真面目が一番の武器になる
10年前の9月28日、市川市内にあるおでん屋で、ぼくは料理人としての第一歩を踏み出した。
その店は、東京の日本橋の老舗のおでん屋で長年店長を務めていた人が出した店で、その時点ではオープンして1年半とまだ新しかった。
働ける店をさがしているときにたまたまその店をみつけ、そしてその店がたまたま従業員を募集していた。こいつは神様のお導きだと興奮しながら、貼り紙に書いてあった電話番号をメモし、少し離れた場所からかけた。自分の年齢(すでに40を超えていた)とほとんど未経験(20歳前後の頃に2年ほど飲食業に従事したがだいぶ昔なのでふせておいた)だということを告げ、後日面接にこぎつけた。
当日、ぼくはスーツにネクタイという出立ちで面接に挑んだ。たかだか居酒屋のアルバイトの面接にはおおげさかなとも思ったが、こっちは修業のつもりだし、それにけじめは大切だ。
ガチガチに緊張しつつも、自分はこの歳で未経験だけれど、何だってやるし、どんなにきつくても大丈夫です、この仕事をおぼえて、将来こんな店をやりたいんです、と思いのたけをぶつけた。
1週間後に連絡する、といわれ、面接は終わった。ぼくはガチガチの緊張のまま、よろしくお願いします、この店で働きたいです、と二等兵みたいに勢いよく頭を下げ、店を辞した。ここで働きたいと本気で思った。ここしかないと強く思った。やってやるぜと採用される前からすでに心が燃えていた。大丈夫だ、必ず採用される。年齢や経験値を考えると不安なるが、おでん屋といえば○△(店名)といわれる店が通勤可能な場所にあり、そこがたまたまこのタイミングで従業員を募集していたのだ。これが神の導きでなくて何だというのか。
だが1週間がすぎても連絡はなかった。あきらめきれずに連絡を待ちつづけたが、その翌日も、そのまた翌日も電話はこなかった。
やっぱり年齢がいきすぎていたか……
店主が60歳を超えたくらいの人だったから大丈夫かなと思っていたが、やはり40すぎで未経験だと店としてはマイナスにしかならないと判断されたのだろう。
面接から2週間、あきらめて次の店をさがそうと思いはじめた頃、電話がきた。とりあえず10日間ほど試用期間として、次の金曜からこれるかというものだった。
その金曜日が2012年9月28日で、ぼくのキャリアのスタートとなった。
持ち場はおでん鍋の前。つまりカウンターがぼくのポジションだった。客を迎え、注文を訊き、ドリンクをつくり、おでんを皿に盛って出す。一品料理のオーダーを受けたら裏の厨房の店長にとおす。お会計とお見送りもぼくの仕事だ。
華々しいデビューではなかった。ほろ苦デビューともいえなかった。泣きたいくらいに散々なスタートだった。毎日毎日ドジばかりで、終始叱られっぱなし。だけどこっちとしても何をどう動けばいいのかわからないから対処のしようがないのだ。それでも客は容赦なくやってくる。注文も怒涛のように飛んでくる。やったことのないスポーツの試合にいきなり出場させられたような感じだった。
何日経ってもその状態はつづいた。その間ぼくは思うように動けないまま、ただただ、はい、はい、すみません、を繰り返すばかりだった。とにかくガチガチなのだ。客には笑顔を見せろと店長はいうが、とてもじゃないけどそんな余裕はなかった。
そしてある日の営業の終わり頃、改まった口調で店長に呼ばれた。その真剣な顔つきを見て、ぼくはクビを覚悟した。
「もっと自信を持て」
「はい……」
「おまえが新人だとか、そんなのはお客さんには関係ないんだからな」
「はい……」
「いいんだ、自信持って。大丈夫だから」
「……」
「大丈夫だって。入って数日でそこまでできてるんだから。上出来だから」
「……!」
「おれはな、おまえの真面目なところを買ってんだ。真面目ってのは、一番の武器なんだ」
「……」
「心配すんな。おれはおまえが根を上げないかぎりはやめさせたりしないから。そのかわりもっと自信を持て。堂々としてろ。今みたいにガチガチだとお客さんが不安になるからな」
