよかった。10月11月の寒くなる時期からが勝負だと思っていた。
店の名は、まちのひ。
チャップリンの映画「City Lights」の邦題「街の灯(まちのひ)」からいただいた。この店を、ぼくらが暮らす街の灯(まちのひ)にしたいという思いをこめて。
不安はなかった。かといって希望に満ちていたわけでもなかった。ただ気持ちは昂っていた。ついにはじまった。もう後戻りはできない。この店を成功させなければ、自分はもう終わりなのだ。そんな覚悟を持った船出だった。ほかに進む道はない。この店をつづけていくという道しか、ぼくにはもう残されていないのだ。
長い間ずっと追いかけていた夢がついえ、死にたくなるくらいの絶望からどうにか立ち上がって、自分の店を持とうと決めた。それから2年間、日中の仕事をつづけながら夜は居酒屋で修業し、どうにか自分の店を持てた。あとはこの店を成功に導くだけだ。
初日のお客さんは一人客だけの3人で、翌日も3人、その翌日は5人だったか。そんなふうに少しずつ来店客が増えていき、1カ月が経つ頃には、自分の食いぶちは稼げるようになっていた。
おいしいといって喜んでくれる人が大半だったけど、中には「この土地で商売するのは難しいよ」と上からいってくる客も少なくなかった。たいていはどこかの店の常連で、新参者に対して物いうことに悦を感じる輩だった。そういう人間がぼくは大嫌いだから、心の中で「うるせえ馬鹿」と思いながら、適当に話を聞き流した。かれらは小一時間ああだこうだと講釈をたれつづけけると、「けっ、つまらねえ店だな」といった表情で帰っていった。中にはあからさまに「こんな店は長くつづかねえよ」という人もいた。そんな言葉を投げられれば投げられるほど、やってやろうじゃねえかと心を燃やした。
秋がきて、おでんが恋しい季節になると、店は客であふれかえった。夏になればまた客足は減ったが、それでもそこそこの売り上げは確保できた。そしてまた寒い季節がくれば、店は連日にぎわった。そんなふうに月日が流れていき、先日、店は8周年を迎えた。
あっという間だったとも感じないし、長かったとも思わない。ただ濃密な8年だったことはたしかだ。順風満帆ではなかったけど、充足した毎日だった。
長い間ずっとアルバイトをしながら夢を追いつづけ、才能ないよといわれつづけた。結局目が出ないまま夢にやぶれ、自分はもう空っぽだと絶望した。あのとき、ぼくの人生は終わったと思った。自ら命を断とうとは思わなかったけど、何かの拍子に死んでしまうならそれでもいいと思うくらい、この先の人生に意味が持てなかった。
そんな自分が店を開き、人々から喜ばれている。
天職だったんだろうなと思う。一番やりたかった仕事ではないけど、料理人というこの仕事は、おでん屋の店主という仕事は、間違いなくぼくにとっての天職だ。一番やりたかった仕事を追い求めていた頃は、何をやってもうまくいかなかった。まるで神様の死角の中で生きているかのような、不運つづきの毎日だった。それが夢にやぶれ、自分の店を持とうと決めてから、すべてが好転しはじめたのだ。やれやれやっと自分の役目に気づいたかと、神様が微苦笑しながら後押ししてくれたかのようだった。
あのとき、人生をあきらめないでよかったと心から思う。
店は9年目に入った。5年以内の廃業率が80%といわれる飲食店業界の中で、よくぞここまできたなあと思う。だけどそれは自分の実力なんかじゃなく、100パーセント運のおかげだ。神様が、いつもいい運気だけをぼくに与えてくれているのだ。そしてそれは人に恵まれているということでもある。いいお客さんに囲まれているから、ぼくはここまでやってこられた。
ありがとう。
これからもがんばっていこう。後戻りのできない旅は、まだまだつづくのだ。
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