老人と海 アーネスト・ヘミングウェイ
世の中がどんなにくさりきってしまっても、本屋にいけば最高の友達に出逢えます。
こんにちは。今週も「道下森の本棚」の時間がやってきました(^O^)/
さてさて、今週紹介する本はこれ。

アーネスト・ヘミングウェイ著/「老人と海」だ。世界的ベストセラーだから、読んだことのない人もタイトルは耳にしたことがあるだろう。
そのタイトルのとおり、老人と海との話だ。キューバのある老漁師の物語。
なにはともあれ、まずは恒例の裏表紙の概要。
キューバの老漁夫サンチャゴは、長
い不漁にもめげず、小舟に乗り、た
った一人で出漁する。残りわずかな
餌に想像を絶する巨大なカジキマグ
ロがかかった。四日にわたる死闘の
のち老人は勝ったが、帰途サメに襲
われ、舟にくくりつけた獲物はみる
みる食いちぎられていく……。徹底
した外面描写を用い、大魚を相手に
雄々しく闘う老人の姿を通して自然
の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。
老漁師サンチャゴが海で獲物を釣り上げ、しかし帰途にその獲物をサメに食われてしまう。
それだけ。
それだけの物語だが、しかしこの「老人と海」は全世界から絶賛される名作だ。
ぼくも名作だと思う。名作という言葉がこれほど似合う小説はないだろう。
では何がこの作品を名作と呼ばせているかというと、それはストーリーのおもしろさではなく、ズバリ「情景」だ。
文を読んでいて、物語の細部までが、はっきりとした情景となって浮かぶのだ。
港町の風景。海の静けさ。老人の人生。獲物との格闘。獲物との友情……
で、すごいのは、そうした情景のすべてを、作者のヘミングウェイは、老人サンチャゴの独り言と思考で表現していることだ。この手法で、ヘミングウェイは読者の気持ちを物語にぐいぐい引きこむことに成功している。
もちろん、ぼくも引きこまれた。ぐいぐい、と。
そしてこの老漁師の独り言は、独り言でありながら、海や、鳥や、獲物である魚や、あるいは過去の自分との対話なのだ。また思考の一つひとつも、やはり対話だ。老漁師サンチャゴは、1人舟の上で闘いながら、ずっと何かと対話しつづけているのだ。
たとえば、こんなくだりがある。
「がんばるんだぞ」かれは左手にいった。「おれはお前のために食ってやっているんだからな」
そうだ、おれの魚にも何か食わしてやりたい、とかれは思う。やつはおれの兄弟分だ。けれ
ど、おれはやつを殺さなくてはならない、そのためには、おれは強くならなければいけないんだ。
かれはゆっくりと念入りに噛みながら、くさび形の切り身を、つぎつぎと平らげていく。
あるいは、こんなくだり。
ものすごくでかいやつだ。だが、やつに思い知らせてやらなければならない、とかれは思った。
おれは、あいつを思いあがらせてなどやるものか、その気になれば逃げおおせるなどと思わせて
なるものか。もしおれがあいつだったら、ありったけの力を振りしぼって、最後の最後までがん
ばってみせる。が、ありがたいことに、やつらは、やつらを殺すおれたち人間ほど頭がよくない
んだ。もっともおれたちよりは、気高くて、立派じゃあるけどな。
「四分の一は台なしだ、一番いいところをやられてしまった」老人は大声でいった。「これが夢
だったらよかった。釣れないほうがよかったんだよ。こいつにはすまないことをしたなあ。釣り
あげたのがまちがいのもとだ」かれは急に黙りこんでしまった。もう魚のほうを見る気にはなれ
ない。血がすっかり洗われてしまって鏡の裏のように銀色になっているが、縞目はまだはっきり
見える。
「こんなに遠出をする手はなかったんだよ」老人は魚に話しかけた、「お前にとっても、おれに
とっても、意味はなかった。本当にすまないなあ」
こんな感じに、老漁師サンチャゴはずっと何かと対話しているのだ。
それがすごくリアルで、迫力があり、そして引きこまれる。うう、老人カッコいいなあ、と思ってしまう。まわりからは、もう駄目だ、老いぼれだ、と思われながら、それでも1人闘う男の姿。長い経験からくる引き出しの多さ。海や獲物に対する畏敬。そうしたすべてに、ぼくは心を打たれた。職業というのは、人生というのは、こういうものなんだ、と考えさせられた。
