大切なものを見失わないために 〜パンデミックが教えてくれたこと
店をオープンしてから5年は、仕事に全身全霊をかけていた。
17時から24時までの営業と、仕入れとしこみ、店の掃除、食器洗い、鍋洗い、片づけなど、すべてをこなすと、労働時間は1日16時間、多い日は19時間におよんだ。
週に一度の定休日も、おでんの出汁に火を入れたり、厨房を掃除したり、遠出して仕入れ先をさがしたりと、店のために使っていた。夜になれば飲みに出かけたけど、それだって、気になっている店や名のある店に出向いて、視察あるいは勉強にあてていた。
昔から本を読むのが好きで、小説やら実用書やら、ジャンルを問わずに片っぱしから読んでいたが、その時間すら店を出してからはなくなった。たまにあっても手にするのは料理に関するもので、和洋中のレシピ本や、巨匠と呼ばれる料理人の伝記などを読んでは、自分の肥やしにしていた。
店を出す前は、波乗りや山登り、草サッカーなど、趣味も多かったが、それらもいっさいしなくなった。趣味とか遊びとか旅行にいくとか、そういうものはすべて捨てたのだ。自分の店を持つというのはそういうことだと思ったし、その覚悟がなければ店なんて出せないと思っていた。
立ちどまったら負けだと思っていた。店を大きくすること、地域で一番の繁盛店にすること、それだけを考えて生きていた。
実際、店は繁盛していたし、結果が伴うから長時間労働も苦じゃなかった。もっともっとがんばって、もっともっと店をでかくしよう、この先の人生、そうやって生きていこう、そう思っていた。
そんなふうに5年間をすごした頃、世界中でパンデミックがはじまった。新型コロナウイルスの感染拡大だ。
ぼくの店も、テイクアウト営業に切りかえたり、自治体の要請にしたがって営業時間の短縮を余儀なくされたり、通常どおりの仕事ができなくなった。築き上げてきたものが潰えてしまう不安を抱きながら、一方で長時間労働をまぬがれて、息をつく自分もいた。
不意に与えられた自由な時間で、ぼくは新しいメニューの試作をはじめた。多くは将来的にメニューとして出すための酒のつまみだったが、ときにはイタリアンや中華やエスニック料理など、ジャンルを越えたものもやってみた。ボルシチとかクリームシチューとか、何時間もかけて煮こむ本格的な料理にもチャレンジした。それはすごく楽しい時間だった。あらためて自分は料理が好きだと感じた。考えてみれば、こんなふうに創造的に料理するなんて長いことしていなかった。店を出してからずっと、つくってもつくっても消費されていくメニューを、ただただつくりつづけるだけの日々だったのだ。
また家族のために時間を使うこともできた。外出自粛など行動制限はあったけど、車で出かけたり、コーヒーを飲みながら話したり、近所を散歩したり、長い時間をともにできた。そうすることで相手も喜んだし、自分自身も気持ちが満たされた。とてもおだやかで、やさしい時間だった。
新しい趣味もはじめた。
ウイルスの感染が拡大したり落ちついたりがくり返される中、可能な範囲で何か楽しめることはないかと思いはじめたのが、去年の冬だった。ぼくはスキーをはじめた。屋外のスポーツだからウイルスの感染もしにくく、昔とった杵柄でふたたびスキーをはじめる中高年が増えた、というニュースを聞いて、ちょっとその気になったのだ。
ただぼくの場合は中高年ではあるものの「昔とった杵柄」ではなかった。小学生のときに一度、20歳のときに一度、無理やり連れていかれたことがあるだけで、まったくの初心者同様だった。50すぎの手習いにしてはハードルが高い気もしたが、とにかくやってみることにした。
……で、ハマった。泥沼だ。
そのシーズンは全部で9回スキーにいった。2シーズン目となる今シーズンは16回いった。何度いっても飽きない。それどころか益々ハマっていく。おそらく来シーズンもその次のシーズンも、体力がつづくかぎり同じペースでスキー場にかようだろう。
そんなわけで、今ぼくの店の定休日は、月曜火曜となっている。営業日の労働時間はあいかわらずだが、週に二日休むことで生活の質が向上した。もちろんその分、売り上げは減るけど、自分にとって何が大切かを考えたら、その時間は必要だ。
そう、自分にとって何が大切か……
店は大切だ。この仕事が好きだし、自分の店をもっとよくしたい気持ちはかわらない。だけどそれだけでいいのか。自分の店のために全力を注ぐだけの人生でいいのだろうか。
立ちどまったたら負けだ。
以前はそう思っていた。だから走りつづけた。この先もずっと走りつづけて、誰にも負けない自分になるんだと、そう思っていた。だけど……
誰かがいっていた。
I life moves pretty fast.
If you don’t stop and look around once in a while, you could miss it.
