最後の授業 アルフォンス・ドーテ
世の中がどんなにくさりきってしまっても、本屋にいけば、最高の友達に出逢えます。
こんばんは~ 今週も「道下森の本棚」の時間がやってきました。
さて、今日は、ちょっと思い入れが深い物語を紹介する。
これだ。

アルフォンス・ドーデ作 「最後の授業」だ。
物語の概要は、こちらを参考にしてほしい。→最後の授業 - Wikipedia
この物語を読んだのは、小学6年生のときだ。1980年代当時、「最後の授業」は国語の教科書に収録されていた。
(注)現在は収録されていない。
小学6年生といえば、学校の勉強が嫌いになるかならないかの、大事な年代だ。ぼくはサッカーや友達との遊びに熱中する、どちらかといえば「ワルガキ」の部類で、当然、勉強も嫌いになりかけていた。
なりかけていた――そう、ワルガキながらも、6年生の1学期か2学期までは、まだかろうじて学校の授業についていけていたのだ。1番好きなのは「体育」ではあったものの、「国語」や「算数」も、カッコつけて嫌いぶりつつも、じつはわりと好きだった。わからなかったことを理解できた瞬間は、サッカーの試合で得点を決めたり、友達とつくった「秘密基地」で遊ぶのと同じくらいの、充足感があった。
アルフォンス・ドーテの「最後の授業」と出逢ったのは、そんな頃だった。
国語の時間だ。
授業に入る前に、担任の先生が、まず物語を黙読させる。国語の時間の典型的な入り方だ。その日もそのようにはじまった。ぼくら児童は、先生の合図で、この「最後の授業」を読みはじめた。
主人公の少年が、寝坊だか何だかの理由で、学校に遅刻しそうになる場面で物語ははじまる。さらにこの少年は、先生におぼえておくよういわれた勉強もしていない様子だ。
そんな少年に、ぼくはすぐに共感をおぼえた。すんなりと物語の世界へと入っていけた。
時代は戦争の真っただ中だ。いろいろな知らせは、役場の掲示板にて発表される。この日も何かよからぬ知らせがあると、物語は匂わせる。だが少年は学校へと急ぐ。アメル先生の授業がはじまってしまう……
教室に入ると、いつもは怖い(と思われる)アメル先生が、少年を叱りもせずに席につくよううながす。少年はいつもと様子がちがうことに気づく。先生の服装。級友の様子。おまけに教室の後ろに、大人たちが立っている。かれらも、子どもらとおなじように、アメル先生の話を聴いている。
そしてアメル先生の授業がはじまる。
それは最後の授業なのだった。
アメル先生は教壇にのぼり、ぼくを迎えたときと同じやさしくおもおもしい声でみんなに言った。
「みなさん、わたしがみなさんに授業するのはこれでおしまいなのです。アルザスとロレーヌの学校ではドイツ語しか教えてはいけないという命令がベルリンから来ました。……新しい先生はあす着任します。きょうはみなさんの最後のフランスの授業です。どうか注意深く聞いてください」
物語の時代のその年、普仏戦争を終結させる平和条約がフランクフルトで結ばれ、フランスはアルザス、ロレーヌをドイツに割譲した。結果、この両地方では、ドイツ語が国語として教えられることになったのだ。
少年は気づく。役場の掲示板に書いてあったのは、このことだったのだ、と。そして後悔する。時間を無駄にしたことを。たびたび学校をさぼって遊びにいってしまったことを。
そこから、流れるように美しい授業の描写がはじまる。アメル先生は、悲しみや寂しさを胸に隠し、フランス語のすばらしさについて語った。フランス語の美しさについて語った。この学校を去る前に、自分の知っていることをすべて教えようとするかのように。
アメル先生は、四十年いた学校を、永久にこの国を、去らなければならないのだ。そのやりきれなさは、はかりしれない。それでも先生は、最後まで授業をつづける気力を失わなかった。
そして……
突然教会の大時計が十二時を打ち、それからアンジェリュスの鐘が鳴った。と同時に、演習から帰って来るプロイセン兵のラッパが教室の窓の下でひびきわたった……。アメル先生は真っ蒼になって教壇に立ち上がった。彼がこんなに背が高く見えたことは、ぼくには一度もなかった。
「みなさん」と彼は言った。「みなさん、わたしは……わたしは……」
しかし何かが彼の喉にひっかかっていた。彼は最後まで言うことができなかった。
と、彼は黒板のほうを向き、白墨を取り、全身の力をこめてできるだけ大きく書いた。
「フランス万歳!」
そうして頭を壁に押しつけたまま動かなかった。それから何も言わずに彼は手で合図した。
「おしまいだよ……お帰り」
12歳の子どもながらも、ぼくはこの物語に打ちのめされた。いい映画を観た後にしばらく立てないように、ぼくは全身を虚脱させ、ただただ茫然と、教科書のページの文字を見つめつづけた。心がひりひりしてしかたなかった。戦争の犠牲で、国の都合で、人々の人生がかわっていく情景。アメル先生は国を去り、残された者たちは母国語がフランス語からドイツ語へとかわる。その最後の授業。四十年ずっとつづけきたかわらない風景。少年の心によぎる後悔の念。子どもらの後ろで、同じようにアメル先生の授業を聴く大人たち。かれらもまた、アメル先生の教え子だったのか。そんなさまざまな物語の記憶が、心の中に浮かびつづけていた。
「はい、やめえっ!」
突然、担任の先生の声がし、ぼくは現実に呼び戻された。
「はい、じゃあ、みんなあ、黒板にちゅうも~く」
先生が黒板に何やら書き、授業がはじまった。
ちょっと待ってよ……、とぼくは心の中で強く抗議した。
もっと余韻にひたらせてくれよ!
