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魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

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故郷はずっとそこに

誰にも必ず、故郷がある。

当店のお客さんの半分近くは地方出身で、かれらの故郷の話を聴くのがぼくは好きだ。北は北海道から南は九州沖縄まで、47都道府県すべての出身者がいて、その思い入れはやっぱり強く、なんかいいなあ、と思うのだ。

もちろん、子どもの頃からずっとこの土地に住んでいるという人もたくさんいて、それはそれで立派な故郷だと思う。ここが好きだから、ずっとここに住んでいるんだと、かれらにも強い思いがある。

だから、地方出身だろうと、地元民であろうと、あるいは首都である東京出身であろうと、誰にも必ず故郷があるのだ。

当然、ぼくにも故郷がある。

千葉市の南部、鉄道の駅でいうと蘇我(といっても駅から歩いて20分以上かかる)のあたりでぼくは育った。今では東京駅直通の京葉線があったり、アリオ蘇我という大きな商業施設があったり、街はみちがえるほど発展したが、当時は川崎製鉄(現JFE)の企業城下町で、あちこちにパチンコ屋があって、いかがわしい感じの店や劇場などがあって、なんとなくガラのわるい街だった。小学5年生のときにそこに転校してきたぼくは、ちっと気を引きしめていかないとやられちまうぞと、子ども心に思ったものだった。

そんな街で育ち、大人になっていった。

その実家を昨年、売却した。

ぼくも弟もとっくに実家は出ていたから、長い間、そこには父と母が2人で暮らしていた。その父が2001年に亡くなり、母が一人残された。それじゃ寂しいっていうんで、身寄りのない伯母(母の実姉)を呼びよせて2人で暮らしはじめたのだが、伯母は身体が弱く、何年かはそこで暮らしてはいたけど、次第に不自由になり、6年ほど前に、実家の近くのサービス付き高齢者住宅に入居した。

それからは母1人でその家で暮らした。

仕事が忙しくて、なかなか帰れなかったが、月に一度は母の仕事の手伝いなどで実家に泊まっていた。正月には東京の中野で暮らす弟も帰省して、一家団欒の時間をすごした。父がいなくなっても、伯母が去っていっても、ぼくら家族にとってその家はたいせつな場所だった。

だがぼくらは、その実家の売却を決めた。もう誰も、その家に住むことがなくなったからだ。

2019年に母が腰椎を骨折し、市原の病院に入院した。その間、ぼくも弟も時間の許すかぎり見舞いにいき、母を励ましたが、年をとってからの骨折はなかなか治りが遅く、病院のリハビリの先生がいうには、当面は(あるいは一生)車椅子生活になるだろうということだった。そうなると広い一軒家に一人で暮らすのは到底無理な話で、ぼくか弟が引き取るか、あるいは伯母同様、サービス付き高齢者住宅のような施設で暮らすか、考えなくてはならなくなったのだ。

ぼくも弟も仕事が忙しく、一緒に暮らしてめんどうをみるのは不可能だった。そうなるとサービス付き高齢者住宅か、あるいは介護つきの老人ホームに住んでもらうしかなかった。

母に話すと、それでいいという。

場所はぼくの住む市川にするか、弟が住む中野にするか、話し合うまでもなくぼくの店の近くにしようと話が決まった。これは長男だからということではなく、勤め人の弟より自営のぼくの方が何かあったとき動きやすいだろうという理由からだった。(弟の名誉のためにいっておくが、決して兄に押しつけたわけでなく、かれもうちの近くでもいいといってくれた)

すぐに市川市の地域包括支援センターにいき、ケアマネージャーを紹介してもらった。同時に住む場所もさがし、運よく店から自転車で10分(立ち漕ぎなら5分だ!)の場所に家賃も手頃なサービス付き高齢者住宅を見つけた。一部屋空いているとのことだったので、施設長と面談し、母が気に入ったらすぐにでも入居したいと申し入れた。正直、急ぎ足で決めた感があるがやむを得なかった。市原の病院の入院期間が怪我の大小に関わらず最長3カ月と決まっていて、その期限が迫っていたからだ。

後日、入院中の母を連れ出して、その施設を見にいった。気に入ってくれたようで、その場で入居を決めた。

2020年の1月初め、正月明けから、母の新しい生活がはじまった。とりあえず必要なものをそろえ、家に置きっぱなしの荷物は少しずつぼくが休みの日に運ぶことにした。落ち着いたら、実家の売却を進めようと思った。

そこへ、世界的なパンデミックがはじまったのだ。実家の売却は後回しになった。

新しい生活の中、母は週2回のデイサービスでのリハビリをがんばり、わりとすぐに車椅子生活から脱した。今はシルバカーでかなりの距離を歩けるようになった。短い距離なら、スティック1本で歩ける。

そんなこんなで、コロナも落ちつきつつあった昨年の春、実家の売却を進めたのだ。すぐに買い手が見つかり、秋には完全に手放した。

1979年に父が買ったぼくら家族の家は、43年の年月を経て、その役割を終えた。

これでもう、ぼくも、弟も、そして母にも、帰る場所はなくなった。今いる場所で、生きていくしかない。

だけど、故郷がなくなったわけじゃない。

実家はなくなったけど、ときどき地元に帰り、中学のときの友達と一杯飲っている。地元に残っているやつは多くて、平日が休みのぼくに合わせて、わざわざ集まってくれる。一番仲がよかったやつが地元をしきっていて、ぼくの帰郷(といっても電車で1時間弱、車なら30分の距離だ)に合わせて都合のいい連中に声をかけてくれるのだ。ときには中学のときはほとんど絡みがなかった人もくるが、同じ中学の仲間というだけで安心感があった。

先日も地元に帰り、中学の友達と飲んだ。その日集まったのはとりわけ仲がよかった3人で、よくいく居酒屋(そこの店主も中学はちがうけど同い年の友人だ)で飲み、その後、これまた同級生の女の子がやっているバー(とスナックの中間のような店)で遅くまで語り合った。

みんな幼なじみだから、気をつかうことはない。お互いの未熟だった頃を知っているから、格好つける必要がいっさいないのだ。それはすごく楽で、心地よい関係だ。

終電ギリギリまで語り、上りの列車で帰宅する。座席に沈んでうたた寝しながら、仲間との会話を思い出し、笑いをかみ殺す。

故郷はあるんだな、と思う。実家はなくなったけど、懐かしい友達はまだそこにいる。ぼくがそこですごした事実は永遠に消えない。

だから、誰にも必ず故郷はあるのだ。ずっと。ずっとそこに。
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