その言葉が魔法となって、その後は思い切って仕事ができた。もちろん完璧にこなせるようになったわけではないけど、ひとつ、またひとつと仕事を覚えていくたびぼくは自由になった。まわりが見えるようになっていった。
そうだ、真面目は一番の武器なんだ……。
その言葉をお守りに、ぼくは一生懸命やった。とにかく全力で仕事した。それがぼくを捨てずにいてくれた店長に対する恩義だと思った。
だいぶ後に聞いた話だが、その頃、店の常連客や店長の家族(奥さんと娘さんがたまに手伝いにきていた)はみんな口をそろえてぼくをやめさせた方がいいといっていたらしい。居酒屋みたいな酒飲み相手の仕事は、ああいうクソ真面目なやつには務まるはずがない、と。
店長だけがちがったのだ。店長だけが、どんな仕事だろうが真面目なやつが最後には物になるんだといい、ぼくを雇いつづけると決めてくれたのだ。
あれから10年が経ち、自分の店を持った今でも、あのとき店長にもらった言葉、真面目が一番の武器だというあの言葉は、お守りとしてぼくの胸の中にある。
ぶっちゃけていえば、ぼくの店なんだから、サボろうと思えばいつだってサボれるのだ。お客さんがこない日は早じまいして、何なら常連さんと飲みに出かけたって文句はいわれないのだ。営業中、酒を飲みながら仕事したってかまわないのだ。現にそうした店は腐るほどある。だけどぼくはそうはしない。どんなに閑古鳥が鳴こうと1分たりとも早じまいはしないし、お客さんにすすめられても営業中は酒は飲まない。居酒屋なんだから、不真面目にやっていいなんてことは絶対にないのだ。居酒屋だからこそ、酒飲み相手の仕事だからこそ、むしろ真面目にやらなきゃ駄目なんだとぼくは思う。ちょっとした気のゆるみで、店は朽ちていくのだから。
真面目にやっていこう。コツコツと、愚直に。
ぼくにはそれしか武器がないのだから。
当店のホームページはこちらから
その店は、東京の日本橋の老舗のおでん屋で長年店長を務めていた人が出した店で、その時点ではオープンして1年半とまだ新しかった。
働ける店をさがしているときにたまたまその店をみつけ、そしてその店がたまたま従業員を募集していた。こいつは神様のお導きだと興奮しながら、貼り紙に書いてあった電話番号をメモし、少し離れた場所からかけた。自分の年齢(すでに40を超えていた)とほとんど未経験(20歳前後の頃に2年ほど飲食業に従事したがだいぶ昔なのでふせておいた)だということを告げ、後日面接にこぎつけた。
当日、ぼくはスーツにネクタイという出立ちで面接に挑んだ。たかだか居酒屋のアルバイトの面接にはおおげさかなとも思ったが、こっちは修業のつもりだし、それにけじめは大切だ。
ガチガチに緊張しつつも、自分はこの歳で未経験だけれど、何だってやるし、どんなにきつくても大丈夫です、この仕事をおぼえて、将来こんな店をやりたいんです、と思いのたけをぶつけた。
1週間後に連絡する、といわれ、面接は終わった。ぼくはガチガチの緊張のまま、よろしくお願いします、この店で働きたいです、と二等兵みたいに勢いよく頭を下げ、店を辞した。ここで働きたいと本気で思った。ここしかないと強く思った。やってやるぜと採用される前からすでに心が燃えていた。大丈夫だ、必ず採用される。年齢や経験値を考えると不安なるが、おでん屋といえば○△(店名)といわれる店が通勤可能な場所にあり、そこがたまたまこのタイミングで従業員を募集していたのだ。これが神の導きでなくて何だというのか。
だが1週間がすぎても連絡はなかった。あきらめきれずに連絡を待ちつづけたが、その翌日も、そのまた翌日も電話はこなかった。
やっぱり年齢がいきすぎていたか……
店主が60歳を超えたくらいの人だったから大丈夫かなと思っていたが、やはり40すぎで未経験だと店としてはマイナスにしかならないと判断されたのだろう。