だって、まだアメル先生の最後の授業が終わったばかりではないか……
アメル先生は学校を去り、残された少年らは胸を痛めているじゃないか……
その余韻が消えるまで、待ってくれたっていいではないか!
そんなぼくの気持ちと裏腹に、授業は進んでいった。問題が出され、児童たちは手を挙げ、答えを発言する。正解か不正解か。答えはなぜか一つだけだ。
ぼくの心の中のスクリーンは、アメル先生や少年らがいたアルザスから、このくだらない授業が展開される教室へと引き戻された。そう、感動の邪魔をされたのだ。
このときを境に、ぼくは学校の授業が嫌いになった。授業なんてくだらないと思うようになった。そして、そんなくだらない授業しかできない学校の先生に、反発するようになったのだった。
今思えば、ぼくのわがまま以外の何ものでもない。
先生にしてみれば、カリキュラムどおりに授業を進めただけなのだ。児童の1人が感動の余韻にひたりたいからといって、たとえそれを察知したとしても、無視するよりしかたないだろう。
だけど、あのときのぼくはそう思ってしまったのだ。物語に感動する心を軽んじる学校の授業なんて、ごみみたいなものだって。
そしてそんなふうに感じた自分に、30年後のぼくも満足している。
なぜなら物語というのは、学校教育の題材などになりうるものではないと思うからだ。
10人の人間がいたら10とおりの人生観があり、だから一つの物語には、10の感じ方が生まれるはずなのだ。筆者がいいたいことをわざわざ一つにしぼったり、登場人物の台詞にいちいち意味を持たせたり、そんなことは、まったくおかしなことなのだ。
理屈じゃないのだ。
物語を読み、そこで何を感じたかに正解も不正解もない。何かを感じた。そのこと自体が大事なのだ。
12歳の自分に、ぼくは語りかけてやりたい。
きみはまちがっていない、と。学校の勉強が嫌いになり、これから苦労することになるが、それでも自分が感じたとおり生きていいんだ、と。
30年ぶりに「最後の授業」を読み、あのときと同じく心をひりひりさせたぼくは、ふとそんなことを思ったのだった。
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この物語を読んだのは、小学6年生のときだ。1980年代当時、「最後の授業」は国語の教科書に収録されていた。
(注)現在は収録されていない。
小学6年生といえば、学校の勉強が嫌いになるかならないかの、大事な年代だ。ぼくはサッカーや友達との遊びに熱中する、どちらかといえば「ワルガキ」の部類で、当然、勉強も嫌いになりかけていた。
なりかけていた――そう、ワルガキながらも、6年生の1学期か2学期までは、まだかろうじて学校の授業についていけていたのだ。1番好きなのは「体育」ではあったものの、「国語」や「算数」も、カッコつけて嫌いぶりつつも、じつはわりと好きだった。わからなかったことを理解できた瞬間は、サッカーの試合で得点を決めたり、友達とつくった「秘密基地」で遊ぶのと同じくらいの、充足感があった。
アルフォンス・ドーテの「最後の授業」と出逢ったのは、そんな頃だった。
国語の時間だ。
授業に入る前に、担任の先生が、まず物語を黙読させる。国語の時間の典型的な入り方だ。その日もそのようにはじまった。ぼくら児童は、先生の合図で、この「最後の授業」を読みはじめた。
主人公の少年が、寝坊だか何だかの理由で、学校に遅刻しそうになる場面で物語ははじまる。さらにこの少年は、先生におぼえておくよういわれた勉強もしていない様子だ。
そんな少年に、ぼくはすぐに共感をおぼえた。すんなりと物語の世界へと入っていけた。
時代は戦争の真っただ中だ。いろいろな知らせは、役場の掲示板にて発表される。この日も何かよからぬ知らせがあると、物語は匂わせる。だが少年は学校へと急ぐ。アメル先生の授業がはじまってしまう……
教室に入ると、いつもは怖い(と思われる)アメル先生が、少年を叱りもせずに席につくよううながす。少年はいつもと様子がちがうことに気づく。先生の服装。級友の様子。おまけに教室の後ろに、大人たちが立っている。かれらも、子どもらとおなじように、アメル先生の話を聴いている。
そしてアメル先生の授業がはじまる。
それは最後の授業なのだった。
アメル先生は教壇にのぼり、ぼくを迎えたときと同じやさしくおもおもしい声でみんなに言った。
「みなさん、わたしがみなさんに授業するのはこれでおしまいなのです。アルザスとロレーヌの学校ではドイツ語しか教えてはいけないという命令がベルリンから来ました。……新しい先生はあす着任します。きょうはみなさんの最後のフランスの授業です。どうか注意深く聞いてください」