物語のラストで、サンチャゴは港に帰り、かれを慕う少年と話す。
「起き上らないほうがいいよ」と少年がいった、「これをお飲み」コップにコーヒーをついで
やった。
老人はそれを受け取って飲んだ。
「すっかりやられたよ。マノーリン、かたなしだ」
「お爺さんはやられたんじないよ。魚にやられたんじゃないよ」
「うん。そうだ。それからあとのこったな」
「ぺドリコが舟と道具のしまつをしているよ。頭はどうするつもり?」
「ぺドリコに切ってもらってな、わなにでも使ってもらったらいい」
「くちばしは?」
「ほしけりゃ、お前のものにするさ」
「ぼく、ほしいな」と少年はいった、「ほかのこともいろいろ相談しとかなくちゃならないね」
「みんな、おれをさがしに出たかい?」
「ああ。沿岸警備隊と飛行機が出たよ」
「海はとても大きいし、舟はちっぽけだし、とても見つかりっこないよ」だれか話相手がいる
というのはどんなに楽しいことかが、はじめてわかった。自分自身や海に向っておしゃべりする
よりはずっといい。「お前がいなくて寂しかったよ」と老人はいった、「なにをとったかね?」
ものすごい死闘をつづけたサンチャゴが、長い長い漁の間ずっと何かと対話しつづけていたサンチャゴが、最後に、話相手がいることの喜びを感じているのだ。サンチャゴは少年にいう。お前がしなくて寂しかった、と。
100ページちょいの、決して長くない物語だ。だけど読めばきっと、本物の文学にふれることができる。ブックオフにいけば、たぶん105円で買えるだろう。図書館で借りれば無料だ。ぜひ、読んでみてほしい。
そしてできれば、一度だけでなく、何度も読み返してほしい。
若いときは若いなりの感じ方があり、年を取ったら、それはそれなりの感じ方がある。
どちらかといえば、年を取ってから読んだ方が、心に響く。
年齢を重ねれば重ねるほど、老漁師サンチャゴの気持ちが痛いほどわかってくるのだ。
つい最近読み返したときも、以前は感じなかったことが、心にびんびんきた。
また何年かしたら読むだろう。
いつの日か、自分が「老人」と呼ばれるときがきて、そのとき読むこの「老人と海」は、ぼくの心にどのように響くだろうか。

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アーネスト・ヘミングウェイ著/「老人と海」だ。世界的ベストセラーだから、読んだことのない人もタイトルは耳にしたことがあるだろう。
そのタイトルのとおり、老人と海との話だ。キューバのある老漁師の物語。
なにはともあれ、まずは恒例の裏表紙の概要。
キューバの老漁夫サンチャゴは、長
い不漁にもめげず、小舟に乗り、た
った一人で出漁する。残りわずかな
餌に想像を絶する巨大なカジキマグ
ロがかかった。四日にわたる死闘の
のち老人は勝ったが、帰途サメに襲
われ、舟にくくりつけた獲物はみる
みる食いちぎられていく……。徹底
した外面描写を用い、大魚を相手に
雄々しく闘う老人の姿を通して自然
の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。
老漁師サンチャゴが海で獲物を釣り上げ、しかし帰途にその獲物をサメに食われてしまう。
それだけ。
それだけの物語だが、しかしこの「老人と海」は全世界から絶賛される名作だ。
ぼくも名作だと思う。名作という言葉がこれほど似合う小説はないだろう。
では何がこの作品を名作と呼ばせているかというと、それはストーリーのおもしろさではなく、ズバリ「情景」だ。
文を読んでいて、物語の細部までが、はっきりとした情景となって浮かぶのだ。
港町の風景。海の静けさ。老人の人生。獲物との格闘。獲物との友情……
で、すごいのは、そうした情景のすべてを、作者のヘミングウェイは、老人サンチャゴの独り言と思考で表現していることだ。この手法で、ヘミングウェイは読者の気持ちを物語にぐいぐい引きこむことに成功している。
もちろん、ぼくも引きこまれた。ぐいぐい、と。
そしてこの老漁師の独り言は、独り言でありながら、海や、鳥や、獲物である魚や、あるいは過去の自分との対話なのだ。また思考の一つひとつも、やはり対話だ。老漁師サンチャゴは、1人舟の上で闘いながら、ずっと何かと対話しつづけているのだ。
