fc2ブログ
魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

魂の落書き 〜おでんまちのひ 店主の日記〜

旅について 遊びについて 夢について 人生観について 本について 愛用品について ありったけの思いを語ります

 

永遠のあこがれ 〜高校サッカーの話

去年の秋頃、小学生のときのサッカークラブの友人が、ひょっこり店にきた。

覚えてますか、と学校名を口にすると、名前を告げられる前に誰だかわかった。会うのは40年ぶりなのに、すぐにわかるくらいに面影が残っていた。

聞けば、今もぼくらの地元の近辺に住んでいるらしく、そのあたりのスナックで飲んでいたところ、ぼくの中学の友人と隣り合い、言葉を交わすうちにぼくの存在にいきついたらしい。下総中山で店をやっていると知り、たずねてきてくれたのだ。

仕事は銀行員で、最近、本八幡店の支店長兼、この地域の統括部長になったので、隣駅にあるぼくの店にもきやすかったのだという。

それからちょこちょこ店にきてくれている。懐かしい名前を出しては、今度つれてくるよといってくれる。店をやっていると、思わぬところから縁が生まれるんだなあ、としみじみ思う。

ちなみに、この友人の4つ下の弟が子どもの頃から名のとおったサッカー選手で、世代別の日本代表の中心メンバーとして国際試合を何度も戦った。プロの選手にはなれなかったが、地域リーグの選手として長く活躍して、現在は福島県の尚志高校のサッカー部の監督を務めている。検索すれば、すぐに出てくる名物監督だ。

尚志高校といえば全国高校サッカー選手権の常連で、高円宮杯JFAのU-18サッカープレミアリーグEastでも、2023年は川崎フロンターレU-18や柏レイソルU-18をおさえて2位(1位は青森山田)という、超強豪だ。そこの監督が昔の仲間の弟ということで、ひそかに応援していた。サッカー好きのお客さんにも、昔の仲間の弟がぁっ〜って感じで自慢していた。昔の仲間といっても向こうは覚えてないかもという後ろめたさがあったのだが、その仲間と思わぬ再会をしたことで、今後は堂々と自慢できる。

というわけで、年末年始に行われた全国高校サッカー選手権も、尚志高校を応援した。残念ながら一回戦で負けてしまったので、その後は我らが千葉県代表の市立船橋高校を応援した。こちらは準決勝まで進み、青森山田高校にPK戦で敗れた。市立船橋とともに個人的に好きになった滋賀県代表の近江高校が決勝まで勝ち上がり、青森山田に敗れるも、堂々の準優勝に輝いた。

やっはり高校サッカーはいい。毎年、この時期になるとしみじみ思う。

ぼくはサッカーは中学までで、高校ではサッカー部に入らなかった。悔やんでいるとまではいわないけど、やっていたらどうだったかなとは、今でもときどき思う。

中学2年のときだ。冬休み、午前中の練習を終えてから、サッカー部の仲間5人と連れ立って国立競技場に高校サッカーを観にいった。準決勝。清水東高校(静岡県)VS帝京高校(東京都)、韮崎高校(山梨県)VS守山高校(滋賀県)の2試合がおこなわれた。

はじめての国立競技場に、ぼくは興奮した。満席のスタンド、芝のグラウンド、電光掲示板に連なるスターティングメンバーの名前。どれも重厚感があって、いつもぼくらがやっているサッカーが子どもの遊びに思えた。何よりプレーの質が段違いだった。やっぱり高校のサッカーはちがうんだと、ほれぼれしながら思った。

ここでやりたいと、強く思った。高校に入っても絶対にサッカー部に入り、全国大会に出て、この国立競技場のピッチでプレーしたい。

夢のまた夢だ。当時のぼくは、いちおうチームのレギュラーとして試合には出ていたけど、足を引っ張る側の選手だった。高校のサッカーともなれば、格段にレベルは上がる。自分が通用するかどうか、自信はなかった。だけどわからない。もしかしたら飛躍的に上達するかもしれない。何かのきっかけで「化ける」こともあると、顧問の先生もいっていたじゃないか。

だけど仮にレギュラーになれたとしても、選手権に出るには、強豪校を何校もやぶって県の代表にならなければならないのだ。果てしなく遠い道のりだ。それでもいい。とにかく高校に上がったら、サッカー部に入るのだ。まずはそこからだ。その先のことは、入ってから考えればいい。

