決意の日から1年が経って
去年の8月、ぼくは、自分の店を持とうと決めた。
その頃に書いた記事を読み返しつつ、この1年を振り返ってみた。
2012/8/10「ぼくだけのオリンピック~ロンドンオリンピック開催中の今、語りたいこと」
2012.8.18「終戦記念日に靖国神社にいってきた」
2012.8.22「あの頃ぼくらは夢の奴隷だった~またはブログ休止のお知らせ」
決意して直後の8月の末に某居酒屋チェーン店で働きはじめ、すぐに何も学べないと気づいて退職した。そして9月におでん屋の老舗の看板を持つ店での修業がはじまった。雇い主であり、生まれてはじめての師でもあった店長のもと必死で働いた。日中の仕事(食品の仕分け)とのかけもちは正直つらかったけど、自分の目標に向かって着実に進んでいると思うと、そのきつさにも耐えられた。
暮れに店長が病に倒れて入院し、店を長期休業することとなった。その頃、食品の仕事もやめていたぼくは、店が再開するまでのツナギでホテルの宴会サービスの仕事についた。軍隊のように厳しいホテルでの業務は、心が折れそうになることもしばしばあったけど、その分、技術的にも精神的にも鍛えられた。
やがて店長が退院し、2月の終わりに店の営業を再開した。同時に、朝5時から昼前までのセミナーハウスでの朝食バイキングの仕事も得て、ふたたび二つの仕事をかけもちするタフな修業の日々がはじまった。
この頃から店長が亡くなる5月半ばまでが、ぼくにとって最も濃密な時間だったと思う。
店長は、もうじき消えてなくなる命を削るようにして、ぼくと、店の跡取りとなる息子のNさんに仕事を伝授した。ふらふらの身体で、でき得るかぎり店に立ち、Nさんにはこの店で出す一品料理のつくり方や仕こみの手順、仕入れのやり方などを、ぼくには自分の店を持つために、店をやっていくために、必要となる技術や心構えといったありとあらゆるものを教えてくれた。それは口頭で教えてくれたこともあったし、態度で示してくれたこともあった。
今、ぼくらは店長亡き後、必死に店を守っている。ぼくら2人の素人料理人と、店長の娘のMさんと、アルバイトのHさんとの4人で。はじめは不安な船出だった。奇跡への挑戦だった。常連客に叱咤されながら、必死に店をつづけていった。味がかわったといわれないように、サービスが落ちたといわれないように、客足が遠のくことがないように……。
そのがんばりが身を結んだのか、あるいは店長が見守っていてくれているのか、おかげさまで店は今も客足が途絶えない。地域で1、2を争う繁盛店としてやっていけている。それは自分1人の力では決してないけれど、それでもやっぱり自信につながる。
今日は8月15日。終戦記念日だ。店がお盆で休業なので、例年どおり靖国神社に参拝にいけた。今年は1日前倒しして、14日にいってきた。

去年と同様、英霊たちに語りかける。俺はやります、と。
不安で、だけど希望に満ちていた去年の同じ日から早1年、自分なりにやってきた結果が自信につながっている。
だけどまだこれからだ。
自分の店を持つまでの道のりは、まだ遠くけわしい。
ホームへ
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
こちらの姉妹ブログで、自作の小説を連載中です。第1話から読めますので、ぜひ覗いてみてください。

ここからどうぞ→お父さんとの旅『入り口』
その頃に書いた記事を読み返しつつ、この1年を振り返ってみた。
2012/8/10「ぼくだけのオリンピック~ロンドンオリンピック開催中の今、語りたいこと」
2012.8.18「終戦記念日に靖国神社にいってきた」
2012.8.22「あの頃ぼくらは夢の奴隷だった~またはブログ休止のお知らせ」
決意して直後の8月の末に某居酒屋チェーン店で働きはじめ、すぐに何も学べないと気づいて退職した。そして9月におでん屋の老舗の看板を持つ店での修業がはじまった。雇い主であり、生まれてはじめての師でもあった店長のもと必死で働いた。日中の仕事(食品の仕分け)とのかけもちは正直つらかったけど、自分の目標に向かって着実に進んでいると思うと、そのきつさにも耐えられた。
暮れに店長が病に倒れて入院し、店を長期休業することとなった。その頃、食品の仕事もやめていたぼくは、店が再開するまでのツナギでホテルの宴会サービスの仕事についた。軍隊のように厳しいホテルでの業務は、心が折れそうになることもしばしばあったけど、その分、技術的にも精神的にも鍛えられた。
やがて店長が退院し、2月の終わりに店の営業を再開した。同時に、朝5時から昼前までのセミナーハウスでの朝食バイキングの仕事も得て、ふたたび二つの仕事をかけもちするタフな修業の日々がはじまった。
この頃から店長が亡くなる5月半ばまでが、ぼくにとって最も濃密な時間だったと思う。
店長は、もうじき消えてなくなる命を削るようにして、ぼくと、店の跡取りとなる息子のNさんに仕事を伝授した。ふらふらの身体で、でき得るかぎり店に立ち、Nさんにはこの店で出す一品料理のつくり方や仕こみの手順、仕入れのやり方などを、ぼくには自分の店を持つために、店をやっていくために、必要となる技術や心構えといったありとあらゆるものを教えてくれた。それは口頭で教えてくれたこともあったし、態度で示してくれたこともあった。
今、ぼくらは店長亡き後、必死に店を守っている。ぼくら2人の素人料理人と、店長の娘のMさんと、アルバイトのHさんとの4人で。はじめは不安な船出だった。奇跡への挑戦だった。常連客に叱咤されながら、必死に店をつづけていった。味がかわったといわれないように、サービスが落ちたといわれないように、客足が遠のくことがないように……。
そのがんばりが身を結んだのか、あるいは店長が見守っていてくれているのか、おかげさまで店は今も客足が途絶えない。地域で1、2を争う繁盛店としてやっていけている。それは自分1人の力では決してないけれど、それでもやっぱり自信につながる。
今日は8月15日。終戦記念日だ。店がお盆で休業なので、例年どおり靖国神社に参拝にいけた。今年は1日前倒しして、14日にいってきた。

去年と同様、英霊たちに語りかける。俺はやります、と。
不安で、だけど希望に満ちていた去年の同じ日から早1年、自分なりにやってきた結果が自信につながっている。
だけどまだこれからだ。
自分の店を持つまでの道のりは、まだ遠くけわしい。
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また
一年、頑張れ!
いつか夢が現実になるように(^-^)/