面接から2週間、あきらめて次の店をさがそうと思いはじめた頃、電話がきた。とりあえず10日間ほど試用期間として、次の金曜からこれるかというものだった。
その金曜日が2012年9月28日で、ぼくのキャリアのスタートとなった。
持ち場はおでん鍋の前。つまりカウンターがぼくのポジションだった。客を迎え、注文を訊き、ドリンクをつくり、おでんを皿に盛って出す。一品料理のオーダーを受けたら裏の厨房の店長にとおす。お会計とお見送りもぼくの仕事だ。
華々しいデビューではなかった。ほろ苦デビューともいえなかった。泣きたいくらいに散々なスタートだった。毎日毎日ドジばかりで、終始叱られっぱなし。だけどこっちとしても何をどう動けばいいのかわからないから対処のしようがないのだ。それでも客は容赦なくやってくる。注文も怒涛のように飛んでくる。やったことのないスポーツの試合にいきなり出場させられたような感じだった。
何日経ってもその状態はつづいた。その間ぼくは思うように動けないまま、ただただ、はい、はい、すみません、を繰り返すばかりだった。とにかくガチガチなのだ。客には笑顔を見せろと店長はいうが、とてもじゃないけどそんな余裕はなかった。
そしてある日の営業の終わり頃、改まった口調で店長に呼ばれた。その真剣な顔つきを見て、ぼくはクビを覚悟した。
「もっと自信を持て」
「はい……」
「おまえが新人だとか、そんなのはお客さんには関係ないんだからな」
「はい……」
「いいんだ、自信持って。大丈夫だから」
「……」
「大丈夫だって。入って数日でそこまでできてるんだから。上出来だから」
「……!」
「おれはな、おまえの真面目なところを買ってんだ。真面目ってのは、一番の武器なんだ」
「……」
「心配すんな。おれはおまえが根を上げないかぎりはやめさせたりしないから。そのかわりもっと自信を持て。堂々としてろ。今みたいにガチガチだとお客さんが不安になるからな」
その言葉が魔法となって、その後は思い切って仕事ができた。もちろん完璧にこなせるようになったわけではないけど、ひとつ、またひとつと仕事を覚えていくたびぼくは自由になった。まわりが見えるようになっていった。
そうだ、真面目は一番の武器なんだ……。
その言葉をお守りに、ぼくは一生懸命やった。とにかく全力で仕事した。それがぼくを捨てずにいてくれた店長に対する恩義だと思った。
だいぶ後に聞いた話だが、その頃、店の常連客や店長の家族(奥さんと娘さんがたまに手伝いにきていた)はみんな口をそろえてぼくをやめさせた方がいいといっていたらしい。居酒屋みたいな酒飲み相手の仕事は、ああいうクソ真面目なやつには務まるはずがない、と。
店長だけがちがったのだ。店長だけが、どんな仕事だろうが真面目なやつが最後には物になるんだといい、ぼくを雇いつづけると決めてくれたのだ。
あれから10年が経ち、自分の店を持った今でも、あのとき店長にもらった言葉、真面目が一番の武器だというあの言葉は、お守りとしてぼくの胸の中にある。
ぶっちゃけていえば、ぼくの店なんだから、サボろうと思えばいつだってサボれるのだ。お客さんがこない日は早じまいして、何なら常連さんと飲みに出かけたって文句はいわれないのだ。営業中、酒を飲みながら仕事したってかまわないのだ。現にそうした店は腐るほどある。だけどぼくはそうはしない。どんなに閑古鳥が鳴こうと1分たりとも早じまいはしないし、お客さんにすすめられても営業中は酒は飲まない。居酒屋なんだから、不真面目にやっていいなんてことは絶対にないのだ。居酒屋だからこそ、酒飲み相手の仕事だからこそ、むしろ真面目にやらなきゃ駄目なんだとぼくは思う。ちょっとした気のゆるみで、店は朽ちていくのだから。
真面目にやっていこう。コツコツと、愚直に。
ぼくにはそれしか武器がないのだから。
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