人生は早い。
時に立ち止まり、周りを見ないと、大切なものを見失う。
偶然に与えられた時間が、ぼくに立ちどまることを教えてくれた。コロナ禍で失ったものも多かったけど、一方で、たいせつなものに気づかせてもくれた。
定休日が二日もあるなんて、店を出した当初は考えられなかった。でも今は、休みが二日あることで、穏やかな気持ちになれる。やさしい心が持てる。仕事のうえでも同じだ。どこにも負けない店をめざすという勝負からおりたことで、お客さん一人一人に気持ちを注ぐことができるようになった。
5月の連休明けの定休日を最後に、今シーズンのスキーは終わった。ここから半年、ぼくはまた無趣味な人間になる。休みの日には、カフェで読書したり、まちを散歩したり、家族と出かけたり、友人と会って話したり、そうやって穏やかでやさしい時間をすごそうと思う。
大切なものを見失わないように。
人生は早いから。
17時から24時までの営業と、仕入れとしこみ、店の掃除、食器洗い、鍋洗い、片づけなど、すべてをこなすと、労働時間は1日16時間、多い日は19時間におよんだ。
週に一度の定休日も、おでんの出汁に火を入れたり、厨房を掃除したり、遠出して仕入れ先をさがしたりと、店のために使っていた。夜になれば飲みに出かけたけど、それだって、気になっている店や名のある店に出向いて、視察あるいは勉強にあてていた。
昔から本を読むのが好きで、小説やら実用書やら、ジャンルを問わずに片っぱしから読んでいたが、その時間すら店を出してからはなくなった。たまにあっても手にするのは料理に関するもので、和洋中のレシピ本や、巨匠と呼ばれる料理人の伝記などを読んでは、自分の肥やしにしていた。
店を出す前は、波乗りや山登り、草サッカーなど、趣味も多かったが、それらもいっさいしなくなった。趣味とか遊びとか旅行にいくとか、そういうものはすべて捨てたのだ。自分の店を持つというのはそういうことだと思ったし、その覚悟がなければ店なんて出せないと思っていた。
立ちどまったら負けだと思っていた。店を大きくすること、地域で一番の繁盛店にすること、それだけを考えて生きていた。
実際、店は繁盛していたし、結果が伴うから長時間労働も苦じゃなかった。もっともっとがんばって、もっともっと店をでかくしよう、この先の人生、そうやって生きていこう、そう思っていた。
そんなふうに5年間をすごした頃、世界中でパンデミックがはじまった。新型コロナウイルスの感染拡大だ。
ぼくの店も、テイクアウト営業に切りかえたり、自治体の要請にしたがって営業時間の短縮を余儀なくされたり、通常どおりの仕事ができなくなった。築き上げてきたものが潰えてしまう不安を抱きながら、一方で長時間労働をまぬがれて、息をつく自分もいた。
不意に与えられた自由な時間で、ぼくは新しいメニューの試作をはじめた。多くは将来的にメニューとして出すための酒のつまみだったが、ときにはイタリアンや中華やエスニック料理など、ジャンルを越えたものもやってみた。ボルシチとかクリームシチューとか、何時間もかけて煮こむ本格的な料理にもチャレンジした。それはすごく楽しい時間だった。あらためて自分は料理が好きだと感じた。考えてみれば、こんなふうに創造的に料理するなんて長いことしていなかった。店を出してからずっと、つくってもつくっても消費されていくメニューを、ただただつくりつづけるだけの日々だったのだ。
また家族のために時間を使うこともできた。外出自粛など行動制限はあったけど、車で出かけたり、コーヒーを飲みながら話したり、近所を散歩したり、長い時間をともにできた。そうすることで相手も喜んだし、自分自身も気持ちが満たされた。とてもおだやかで、やさしい時間だった。
新しい趣味もはじめた。
ウイルスの感染が拡大したり落ちついたりがくり返される中、可能な範囲で何か楽しめることはないかと思いはじめたのが、去年の冬だった。ぼくはスキーをはじめた。屋外のスポーツだからウイルスの感染もしにくく、昔とった杵柄でふたたびスキーをはじめる中高年が増えた、というニュースを聞いて、ちょっとその気になったのだ。
ただぼくの場合は中高年ではあるものの「昔とった杵柄」ではなかった。小学生のときに一度、20歳のときに一度、無理やり連れていかれたことがあるだけで、まったくの初心者同様だった。50すぎの手習いにしてはハードルが高い気もしたが、とにかくやってみることにした。
……で、ハマった。泥沼だ。
そのシーズンは全部で9回スキーにいった。2シーズン目となる今シーズンは16回いった。何度いっても飽きない。それどころか益々ハマっていく。おそらく来シーズンもその次のシーズンも、体力がつづくかぎり同じペースでスキー場にかようだろう。
そんなわけで、今ぼくの店の定休日は、月曜火曜となっている。営業日の労働時間はあいかわらずだが、週に二日休むことで生活の質が向上した。もちろんその分、売り上げは減るけど、自分にとって何が大切かを考えたら、その時間は必要だ。
そう、自分にとって何が大切か……
店は大切だ。この仕事が好きだし、自分の店をもっとよくしたい気持ちはかわらない。だけどそれだけでいいのか。自分の店のために全力を注ぐだけの人生でいいのだろうか。
立ちどまったたら負けだ。
以前はそう思っていた。だから走りつづけた。この先もずっと走りつづけて、誰にも負けない自分になるんだと、そう思っていた。だけど……
誰かがいっていた。
I life moves pretty fast.
If you don’t stop and look around once in a while, you could miss it.
人生は早い。
時に立ち止まり、周りを見ないと、大切なものを見失う。
偶然に与えられた時間が、ぼくに立ちどまることを教えてくれた。コロナ禍で失ったものも多かったけど、一方で、たいせつなものに気づかせてもくれた。
定休日が二日もあるなんて、店を出した当初は考えられなかった。でも今は、休みが二日あることで、穏やかな気持ちになれる。やさしい心が持てる。仕事のうえでも同じだ。どこにも負けない店をめざすという勝負からおりたことで、お客さん一人一人に気持ちを注ぐことができるようになった。
5月の連休明けの定休日を最後に、今シーズンのスキーは終わった。ここから半年、ぼくはまた無趣味な人間になる。休みの日には、カフェで読書したり、まちを散歩したり、家族と出かけたり、友人と会って話したり、そうやって穏やかでやさしい時間をすごそうと思う。
大切なものを見失わないように。
人生は早いから。
スポンサーサイト