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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

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いつまでも少年の心を 〜または新しいスキー板の話

スキー板を買った。

SALOMONのS/RACEシリーズのSL10という板で、デモモデル、つまりはデモアスリート、エキスパート用の板だ。

ちょっと背伸びしすぎかなとも思ったが、何とかいけるだろう。この板を駆使して、今シーズンはより高いレベルを目指すのだ。レジャースキーから、スポーツとしてのスキーへと飛躍する。そのための板であり、この先こいつがたいせつな相棒になっていくのだ。

色は藍色に近いブルーで、ロゴは白で統一している。最終的にそのデザインが、この板を選ぶ決め手になった。材質がどうとか、性能がどうとか、そういったことももちろん大事だけど、最後はやっぱり見た目だ。今まで選んできたすべての道具がそうだったように。

家に持ち帰り、リビングの壁に立てかけて、うっとりと眺めた。しみじみと気に入った。この板にしてよかった。じつはもう1本気になった板があって、本当はそっちのメーカー(オガサカという日本メーカー)の板がほしかったのだ。その板は黒と赤のツートンで、そこがちょっと気に入らなかった。だけど国内メーカーのスキー板を使いたいというこだわりがあったから、最後まで悩んでしまった。帰途の道中も、やっぱりオガサカの方がよかったかなあと、うじうじと考えていた。だがこうして眺めていると、このブルーの板こそ、自分の相棒にふさわしいと思えてくるのだった。この板を履いて、白銀の世界を縦横無尽にすべりまくる光景を思い浮かべると、もういてもたってもいられなくなる。

ラグビーの世界の言葉で、「ラグビーは、少年をいちはやく大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」というのがあるが、これはラグビーに限った話ではないと思う。すべてのスポーツにいえるのではないだろうか。少なくとも、スキーには当てはまると、ぼくは実感している。

もっとも、ぼくがスキーをはじめたのは最近のことだから、少年をいちはやく大人にするかどうかは、想像するしかないのだけれど。

少年とえば……

その頃ぼくはサッカーをしていた。サッカー少年というほど積極的に好きだったわけではないが、小学5年生のときに、転校先の小学校のクラブに強制的に入れられて、そのまま中学3年までサッカーをつづけた。

昭和50年代中頃、当時は少年サッカーでスパイクを履くことはほとんどなく、中学の部活に入ってはじめて購入するのが自然だった。一応、部活動も学校行事の一環だから、そこで使う道具の費用は親が出すことになる。ただうちは父親が「サッカーなんて遊びだから買いたきゃ自分のこづかいで買え」という主義で、ビタ一文出してくれなかった(試合など会場への交通費はギリ出してくれた)。同情した母が、パート先の同僚から、息子さんが中学時代に履いていたお古をもらってきて、それをぼくにくれた。見るからに古めかしく、メーカーもサッカーのものではなく(美津濃だった)、ぼくは泣きそうになりながらそのスパイクを履いて練習した。

自分のスパイクを買ったのは翌年の正月明けだ。親や親戚からもらったお年玉をポケットに入れ、自転車を飛ばして千葉駅近くのスポーツショップに向かった。

当時の一番人気はアシックスで、同期の仲間や先輩らの大半が使っていた。あとはプーマとアディダスが半々といった感じだった。ぼくはプーマを狙っていた。憧れの先輩が使っていたからだ。

スポーツショップを何軒かまわり、だいたい買うべきスパイクは決まった。やはりプーマだった。白のプーマラインが入った漆黒のスパイク。自分の相棒はこいつしかいないと胸がときめいた。あとは値段だ。1番安い店で買おうと思い、自転車を立ち漕ぎして、可能な限りのスポーツ店を訪ねてまわった。

あらかたのスポーツショップをまわり終え、一番安かった店に戻って、お目当てのスパイクを履かせてもらった。そこは店の人の感じもよく、ちょっと待っててね、と微笑みながら在庫をさがしてくれた。

しかし運わるく、その店に自分に合うサイズがなかった。

その時点であたりはもう暗かった。これからまたべつの店に向かうのも億劫だし、下手すると閉店時間がすぎているかもしれなかった。ここでべつのスパイクを選ぶか。アシックスか、アディダスか。いや、やっぱりプーマだ。プーマのスパイクがほしい。

「試合、近いのかい?」

がっくりとした顔を隠そうともしないぼくを見かねて、店の人が訊いてきた。

はい、とぼくは答えた。1年生大会が、2月からはじまる。

「プーマがいいの?」

「はい。でもサイズないんですよね?」

「そうだねえ。次の入荷は3週間は先だねえ」

1月中には届くという。1年生大会には間に合うが、できれば今すぐほしかった。4月の入部から9カ月も待ったのだ。明日からその新しいスパイクを履いて練習したかった。

「プーマ以外なら、サイズあるんだけどなあ。ほかじゃ駄目なの?」

駄目だった。アシックスは仲間のほとんどが使っていて、できれば避けたかった。アディダスは、何となく好みじゃなかった。

どうしようか、と考えていると、店の人が、べつのスパイクを持ってきて、ぼくに差し出した。見たことのないデザインだった。

「これなんかどうかな? 」

ブーメランみたいな黄色のラインが2本入った、黒いスパイクだった。ヤスダという、国内初のスパイクメーカーだという。

「高校のサッカー部らの間で人気なんだよ」

そういって店の人は、名だたる高校の名を列挙した。全国屈指の強豪校の名もあった。

「日本人の足に合わせたつくりでね、いいよ、これ。絶対オススメ。くるよ、これから」

ぼくは考えこんだ。当時のサッカー少年にとって、先にあげた3つのメーカー以外は、笑い物になる風潮があった(ぼくの美津濃がまさにそうだった。美津濃は素晴らしいスポーツメーカーだが当時は野球のイメージしかなかった)。だが高校生の間ではやっていて、店の人もおすすめだとう。何より、見た目がよかった。びびっとくるものがあった。値段も、お目当てだったプーマのスパイクより、だいぶ安い。履いてみると、たしかに足にピッタリだった。何より、誰も持っていないというのが、何となく胸に響くものがあった。

「これ、ください!」

チャリンコをかっ飛ばして家に帰った。親から帰宅が遅いと怒られたが、へっちゃらだった。部屋に入り、うっとりとそのスパイクを眺めた。気に入った。このスパイクで、ガンガン、ゴールを決めてやるぜと、気持ちがたかぶった。

翌月にはじまった1年生大会で、ぼくはゴールを決めまくった。……といいたいところだが、大会をとおしてぼくが決めた得点は2点だけだった。ポジションが守備的MF(現在でいうボランチの位置)で、敵の攻撃の芽を摘むのがぼくの役割だったのだ。チームの勝利に貢献できたのかどうかはわからないが、ぼくたちは面白いように勝ち進み、千葉県のベスト4に入った。

結局サッカーは中学3年まででやめてしまったが、あの頃の記憶は今も鮮明に残っている。サッカーがぼくをいち早く大人にしてくれたかはわからないけど、大人になって振り返ると、あの3年間(小学生のときを入れて5年間)は、ぼくの人生においてなくてはならない時間だったと断言できる。

あれから40年、あの頃と同じ気持ちで、新しいスキー板を眺めている。自転車をかっ飛ばして、スパイクを手に入れたあのときと、まったくかわらない気持ちで。

笑いがこみ上げてくる。

今年もまたスキーシーズンがはじまる。
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