物語の時代のその年、普仏戦争を終結させる平和条約がフランクフルトで結ばれ、フランスはアルザス、ロレーヌをドイツに割譲した。結果、この両地方では、ドイツ語が国語として教えられることになったのだ。
少年は気づく。役場の掲示板に書いてあったのは、このことだったのだ、と。そして後悔する。時間を無駄にしたことを。たびたび学校をさぼって遊びにいってしまったことを。
そこから、流れるように美しい授業の描写がはじまる。アメル先生は、悲しみや寂しさを胸に隠し、フランス語のすばらしさについて語った。フランス語の美しさについて語った。この学校を去る前に、自分の知っていることをすべて教えようとするかのように。
アメル先生は、四十年いた学校を、永久にこの国を、去らなければならないのだ。そのやりきれなさは、はかりしれない。それでも先生は、最後まで授業をつづける気力を失わなかった。
そして……
突然教会の大時計が十二時を打ち、それからアンジェリュスの鐘が鳴った。と同時に、演習から帰って来るプロイセン兵のラッパが教室の窓の下でひびきわたった……。アメル先生は真っ蒼になって教壇に立ち上がった。彼がこんなに背が高く見えたことは、ぼくには一度もなかった。
「みなさん」と彼は言った。「みなさん、わたしは……わたしは……」
しかし何かが彼の喉にひっかかっていた。彼は最後まで言うことができなかった。
と、彼は黒板のほうを向き、白墨を取り、全身の力をこめてできるだけ大きく書いた。
「フランス万歳!」
そうして頭を壁に押しつけたまま動かなかった。それから何も言わずに彼は手で合図した。
「おしまいだよ……お帰り」
12歳の子どもながらも、ぼくはこの物語に打ちのめされた。いい映画を観た後にしばらく立てないように、ぼくは全身を虚脱させ、ただただ茫然と、教科書のページの文字を見つめつづけた。心がひりひりしてしかたなかった。戦争の犠牲で、国の都合で、人々の人生がかわっていく情景。アメル先生は国を去り、残された者たちは母国語がフランス語からドイツ語へとかわる。その最後の授業。四十年ずっとつづけきたかわらない風景。少年の心によぎる後悔の念。子どもらの後ろで、同じようにアメル先生の授業を聴く大人たち。かれらもまた、アメル先生の教え子だったのか。そんなさまざまな物語の記憶が、心の中に浮かびつづけていた。
「はい、やめえっ!」
突然、担任の先生の声がし、ぼくは現実に呼び戻された。
「はい、じゃあ、みんなあ、黒板にちゅうも~く」
先生が黒板に何やら書き、授業がはじまった。
ちょっと待ってよ……、とぼくは心の中で強く抗議した。
もっと余韻にひたらせてくれよ!
だって、まだアメル先生の最後の授業が終わったばかりではないか……
アメル先生は学校を去り、残された少年らは胸を痛めているじゃないか……
その余韻が消えるまで、待ってくれたっていいではないか!
そんなぼくの気持ちと裏腹に、授業は進んでいった。問題が出され、児童たちは手を挙げ、答えを発言する。正解か不正解か。答えはなぜか一つだけだ。
ぼくの心の中のスクリーンは、アメル先生や少年らがいたアルザスから、このくだらない授業が展開される教室へと引き戻された。そう、感動の邪魔をされたのだ。
このときを境に、ぼくは学校の授業が嫌いになった。授業なんてくだらないと思うようになった。そして、そんなくだらない授業しかできない学校の先生に、反発するようになったのだった。
今思えば、ぼくのわがまま以外の何ものでもない。
先生にしてみれば、カリキュラムどおりに授業を進めただけなのだ。児童の1人が感動の余韻にひたりたいからといって、たとえそれを察知したとしても、無視するよりしかたないだろう。
だけど、あのときのぼくはそう思ってしまったのだ。物語に感動する心を軽んじる学校の授業なんて、ごみみたいなものだって。
そしてそんなふうに感じた自分に、30年後のぼくも満足している。
なぜなら物語というのは、学校教育の題材などになりうるものではないと思うからだ。
10人の人間がいたら10とおりの人生観があり、だから一つの物語には、10の感じ方が生まれるはずなのだ。筆者がいいたいことをわざわざ一つにしぼったり、登場人物の台詞にいちいち意味を持たせたり、そんなことは、まったくおかしなことなのだ。
理屈じゃないのだ。
物語を読み、そこで何を感じたかに正解も不正解もない。何かを感じた。そのこと自体が大事なのだ。
12歳の自分に、ぼくは語りかけてやりたい。
きみはまちがっていない、と。学校の勉強が嫌いになり、これから苦労することになるが、それでも自分が感じたとおり生きていいんだ、と。
30年ぶりに「最後の授業」を読み、あのときと同じく心をひりひりさせたぼくは、ふとそんなことを思ったのだった。
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