それがモチベーションになり、それまで以上にサッカーに情熱を注いだ。部活の引退後も、高校サッカーに備えて自主練習をつづけたし、受験勉強もがんばれた。もちろん、正月の高校サッカーも観た。受験前だから国立競技場に足を運ぶことはなかったが、テレビにかじりついて観戦した。ちなみにその年の優勝校は帝京高校で、前年優勝の清水東は準優勝に終わった。

そして4月、晴れて高校生になった。その高校で、ぼくはサッカー部に入らなかった。とくに理由があったわけではない。なんとなく入りそびれてしまったのだ。いきたかった高校にいけなかったのも、理由にあったかもしれない。滑り止めの高校に行く羽目になり、なんとなく高校生活に希望をなくしてしまっていた。

小学5年生から、放課後はずっとサッカーだったから、それがない生活は違和感があった。物足りなさを感じつつ、自由な毎日が楽しくもあった。ガソリンスタンドでアルバイトをはじめ、中学の頃には考えられなかった額のお金を手にするようになった。お金を手にすると、部活をやっていない連中とつるむようになり、煙草をおぼえ、麻雀をおぼえ、パチンコ屋に入りびたるようになった。夜な夜な遊びに出かけるようになり、誘われて、暴走族の集会にも何度か出かけた。ヤバいなあと感じながらも、それはそれなりに愉快な日々だった。

2年生になってクラス替えがあり、九十九里からかよう同級生と仲よくなった。自宅から歩いてすぐ海だというその友人は、波乗りをやっていた。その流れで、ぼくも貯金をはたいてサーフボードを買い、夏休みの大半を波乗りに注いだ。2学期がはじまってもその熱はさめず、平日はガソリンスタンドでのアルバイト、日曜はサーフィンという生活をつづけた。

まったく新しい世界だった。部活だけが青春じゃない。むしろこの規律のない、自由な感覚がぼくにあっていた。社会人のサーファーとも知り合い、波乗りだけでなく、それ以外のいろんな世界を教えてもらった。学校という、ルールにしばられた世界を飛び出して、果てしなく広い世界で、ぼくは高校の3年間をすごした。

そこに悔いはない。部活のかわりに、ぼくには海があった。その経験が、今の人生につながったと思っている。型にはまらない自由な人生。進学も就職もせず、旅ばかりしながら生きて、破天荒な道を歩いた結果、今のぼくがある。

悔いはない。

悔いはないけど、どうしても考えてしまうのだ。あのとき、勇気を出してサッカー部の部室をたずねていたらどうなっていただろう、と。

あの日、一緒に国立競技場にいった仲間は、みんな高校でもサッカーをつづけた。店にくるようになったこの小学時代の友人も、高校でもサッカーをつづけたという。3年間、規律の中でもまれ、仲間と切磋琢磨して、勝った負けたをくり返して、3年間をすごした。それはかけがえのない経験だ。ぼくが持っていないものだ。

考えても仕方ないことだ。ぼくはサッカーを選ばなかった。それ以上でもそれ以下でもない。

人生とはそんなもんだ。何かを選ぶことは、何かを捨てることだ。その逆も然りだ。何かを選ばなかったことで、べつの何かを手に入れる。どちらが正しいわけではない。どちらを選んでも、それが人生なのだ。

ぼくが今こうして居酒屋の店主でいるのも、そうした人生の結果だ。自分が選んだその人生に納得するしかない。せいいっぱい、その人生を味わいつくすしかない。

とはいえ、来年の正月になれば、またいつものように高校サッカーを観るだろう。そしてまた、あのときサッカーをつづけていればと考えるにちがいない。それもわるくない。そんなことを考えながらも、自分の人生をしっかりとし歩けばいいんだから。





スポンサーサイト




 
 

Comments


 
<- 04 2024 ->
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
プロフィール
201104241236000_convert_20120212162112.jpg
検索フォーム
姉妹ブログ「お父さんとの旅」
WEB小説「お父さんとの旅」週1~2回のペースで連載してます。
001_convert_20121102183528.jpg
北海道カヌーの旅
2001年秋~冬、北海道の川をゴムカヌーで下った、3カ月の旅の軌跡  大好評連載中    ↓
ブロとも申請フォーム
ツイッター フォローしてね
今日もつぶやいてます。ぜひフォローをお願いします。


Archive RSS Login