たとえば、こんなくだりがある。
「がんばるんだぞ」かれは左手にいった。「おれはお前のために食ってやっているんだからな」
そうだ、おれの魚にも何か食わしてやりたい、とかれは思う。やつはおれの兄弟分だ。けれ
ど、おれはやつを殺さなくてはならない、そのためには、おれは強くならなければいけないんだ。
かれはゆっくりと念入りに噛みながら、くさび形の切り身を、つぎつぎと平らげていく。
あるいは、こんなくだり。
ものすごくでかいやつだ。だが、やつに思い知らせてやらなければならない、とかれは思った。
おれは、あいつを思いあがらせてなどやるものか、その気になれば逃げおおせるなどと思わせて
なるものか。もしおれがあいつだったら、ありったけの力を振りしぼって、最後の最後までがん
ばってみせる。が、ありがたいことに、やつらは、やつらを殺すおれたち人間ほど頭がよくない
んだ。もっともおれたちよりは、気高くて、立派じゃあるけどな。
「四分の一は台なしだ、一番いいところをやられてしまった」老人は大声でいった。「これが夢
だったらよかった。釣れないほうがよかったんだよ。こいつにはすまないことをしたなあ。釣り
あげたのがまちがいのもとだ」かれは急に黙りこんでしまった。もう魚のほうを見る気にはなれ
ない。血がすっかり洗われてしまって鏡の裏のように銀色になっているが、縞目はまだはっきり
見える。
「こんなに遠出をする手はなかったんだよ」老人は魚に話しかけた、「お前にとっても、おれに
とっても、意味はなかった。本当にすまないなあ」
こんな感じに、老漁師サンチャゴはずっと何かと対話しているのだ。
それがすごくリアルで、迫力があり、そして引きこまれる。うう、老人カッコいいなあ、と思ってしまう。まわりからは、もう駄目だ、老いぼれだ、と思われながら、それでも1人闘う男の姿。長い経験からくる引き出しの多さ。海や獲物に対する畏敬。そうしたすべてに、ぼくは心を打たれた。職業というのは、人生というのは、こういうものなんだ、と考えさせられた。
物語のラストで、サンチャゴは港に帰り、かれを慕う少年と話す。
「起き上らないほうがいいよ」と少年がいった、「これをお飲み」コップにコーヒーをついで
やった。
老人はそれを受け取って飲んだ。
「すっかりやられたよ。マノーリン、かたなしだ」
「お爺さんはやられたんじないよ。魚にやられたんじゃないよ」
「うん。そうだ。それからあとのこったな」
「ぺドリコが舟と道具のしまつをしているよ。頭はどうするつもり?」
「ぺドリコに切ってもらってな、わなにでも使ってもらったらいい」
「くちばしは?」
「ほしけりゃ、お前のものにするさ」
「ぼく、ほしいな」と少年はいった、「ほかのこともいろいろ相談しとかなくちゃならないね」
「みんな、おれをさがしに出たかい?」
「ああ。沿岸警備隊と飛行機が出たよ」
「海はとても大きいし、舟はちっぽけだし、とても見つかりっこないよ」だれか話相手がいる
というのはどんなに楽しいことかが、はじめてわかった。自分自身や海に向っておしゃべりする
よりはずっといい。「お前がいなくて寂しかったよ」と老人はいった、「なにをとったかね?」
ものすごい死闘をつづけたサンチャゴが、長い長い漁の間ずっと何かと対話しつづけていたサンチャゴが、最後に、話相手がいることの喜びを感じているのだ。サンチャゴは少年にいう。お前がしなくて寂しかった、と。
100ページちょいの、決して長くない物語だ。だけど読めばきっと、本物の文学にふれることができる。ブックオフにいけば、たぶん105円で買えるだろう。図書館で借りれば無料だ。ぜひ、読んでみてほしい。
そしてできれば、一度だけでなく、何度も読み返してほしい。
若いときは若いなりの感じ方があり、年を取ったら、それはそれなりの感じ方がある。
どちらかといえば、年を取ってから読んだ方が、心に響く。
年齢を重ねれば重ねるほど、老漁師サンチャゴの気持ちが痛いほどわかってくるのだ。
つい最近読み返したときも、以前は感じなかったことが、心にびんびんきた。
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